2008/11/25

『寛容の文化』8 映画「炎のアンダルシア」  お勧めの1冊

ホテルより無事接続♪

『寛容の文化』
「パリの焚書」の章でアッバース朝による古典の翻訳事業について著者は語る。

『異教徒の遺産を一神教の伝統に則した知的生活に生きたまま、誠実に参加させるにはどうすればよいのだろうか。それゆえ、八世紀から十世紀にわたって繰り広げられたこの壮大かつ緻密な事業は、一見そのように見えるにしても、後世にギリシャ人を「保存する」といった機械的かつ博物館的な努力の類いではけっしてなかったのである』p218

しばしばこの事業は欧米の歴史家には、単なる翻訳の域を出ないと評価されているが、そんなはずはないと感じていた。そのことを指摘する研究者はまだ少ない。
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/132/trackback
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『(原理主義的な、抑圧的な)ムラービト朝統治下の最後の20年間に、二人の並外れた人物が生まれている。すなわち、1126年に生まれたイブン・ラシュド(アヴェロエス)と1135年生まれのモーシェ・ベン・マイモン(マイモニデス)がそれである』p220

知らなかった! 彼らのような仕事が出るのは、まさしく「開かれた社会」だと思っていたが、そうではなくて、まさにその開かれた社会が再び「圧殺」されはじめた時期にこの2人が生をうけるとは! 

…そう言えば、アヴェロエスは弾圧の中で死んだし、彼の遺体が革袋の中に、彼の著書とともにロバに担がれ故郷に帰る情景を一度何かの本の中で読んだ事がある。 そしてある青年がそれを見送りながら、彼の価値がその程度のものであると語る情景も記憶になる。 どこで読んだのだろう? 記憶に間違いなければその青年は後のイスラーム神秘主義の創始者だったと思う。

その情景を著者は以下のように簡単に記す。

『…アヴェロエスは1198年にマラケシュで(彼の遺体は埋葬のためにコルドバに戻された)… 』p221

映画「炎のアンダルシア」があるそうだ。残念ながら福岡に来なかったのでまで観ていない。DVDは出ているのでいつか観てみたい。
http://movie.goo.ne.jp/dvd/detail/D110956165.html

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