夏目漱石を読み直している。新潮文庫のバラバラをだいたいのところ持っていたが、筑摩の全集を買い直した。2ページごとに入っている注が少しうるさいのと、センチ単位の厚さが気になるが、文庫の読みやすさは捨てがたい。
1巻、「吾輩は猫である」を読み直して、思わず付箋を貼ったシーンをいくつか。
@「入浴後......浴前に嚥下せるものを悉く嘔吐し、胃内を掃除...。食卓に就き、飽く迄珍味を風好し...これを吐出致候」...すごい。猫の胃弱な主人はなるほどと感心し、うらやましそうな顔をするのであるが...。
A「およそ人間において何が見苦しいと云って口を開けて寝るほどの不体裁はあるまいと思う。...第一天井からネズミの糞でも落ちた時危険である。」同感。
B「ずうずうしいぜ、おい。」「Do you see the boy?か。」これは注があって助かった。しゃれなんですね。
C「主人は早晩胃病で死ぬ。」苦沙弥先生=漱石自身の未来を当てる。
D「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」575調になっている。
江戸晩年に生まれた漱石は明治とともに生き、明治とともに亡くなった人なのだと思う。間違いなく私たちは漱石の延長線上におり、私たちは漱石の胃弱も引き継いでいるのだろう。ただ、薬と医術が良くなったので、漱石ほど早死にせずに済んでいるのだ。そのことの幸不幸について、漱石に尋ねたらなんと答えるであろうか。
全然関係ないけれど、私は漱石が生まれたちょうど100年後、1967年の生まれである。少しだけ、うれしい。

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