
「裸身の月」
まつぶさに眺めてかなし月こそは
またき裸身と思ひいたりぬ
あはれ氣ほの匂へる音へ和せんと我あふぐ峰末を夜雲消居て
うち超えむ身ぞいや冴えぬ廣世野良を
降り居澄む故夢せる有漏路や
まつふさになかめてかなしつきこそはまたきらしんとおもひいたりぬあはれけほのにほへるねへわせんとわれあふくみねすゑをよくもけゐてうちこえむみそいやさえぬひろよのらをおりゐすむゆゑゆめせるうろちや
有漏路 漏泄ある路 漏は煩悩の義世俗の凡夫の称 対語 無漏路 出家者の道 * 裸身の月一首は水原紫苑氏の作です。「昭和三十四年、横浜市生。早大仏文卒。六十一年「短歌」入会。春日井建に師事。六十三年「フォルテ」に参加。夢幻的な美しさをもつ、繊細な情感。」
と篠弘編著「現代の短歌」紹介文にあり。三千六百首の歌ある中で二弦歌各音二回までの規則にはまる歌は結局この一首だけでした。てにをはの使ひざまに骨身を削り、同音の響かせ合ひに身を痩せしめるが和歌短歌ですから、どうしても重複三音以上のものになつてしまふやうですが、これからの歌人は推敲の今ひとつのあり方として二弦歌のなかに音配置を分解してみられんことをお勧めする。完璧に詠み据ゑ得たと思ふものを更に疑ひてかかられよ。かかる修練のはてに思ひもかけぬ豊饒を得べし。五十音図をなるべく無駄遣ひせぬやうな行き方が。各音品詞として意味生命を帯びる仮名をもて歌書く道にはてにをはの使ひざま以上に肝要なり。紫苑氏が今月号の「短歌」で近代又戦後と比べて、平成の十五年にもすばらしい歌は沢山あるが比べると何かが違ふ」と省察し、「それは詩の重力のやうなものではないだらうか」と述べて居るその重力回復への一の手法として、国語の設計理念の全般に思ひを致していただきたいものです。因みに私の観点からすれば戦後の短歌既に重力を失ひ居る。「平成新撰百人一首」を編まれた国語問題協議会有志同様戦後によい歌はないと見ます。ただそれが無為に衰勢に赴いたわけではないといふ証明だけはして欲しいものです。

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