2015/9/1

よろこびと空洞体験から次に向かう  雑感

小さな種粒が思いもよらぬ収穫をもたらす。つい最近、体験した集まりの中で、その一端を感じることになった。かつて勤務していた某高校の吹奏楽部のOB会に参加した。

思いがけず、年月を重ね、当時の学生たちが社会の中核を担って生きている様子を知ることとなった。当時は、様々な状況が繋がり、僕は吹奏楽部誕生のスタートのきっかけとなった。地元の高校の吹奏楽部に所属していたのだが、卒業後市役所の社会教育課に勤務した。その後、地元の別の高校の移管業務のために出向、後に北海道教育局からの出向で道立高校に勤務することになった。

そこで、眠っていた15人編成の吹奏楽器と出会い、メンテナンスを兼ねて試奏したことがきっかけだった当時の校長から、入学式に校歌を演奏して欲しいという要望があり、編曲し演奏を指導することになった。演奏に感動した校長が、教頭と相談し顧問にしたいと望んだ教師が翌年赴任。

こうして顧問と演奏指導者の共同作業が始まった。僕は実習助手から行政職になり、指導に直接関われる時間に制約が出始めた。それでも、随分と厚遇され生徒たちと過ごす時間が与えられていた。当時は、地方への転勤を促されながらも、吹奏楽の指導継続を望んでお断りした。

何もわから無い学生たちに、それぞれの楽器との取り組み方を、手取り足取り、運指やブレスの仕方、楽譜の読み方、リズムの合わせ方、楽曲の理解など、ひとつひとつ伝えること、全体をまとめることに力を注いだ。ゼロからのスタートは、かなりのエネルギーを必要としたけれど、徐々に成長する姿を見るのは楽しみでもあった。

年齢差は大きくはなかったけれど、生徒と指導者というスタンスの違いは大きかったかも知れない。通常の勤務をこなしながら、時間を見つけては吹奏楽部の演奏指導に出向く生活が続いた。校長の理解、教え子であった事などの後押しがあり、移管業務の渦中であったからこそ
可能だった。

勤務との板挟みの中で、何とか最低限の形が見え始めて間もなく、個人的事情で公務員を辞任する事になった。それ以来、全く接点のなくなった生徒たちと再会する事になったのが、つい最近の事だ。

詳細な事情など知る術のなかった学生たちとの再会には、それなりの戸惑いがあった。学生たちにとっては、最初のきっかけになった僕の存在は、さほど重要なものではなく、仲間同士や顧問との交流の記憶が次々と蘇る時間。その嬉しさと楽しさでいっぱいの時間だっただろう。まして、指導者という立場にいた僕とは距離感があって当然でもある。

ましてや遠い記憶の中では、僕の存在はかすかな陽炎のようなものだろう。そこに集う、喜びと楽しみの原点。それは、音楽の楽しみと喜びを伝えたいという密かな思いを抱いたひとりの存在から始まった。それは確かに事実だけれど、記憶から確実に消えていくだろう。

僕自身は、彼らが辿った結婚、家庭、子供。或いは孫のいる人生とは随分とかけ離れた歩みをしてきた事を、改めて強く感じた。僕には両親を失った子供という立場しかなく、家族はいない。OB会への参加は、僕にとって過ぎ去った時間が空洞のように感じる強烈な体験でもあった。

同時に、それぞれに生きてきた学生たちの人生の尊さ感じる時間でもあった。喜ばしさとちょっとした空虚さを瞬時に受け取る時間になった。

参加を躊躇した感覚。参加を決断した感覚。それはどちらも予感通りだった。

さて、この体験時間から、残されたわずかな残り人生をどんな風に生きて、終わりを迎える事になるのだろう。少なからず、出身校の吹奏楽部体験と後に出会った吹奏楽部誕生のプロセスは、その後の人生や音との関わりの大切な土台になっている事は確かだ。

今回出会ったOBたちが、記憶の確認のプロセスから、これからの歩みの中で新たな意味で音のある人生の豊かさを感じ、具体的な交流を深め、さらに豊かな人生を受取って欲しいと感じている。

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