暗き日曜日 二弦歌(各音二回)訳 Sombre dimanche
作詞:Jean Marèze et François-Eugène Gonda
作曲:Seress Rezs 歌 DAMIA
聞くと自殺する自殺ソング「暗い日曜日」この頁にDAMIAの歌声へのリンクあり。クリックでメディアプレイヤーが出ます。
暗き 日曜日 もろ手 花を抱いて
孤り 戻る 部屋に 沈む心
今や 君の かへらぬを 胸の井ぞ
分け醉ふ 追憶 あはれ 忘れ得ぬ
歌なほ 誘ふ音よ 染まん 夢ゆゑ
夜風 押せる地 明日さり 惚け見ん瞳(め)
暗き日曜日
くらきにちえうひもろてはなをたいてひとりもとるへやにしつむこころいまやきみのかへらぬをむねのゐそわけゑふつゐおくあはれわすれえぬうたなほさそふねよしまんゆめゆゑよかせおせるちあすさりほけみんめ
日曜日に 死なんや 苦しさ つのりて
君や 歸るとも 既に 我あらね
蝋燃え ゐむ居間 添へ貫く 希望を
瞳(め)なほ 戀ひ搖れ 渡す 笑まふ沙汰
そよろ 聲馳せぬ 朧 世を夢
告げむ 命賭け 御身 愛せりと
暗き日曜日
にちえうひにしなんやくるしさつのりてきみやかへるともすてにわれあらねらふもえゐむゐまそへぬくきはうをめなほこひゆれわたすゑまふさたそよろこゑはせぬおほろよをゆめつけむいのちかけおんみあいせりと
Sombre dimanche
Paroles de Jean Marèze,
Francois Eugène Gonda
Chantée par DAMIA
Sombre dimanche... Les bras tout chargés de fleurs
Je suis entre dans notre chambre le coeur las
Car je savais deja que tu ne viendrais pas
Et j'ai chante des mots d'amour et de douleur
Je suis reste tout seul et j'ai pleure tout bas
En ecoutant hurler la plainte des frimas ...
Sombre dimanche...
Je mourrai un dimanche ou j'aurai trop souffert
Alors tu reviendras, mais je serai parti
Des cierges brûleront comme un ardent espoir
Et pour toi, sans effort, mes yeux seront ouverts
N'aie pas peur, mon amour, s'ils ne peuvent te voir
Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie
Sombre dimanche.
訳詞参照
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〔蛇足〕1933年にハンガリーで生まれた伝説の「自殺ソング」です。ハンガリーでは、この歌を聴きながら、あるいは聴いたあとで自殺する者が続出したので、販売・放送が禁止されました。作詞はヤヴォール・ラズロ、作曲セレシュ・レジュ。ハンガリーの姓名表記は日本と同じく苗字→名前の順なので、作曲者の苗字はセレシュです。ヤヴォールは、ハンガリーの首都ブタペストのレストラン「キシュ・ピパ(小さなパイプ)」の経営者で、セレシュはそこのピアノ弾きでした。この店は、今も営業しているそうです。
発表から3年後の1936年、『暗い日曜日』は、フランスでシャンソンとしてヒットしました。作詞はジャン・マレーズとフランソワ・E・ゴンダで、実力派シャンソン歌手のダミアがロシアン・コーラスをバックに歌いました。フランスでも、やはり自殺が続発しましたが、フランス政府は発禁にはしませんでした。日本では、同じ年に淡谷のり子が日本語歌詞(上記とは別の詞)で吹き込みました。日本でも、数人自殺者が出ました。
曲は、前打音付きの四分音符と二分音符の繰り返しで始まり、これがまず不安感をかき立てます。主旋律はすべて三連符で成り立っており、しかも同じようなメロディの繰り返しです。これが単調で陰鬱な効果を醸し出します。確かに暗い曲です。
しかし、自殺者の続出は、歌自体の魔力によるものというよりも、時代の閉塞状況が主因と見るべきでしょう。1929年10月24日のニューヨーク市場株価大暴落に始まった世界大恐慌は深刻化するばかりでした。ことに資本主義的基盤が脆弱だったハンガリーなど東欧諸国では、社会が疲弊し、混乱が高まっていました。歌が発表された1933年1月には、ヒトラーがドイツの首相となり、翌年には総統兼首相となりました。ハンガリーの隣国オーストリアでも、ナチズムが猖獗を極めていました。フランスでこの歌が発表された1936年には、ナチス・ドイツが、第一次世界大戦の敗戦で連合国側の統治下にあったラインラントに進駐、新たな大戦の足音が刻々と近づいていました。
この歌にまつわるドラマは、まだ終わりません。1968年、作曲者のセレシュが投身自殺したのです。いつまでも「自殺」から逃れられない悲運の名曲というべきでしょう。
私がこの歌をラジオで初めて聞いたのは高校のころでしたが、そのときの歌詞は上記の岩谷版とは違いました。確か、「私はいつも一人ぼっち、今日も日曜日なのに、だれも訪ねてこない……」といった歌詞でした。たぶん、淡谷のり子が歌った歌詞だったと思います。この歌詞を探しましたが、見つかりませんでした。
二木紘三のMIDI歌声喫茶

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