2015/10/27

原 生 林 の 歌  ラブフルート

この10月にポールワグナーとのライブがありました。ライブの打ち合わせのベースは、この土地の原生林の中にあるという直感があった。それは、彼と出会う前に急遽決まったガイアシンフォニー第八番の上映会後のラブフルート演奏と繋がっている。

上映会の日程を間違うというプレゼント。この日程の間違いは、木の響きと歩んできた自分にとって大切なものだった。この日、ふと3000年前に人々が生きていた時の土器などが採掘されたカリンバ遺跡に向かった。遺跡のそばに併設された公園に足を運んだ。

このとき、最初に足を踏み入れたのは、公園ではなく、すぐ側にある原生林だった。心地よい風、木洩れ陽、揺れる木々や草花。その中で、ただただドラムを叩き、与えられているいのちになって過ごした。

淡々といのちを繋いで生きている木々や草花の中で、人間はなんと未熟な存在なのか痛感した。東北地方訪問で新たに感じた事、その翌日のチャリティーライブに向かう途中で車に落雷があった事、チャリティーライブの空間で感じた事、日程の間違い、それは原生林に繋がっていた。

残された時間、何が必要なのか、新たなスタンスでラブフルートの製作や演奏を始めなければという思いが生まれ、どんな道を辿れば良いのかを伝える風がやって来たのだ。


原生林の中で、チューニングされたラブフルートを吹くと、違和感を感じる。自然の中でイヤホンで音楽を聴いたり、お気に入りの音楽をスピーカーで拡声しているのと似た感じがある。狭い世界、狭い視野、限定された世界の中で賞賛し合う社会のもろさを感じる。人間集団の中で形成された価値観や自己表明と原生林と一体になって生きてきたいのちたちとの距離感を感じた。

風になり、木や草や花、雨、川、海、大地そのものを感じ繋がっていたい。そんな感覚がやって来た。死んで大地に帰ることは、望ましく、安らぎに至ること。人間の様々な価値観や主張は、一瞬で消え、荒地に新しい草や木々が淡々といのちを繋いでいく。

草の歌を知りたい、木々の歌、枝たちが交わし合う歌、大地の温かさや冷たさを感じ、雨の中に佇み、湧き上がってくる歌と溶け合いたい。木々は天を指し示し、自由自在に枝を伸ばし、葉を茂らせ、それぞれの花を咲かせ、実を実らせ、鳥や風に種を任せ、新たないのちを大地に生きる。それぞれの秩序を保ちながらも、自由を知っている。木々や草たちは、風を感じ、いつだって歌ってきたのだ。

こうした思いがあって、ライブの前日にポールワグナーたちに原生林で過ごさないかと持ちかけ、ポールたちも呼びかけに応えた。ライブ当日の原生林の時間。それが、午後からのライブの流れを生んだ。

ポールワグナーの演奏、僕のラブフルート、そして二人のコラボ。簡単な打ち合わせを済ませ、後は流れに任せた。事前にポールワグナーのCDを聴いていたので、イメージが重ならないようにオリジナルスケールの演奏をベースにした。何かテーマをもたせて演奏する気持ちはなかった。率直な表現をすれば、曲なるものを吹きたくはなかった。多様性に満ちながら、豊かに調和している原生林の空間が心を占めていた。

二人の演奏で、深く心に残ったのは、僕が密やかに歌うラブフルートを吹きはじめ、木の響きを感じながらポールが声を出し、身体の奥から響きをあらわした時間だった。互いに予測しなかったけれど、とても自然で深く豊かな時間だった。そのまま眠りにつき、夜明けを迎えたいと思った。そこに何があり、何が起こったのか、あえて言葉にする必要はないだろう。

次に僕が何をするのか、その幻を垣間見た。それは、これまでのスタンスと全く違うものかも知れない。今に至る生き方も、予測していたわけではないけれど、様々なシグナルが知恵深く用意されてきた。多分、残りの道程にも、既にシグナルは巧みに点滅しているのだろう。いのちを喜び、歌いながら、 もう少しいのちを楽しませていただこう。

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