2009/5/19

坊ちゃん  柿の種


(大正十二年八月号掲載文を読んで)

甘やかされて育った坊ちゃんが庶民の生活を知りたがっている。

否、「甘やかされちゃいない」って坊ちゃんだから言うのだろうな。

「士族は死を覚悟して生きているんだ」って胸を張るかな。

ついでに「武士は食わねど高楊枝」とか、言いたいだろう。

漱石の『坊ちゃん』のモデルはもしか、寅彦だったのかい。

金物屋の主婦も坊ちゃんの寅彦をみて反射的に感じたんだ。


「こんな客って、必ずゐるのよねぇ」のにやにやなんだな。

「嬉しがりの坊ちゃんかい」三越店員のにやにやなんだな。

坊ちゃんの坊ちゃんたる特徴を言えば「飽き性」なんだな。

すべからく中途半端で「後は誰かがやるだろう」なんだな。


いずれそのうち、誰かが君に災難をもたらすかも知れない。

だって、天災は忘れた頃にやってくるって言うじゃないか。

あ!このフレーズって、寅彦が発明した言葉だったのかい。

私のお気に入りのフレーズで、時々使わせてもらってます。




(引用文)
本石町(ほんごくちょう)の金物店へはいった。
「開き戸のパタンパタン煽(あお)るのを止める、こんなふうな金具はありませんか。」
おぼつかない手まねをしながら聞いた。
主婦はにやにや笑いながら、「ヘイ、ございます。……煽り留めとでも申しましょうか。」
出して来たボール箱には、なるほど、アオリドメと片仮名でちゃんと書いてあった。
うまい名をつけたものだと感心した。
物の名というものはやはりありがたいものである。
おつりにもらった、穴のある白銅貨の二つが、どういうわけだか、穴に糸を通して結び合わせてあった。
三越(みつこし)で買い物をした時に、この結び合わせた白銅を出したら、相手の小店員がにやにや笑いながら受け取った。
この二つの白銅の結び合わせにも何か適当な名前がつけられそうなものだと思ったが、やはりなかなかうまい名前は見つからない。
(大正十二年八月、渋柿)

2009/5/17

文化は前向き  柿の種

(大正十二年七月号掲載文を読んで)

最近はどうか分らぬが、田舎で流行の最先端の柄はなかなか売れる物ではなかった。

逆に、都会で流行遅れの柄を探し出すのは困難であろう。それは成程、当然である。

原価がタダであっても売れない商品を店頭に並べておくのは、機会のロスに繋がる。

そして、流行は廻るものだと考える人はいるかも知れないが、マユツバものである。

たとえ、原始時代を楽しむ流行がやってきたとしても、それは現代の原始であろう。

つまり、原始時代を文明社会で楽しみたいのであって、原始に戻りたいのではない。

仮に、人間社会が破滅しても生き残った人間が文化を活用することは明白であろう。




無地の鶯茶(うぐいすちゃ)色のネクタイを捜して歩いたがなかなか見つからない。
東京という所も存外不便な所である。
このごろ石油ランプを探し歩いている。
神田や銀座はもちろん、板橋界隈(かいわい)も探したが、座敷用のランプは見つからない。
東京という所は存外不便な所である。
東京市民がみんな石油ランプを要求するような時期が、いつかはまためぐって来そうに思われてしかたがない。
(大正十二年七月、渋柿)

(『柿の種』への追記) 大正十二年七月一日発行の「渋柿」にこれが掲載されてから、ちょうど二か月後に関東大震災が起こって、東京じゅうの電燈が役に立たなくなった。これも不思議な回りあわせであった。

2009/5/16

科学の限界  柿の種



(大正十二年六月号掲載文を読んで)

天然鰻を捕まえるにも色々の方法があるというのである。

その鰻を捕まえる方法を科学的に分析すべきと言うのか。

寅彦が生きた時代、なるほど、寅彦の言いたい事も判る。

寅彦の考え方や時代を現代から振り返るとき、逆もある。


寅彦の考え方の延長上に、鰻の養殖が考えられて育った。

そして人々の思いは往年の良き時代を懐かしむのだろう。

結局、原始時代の暮らしの良さにいつ気づくのだろうか。

地球が養殖場と化し、天然物が絶滅する前に気づくのか.




(引用文)
鰻(うなぎ)をとる方法がいろいろある。
筌(うえ)を用いるのは、人間のほうから言って最も受動的な方法である。
鰻のほうで押しかけて来なければものにならない。
次には、蚯蚓(みみず)の数珠(じゅず)を束ねたので誘惑する方法がある。
その次には、鰻のいる穴の中へ釣り針をさしこんで、鰻の鼻先に見せびらかす方法がある。
これらはよほど主動的であるが、それでも鰻のほうで気がなければ成立しない。
次には、鰻の穴を捜して泥(どろ)の中へ手を突っ込んでつかまえる。
これは純粋に主動的な方法である。
最後に鰻掻(うなぎか)きという方法がある。
この場合のなりゆきを支配するものは「偶然」である。
(大正十二年六月、渋柿)

2009/5/15

寅彦の研究心  柿の種


(大正十二年五月号掲載文を読んで)

軽格ではあるが、寺田家も帯刀の身分であることに変わりはない。

軽格は藩主を支えて・民衆を支配する側で暮らした身分であろう。

そんな封建時代の軽格であってみれば、寅彦も坊ちゃんの仲間だ。

幕末時代、尊皇派・攘夷派・勤皇派・佐幕派等とあったようです。

とはいえ己の確固たる信念思想を持っていた人は少なかったろう。


坂本竜馬も初めは尊王攘夷派であり、後に開国派に転向している。

その坂本竜馬にしても男尊女卑の思想に疑問を持つ事はなかった。

社会の流れや藩の動きに左右されて誰もが敵味方に分れて戦った。

前置きが長くなったが、寺田寅彦の思想も似たような物だろうか。

一般民衆を見下したとしても当人は意識して見下した訳ではない。


武士ゆえに学問を身につける機会に恵まれ、東大に行けたのです。

彼が文盲に甘んじている一般民衆を劣等と感じてもおかしくない。

民衆を劣っていると見下す寅彦、だが、彼は人に教えようとした。

その寅彦を私は、傲慢なだけの人間ではなかったと考えてはいる。

ともあれ、寅彦は球根を買ってきて何処かの花壇に植えたらしい。


専業農家には判っていることも、寅彦には初めての経験でしょう。

寅彦には全く初めての経験でも、世間には常識かも知れませんね、

花を愛でることは好きだが、育てることは苦手だった寅彦である。

軽格の坊ちゃん育ちの寅彦ゆえ、それも仕方のないことと言える。

彼はヒヤシンスがチューリップより適者生存に優れていると知る。


その事から考えさせられる事が色いろ有りそうだと述べたのです。

寅彦は己が知って済ますだけでなく、人々に知らせたいと思った。


私は「柿の種」を読み進んできた今、全編に寅彦のそれを感じる。




(引用文)
数年前の早春に、神田の花屋で、ヒアシンスの球根を一つと、チューリップのを五つ六つと買って来て、中庭の小さな花壇に植え付けた。
いずれもみごとな花が咲いた。
ことにチューリップは勢いよく生長して、色さまざまの大きな花を着けた。
ヒアシンスは、そのそばにむしろさびしくひとり咲いていた。
その後別に手入れもせず、冬が来ても掘り上げるだけの世話もせずに、打ち棄ててあるが、それでも春が来ると、忘れずに芽を出して、まだ雑草も生え出ぬ黒い土の上にあざやかな緑色の焔を燃え立たせる。
始めに勢いのよかったチューリップは、年々に萎縮(いしゅく)してしまって、今年はもうほんの申し訳のような葉を出している。
つぼみのあるのもすくないらしい。
これに反して、始めにただ一本であったヒアシンスは、次第に数を増し、それがみんな元気よく生い立って、サファヤで造ったような花を鈴なりに咲かせている。
そうして小さな花壇をわが物のように占領している。
この二つの花の盛衰はわれわれにいろいろな事を考えさせる。
(大正十二年五月、渋柿)

2009/5/14

わだかまり  柿の種


(大正十二年三月号掲載文を読んで)

幼い子に似合わない言葉が「わだかまり」や「屈託」である。

幼い子は失敗を恐れないし、周囲も幼児の失敗に寛大である。

幼い子は無用心で、それ故、周囲は幼い子を堅くガードする。

だが、大人になると失敗を突つかれる事が多くなっていくし、

心に「わだかまり」ができて、それで無用心になれないのだ。

それなら大人は屈託なく振る舞うことを恐れるようにもなる。


東大で教える寅彦の心にもその「わだかまり」は生じている。

「わだかまり」はこと有るたびに顔を覗かせて事態を窺がう。

病院から出てきた男も寅彦の「わだかまり」を刺激したのだ。

「わだかまり」を刺激されて寅彦はたちまち、不快になった。

だが、女児の穏やかな喋り口調が寅彦の戸惑いを打ち払った。

それで寅彦は悪夢から覚めたように穏やかな気持ちになれた。


無用心に話している女児を通して、優しい父親を見たようだ。




(引用文)
大学の構内を歩いていた。
病院のほうから、子供をおぶった男が出て来た。
近づいたとき見ると、男の顔には、なんという皮膚病だか、葡萄(ぶどう)ぐらいの大きさの疣(いぼ)が一面に簇生(そうせい)していて、見るもおぞましく、身の毛がよだつようなここちがした。
背中の子供は、やっと三つか四つのかわいい女の子であったが、世にもうららかな顔をして、この恐ろしい男の背にすがっていた。
そうして、「おとうちゃん」と呼びかけては、何かしら片言で話している。
そのなつかしそうな声を聞いたときに、私は、急に何物かが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした。
(大正十二年三月、渋柿)



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