植村直己はいうまでもなく日本を代表する冒険家である。国民栄誉賞を受賞している他、菊池寛賞や藤村記念歴程賞など、文芸色のある賞も受賞している。
氏の書籍はノンフィクションとして多数書かれており、どれも読者が植村の目を通して冒険家と化して極北の世界や高山の世界をスリリングに体験できる。文章表現も氏のひとがらを忠実に反映しながら、人間植村直己の姿を感じ取れる優れたものである。
私は20前後に『青春を山にかけて』を手始めに、だいたいの著作を何度も繰り返し読んできた。その中でも大のお気に入りである『極北に駆ける』を紹介したい。
南極大陸横断の夢を持っていた植村は、その夢を自分のものにするために、あらゆる手を尽くす。有名な40日間日本縦断3千キロもその手段の一つにしか過ぎない。菜局大陸横断のためには、犬ぞりの操縦方法を知らなければならないと考えた植村は、単独、グリーンランド最北のエスキモー集落に飛び込み、生活を共にしながら犬ぞりの操作方法を学ぶ。初めて集落に飛び込む様子には思わず吹き出してしまう。
「...私はすこし焦り始めていた。あと数回の荷あげで、船はこのシオラパルクから出て行ってしまう。そのわずか数時間の間に、私と生活をともにしてくれるエスキモーを捜さなければならない。(中略)私はラジオ体操をはじめた。さあ元気よく、腕や足をおもいっきりのばしましょう。イチ、ニイ、サン、イチ、ニイ、サン。もちろん日本語などわかるはずがない。私は必死だった。はじめはキョトンとした表情で私を見ていたエスキモーたちも、そのうちだんだん反応を見せはじめた。体操をしながら横目で観察してみるとやはり子供たちである。私の背後でコッソリまねしはじめ、私が地面で横転をはじめるころには、もう私の正面にきて、これでいいのか、と教えをせがむようにさえなってきた。(中略)あたたかい子供たちの手の感触が私の手に伝わってきたとき、彼等は私を受け入れてくれるにちがいないと確信した。
この後、植村は集落のものにすすめられて、生肉をごちそうになる。
「切り取った肉をつかんだ感触は、手のひらのなかでヌルヌルと動くウナギ、とでもいったらいいだろうか。エスキモーたちは皆ニコニコと私を見守っている。これを吐き出したら、彼等はガッカリするだろう。(中略)これほど真剣に食物に向かったのは、生まれて初めてだ。私は恐る恐る肉片を口元に運」んだ...。
このシーンも繰り返し読んでもドキドキである。無理矢理飲み込んだ肉が、胃から逆流してのど元から口にあがってくる様は、目を白黒させている植村の様子が目に浮かぶようである。
集落滞在期間に、村人とすっかり仲良くなった植村は、現地のある人物と養子の約束を交わすほど懇意になり溶け込んでいく。その過程が植村の誠実な目線で生き生きと書かれているのが本書である。
「夢」という言葉は安易に語られすぎる。多用されすぎてすっかりデフレにはまり、価値を失ってしまった。ツマラナイ夢なら、語らぬ方が賢明であると私はこの本に学んだ。「夢」を語る老若男女すべては植村を読み、ほんとうの「夢」というものがどういうものか、知る必要があると思う。自戒を含めて、そう考える。

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