2006/4/28

アイリッシュ?それともジャーマン?  この街にも慣れてきた
 週も半ばを過ぎると、このシンプルな頭が考えることはただひとつ。金曜も近づいてきて、一週間よく働いたご褒美はなあに?と、まあ、サーカスの動物が芸をしたあと、えさを欲しがるのと大差は無い訳で。違いと言えば、サーカスの動物にはえさをくれる団長がいるけれど、私の場合は自分で自分にご褒美をあげる、という点でしょうか。(サーカスと言えば、シアトルに、かの有名なCirque de Soleil がやってきます。素晴らしいんです、これ。一度、フロリダのディズニー・ワールドで見ました。)
 前置きはともかく、金曜の夜はどこへ行こうかな、と考え始めると、これが最近チョイスの幅が増えてきたもので、ありがたいやら、面倒やら。(その程度のことを面倒がるとは、どこまでものぐさなのだ。)
 私の住むこのシアトルダウンタウンのはずれは最近めきめきと開発がすすんでいて、次から次と新しいビルや店がオープンしています。
 そのうちのひとつ、ジャーマンパブのフィエラベンド(と発音していいのか、本当はわからない。なぜなら、それを言う店のお姉ちゃんはアメリカ人で、この人が本当のドイツ語発音をしているのか、私には絶対にわからない。。。つまり英語なまりのドイツ語なのか、完璧なドイツ語発音なのか、まさに絶対絶命的にわからない。)はオープンしたてのくせしていつも超満員です。ちなみにフィエラベンドとは、一日の終わり、という意味らしく、何やら郷愁を覚える美しい名前であります。
 さて、ここへはすでに3回か、4回は行きました。プーツのかたちをしたグラスでビールを飲むお兄ちゃんたちを眺めながら、ソーセージとプレッツェルを食べるのは、なかなかいい感じです。カウンターにいるお姉さんは、ひもと刺繍のついたブラウスに赤いベストを着ていて、本人はドイツっぽいでしょ、と言っていましたが、私はついアルプスの少女ハイジを連想してしまい、アルプスの少女が水商売をしていていいの、と言いかけて止めました。
 わがアパートの一階にあるアイリッシュ・パブもまた、便利さも手伝ってお気に入りの店です。オーナーのアイリッシュのおっちゃんはいかにも女好きそうなおっちゃんで、いつも女の人に囲まれてうれしそうにしています。それを楽しみに毎日店にいるのだ、と誰かが言っていましたが、嘘ではなさそうです。
 さて、今日は木曜日。明日はいよいよ金曜日。嬉しい金曜日が過ぎると嫌いな日曜日を迎え(かつて本当にサザエさん症候群だった。)、そしてまた一週間が始まり。。。
とめどなく毎日を繰り返して、結局世界中どこにいてもこれは同じです。アメリカではサザエさんを放映していないだけです。で、やはり思う、今日の言葉は。
 今日を生きよう。
 (これ、誰の歌だったでしょうか。)
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2006/4/14

横断歩道を渡れー!頼むよ、ホント。  毎日が試練だー。
 おおいぞ、この街には、多すぎだよ、いきなり道路に飛び出すやからが。交差点がすぐそばにあるというのに、わざわざ横断歩道ではないところを渡ろうとして道路に踏み込んでくる。さらに、彼らは路上に飛び出したあと、走らない。アメリカ人は車が近づいてくるのがわかっていても断固として走ったりしない。絶対ゆうゆうと歩いて道を渡る。。。何故だ、こわくないのかー!車は急に止まれない、という名言を知らないのか!
 朝夕のたかが片道10分のドライブが彼らのお陰で緊張の連続となる。ダウンタウンのアパートからオフィスまでの道はこんなやからがうようよしている場所だから、なおのこと。のんびり気分ではいられない。道の端に立っている人を見ただけで、あいつー、ここを渡る気かー、と思わず身構える。足はすでにブレーキをかける用意をしている。
 そんな訳で、これは小さな試練。
 さらに、ここに自転車通勤族も加わって、小さな試練は少し大きくなる。自転車通勤族は一様につるつる、ぴたぴたのものを着ていて、寒そうな感じがする。そんなんで寒いんじゃない、と思っているこちらの優しい気持ちをよそに、やつらは車と競争するくらいの意気込みで、物凄い速さで走る。ぴちぴちのコスチュームは筋肉を自慢するために着ているのかー、と時々思うが、そんなことはどうでもいい。自転車通勤族はあぶないのだ、ドライバーからすると。彼らの路上のルールは車のルールと同じということになっているらしいから、そういうことで判断しようか、と思っていると、交差点では彼らは歩行者のルールに追従してしまうから、きゃ、もっとあぶない、である。 
 
 そこで、唐突に心に浮かぶ、私の作った今日の名言は、
 
 克服すべき試練の多い人生は素晴らしい。
 (ホントかいな。)
 
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2005/9/4

たかがコーヒー、されどコーヒー  この街にも慣れてきた
 「土曜の朝は格別優雅に」というテーマのもと、昨日は朝10時ころ、ゆったりとブロードウェーへ出て行き、NOAH'Sというベーグルのお店へ行きました。ここのコーヒーはニューヨークスタイルということで、さてどこがどうニューヨークなのかチェックしてみようじゃないの、とそういう興味も手伝って、朝から気分は何故かニューヨークっ子。 シアトルには本当にコーヒー屋は多いですが、スターバックスをはじめ、Tully'sやSeattle Best Coffeeなどはみな、シアトル・テーストらしいのです。らしい、とわざわざ付けたのは、皆がそう言うからでして、私としては、特によくわからない。
しかし、NOHA'Sで私は変身した。
 シアトル・テーストのコーヒーとNYテーストのコーヒーは確かに違う!スタバだらけのこの街で、スタバのコーヒーの味にすっかり洗脳されていた私の舌は、このコーヒーの味は確かに違う、と反応しました。ウマカッタ。何かこう、マイルドと言いますか、お口に優しいと言いますか、それでいてしっかりコーヒーの味でして、酸味もほどほど、苦味もほどほど、香りもまろやか。おいしゅうございました。
 そういうわけで、コーヒーにも幅広い個性があることを発見した私は、これからしばらくスタバ以外のいろいろな店のコーヒーのテーストを経験してみようかと、思います。
 例えば、オリーブウエーのコーヒーメサイア。ここのはもしかしたら、想像を絶する味かもしれません。なぜなら、この店は非常に独特な客層をもっていて、モヒカンに黒の皮ジャンのお兄さんや全身タトゥーだらけのお姉さんやらがいつでも店の前のテーブルを陣取っているからです。しかも店の壁のイラストもまたユニークでしいて言えばゴスロリ調。いや、違うな、救世主的。いや、違うな、超芸術的。いや、違う。難しい。 というわけで、コーヒーもぶっ飛ぶ味かも知れません。しかし、はいるには勇気もいります。
 おっと、この週末は天災に備えて非常持ち出しセットを用意しようと思っていたのにすっかり忘れていました。この調子で、何でもしようと思っていたことを忘れてしまうので、来週日本に一時帰国することを忘れてしまわないよう気をつけようと思います。
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2005/9/2

サバイバル・イン・シアトル  この街にも慣れてきた
 ルイジアナを襲ったハリケーン、カトリーナの被害にはあまりの悲惨さに言葉も無いほどショックを受けています。アトランタから車で11時間。ジョージア時代に一度訪れたことのあるあの街が、今では水の中に消えているとは。
 シアトルにはハリケーンは来ませんが、決して安全とは言えません。
なぜなら、ここには大きな地震が起こる可能性が大だからです。去年も州内の火山が噴火しているし、いつ地震が起きてもおかしくない。
 そこで、今週末は避難用必需品を用意しようと思い立ちました。
水、ねこ缶、人間用缶詰、懐中電灯、包帯、ラジオ。そのほか、何が必要か、よく考えたいと思います。
 このアパートが壊れるようなことは無いとは思いますが、しかし何が起こるかわからないので、最悪の状況を想定して用意は周到にしなければならない。
 そうだ、このラップトップコンピューターも勿論非難時には持っていく。当然猫も連れて非難する。となると、猫のケージが必要ですが、これはジョージアから飛行機に乗せてくるときに買ったものが三つある。
 困った、これでは持ちきれない。しかたない、猫は3匹とも大きなバックパックに入れて背中に背負うしかないな。しかし、3匹一緒は、かなり重いな。背負えるかどうか、不安だ。しかも、みゃあ、みゃあ、騒ぎたてて、そのうち飛び出してしまうかもしれない。しかし、緊急時だ、なんとしても我慢してバックパックの中にはいっていてもらおう。
背中に猫、右手にラップトップを入れたバッグ。果たして、水と缶詰は持てるのだろうか。しかし、持つしかない。左手に水、ネコ缶、人缶、スプーンとフォーク、タオルと包帯、ティッシュペーパー、携帯電話、財布、メモ帳、パスポート、グリーンカード、日本の銀行の通帳、大学の成績表、ドライバーズライセンス、DAITAのCD、乙一の単行本、家族の写真などなど。。。ちょっと重いか。しかし、持つぞ、サバイバルを賭けて。
 すごい格好だ。。。本当にすごい格好だ。この格好で私はどこまで歩かなければならないだろうか。
しかし、歩くぞ、きっと飛行場まで歩くぞ。飛行場で、ありとあらゆる手を使って飛行機に乗る。何としても乗る。で、日本に帰る。何としても帰る。
 飛行場で私を心配していてくれた(ことを祈る)家族は私の姿を見てぎょっとする。これがシアトルのファッションか、と仰天する。
 とにかく、何としても生き残ります。根性で。
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2005/8/29

シアトルの朝はもう寒い  この街にも慣れてきた
 久し振りに開ける我がブログ。しかも、デザイン一新。ちょっと見ない間にAOLのブログ機能がちょっと進化しているようです。すごい。
 さて、最近の私はど落ち込みです。何から何までうまくいかない。何をしても裏目にでる。人と会えば、嫌われる。力を入れて料理を作るとまずい。張り切れば張り切るほど仕事はミスる。貯めようと思えば思うほどお金が出て行く(歯医者に650ドルもとられてしまった)。はては、階段を登ってもこける。なんなんだあああ、このアンラックは。。。(先週などは、小切手を銀行に預けたら、その分だけ残高から引かれてしまっていた!オンラインでそれを見たときの私はショックで全身が震えてしまった。即、銀行に怒鳴り込みに行ったが、その件についてはまた後日。)
 そこで、何もしないことにしていました。だからこのブログにも接近していなかった模様です。というより、ほとんどブログを開ける気力も無かった。ダブルクリックさえ面倒くさかったともいえます。その気もおきずに、もやもやだらだらと空いている時間を無駄に費やしていた。ぎゃあ、これじゃいかんぞ、と自分を叱咤激励するのですが、そうすればするほど、またアンラックの猛襲を浴びてしまう。
 ざっとそんな具合の日々がもう3ヶ月以上続いていた模様です。

 わたしゃ病気か、はたまた、この世界が悪いのか。いや、星のめぐりか。それともモウロクしたか。いやだわ、そんなん。
と思えば思うほど、また落ち込み。

 やけをおこし、仕事なんかやめちゃおうかと思いましたが(やめる理由などないが、何故か思い切った行動に出てストレスを解消する悪い癖があるのだ)、すると明日からの生活が苦しいのでそれもできない。この不景気のワシントン州にいて、仕事があるだけマシというもの。じゃあ、やっぱそれほど不幸でもないな、と思ったら嬉しくなって先日は調子にのってマルガリータを2杯飲んだら、部屋がぐるぐるまわるほど酔ってしまい、おかしい、こんな酔っ払い方をしたことはないのに、と思いつつベッドになだれ込み、翌朝鏡の中の自分を見てぎょっとした。たぬき顔でした。メークを落とさないで寝ることなんてほとんどないのに、不覚にも日常の最優先行為を怠るほど酔っていたと思われます。そういうの、自分らしくないよ、と思ったらまた落ち込み。

 このアンラックはいつまで続くのか。終わりはないのか。

 そんなこんなで、色々シリアスに考えてしまいました。
例えば、高い収入を得てお金持ちになるにはどうしたらよいのか、などということです。学歴か、IQか、人脈か。ふぎゃあ、どれも十分ではないみたいだ、私には。
 そこで、視点を変えて。
今の条件で自分を高く売るためにはどうしたらよいか、なんて気取って考えてみました。しかし、売るといっても、豆腐や牛乳じゃあるまいし、宇和島やの陳列棚にちんまり座っていても売れない。立派な広告を作るには費用がかかる。その費用はない。(注、アメリカにはプロのレジュメ・ライターと呼ばれる人がいる。この人たちに頼むと立派なレジュメを書いてくれる。これがいわば自分を売るための広告。しかしこんなことにお金を使う気などさらさらない。)
 そもそも、ものが高く売れる条件はその希少価値性にある、なんて言ってみたりして。希少価値と言えば、私というのはこの世でひとり、唯一無二。たったひとりしかいない。どの人もこの世でひとりの唯一無二の貴重な存在。じゃ、みんな希少価値ありで、すごい。けれど、この発想では、マーケティング用語を使って言えば、差別化は図れないということになります。じゃ、学歴、IQ,人脈以外の付加価値はどうか。美人なら、それも付加価値。背が高ければそれも付加価値。でもビジュアル系の付加価値をもっていない場合はどうするのか。性格が良いというのも付加価値ですが、これはけっこうわかりづらい価値であって。
 おい、おい、ちょっと待て。
 人身売買じゃあるまいし、自分を売るなんてそもそもおかしな発想なのでは。売っちゃいかんよ、大事な自分を。

もん、もん、悶々。うろ、うろ、うろ(部屋をうろうろしている)。

 おー、そうだ、シアトルに住んで働いて生活をしているという点を考慮にいれるなら、私のアメリカでの付加価値があるではないか。私は日本人で、日本語が喋れる。日本語の勉強をしているワシントン大学の学生より、日本の文化を経験上は知っているし、日本語がうまいです。国語の点数はさほどでもありませんでしたが、びっくりされるほど悪くも無く。可もなく不可もなく。されとて、さすがに母国語、そこいらのアメリカ人より当然うまいにきまっています。これはアメリカでは付加価値になる。それって売れるかな。

 はああ(溜め息)。アイデンティティーを求めるとは、こういう思考錯誤のことを言うのでしょうか。人生は思考錯誤の連続。それを人生と呼ぶのなら、これは生きている限り続く行為。
 アイデンティティーについてなんて、アメリカに来るまではあまり考えてもみなかった。これは、アメリカ的発想と行為なのでしょうか。IDとは何ぞや。

 ID とはそもそもなんなんだ!
 辞書を調べたら、身元という意味でした。そうか、簡単なことでした。さして深い意味はない。
 身元とは、死体の身元確認、という言葉からもわかるように、とどのつまりは住所氏名年齢国籍、とざっとこんな程度のことで。わかったようなわからないような。
 
 今朝のシアトルは寒かった。昼間は程よく温暖でしたが、夜は再び冷えてきました。 テレビでイチローがホームランを打ったところを目撃しました。ルイジアナでは、ハリケーンの被害がかなり深刻な模様です。
 良かった、シアトルにはハリケーンは来ない。今日も無事に一日が終わります。良かった良かった。
 
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2005/5/29

断じて上から下へ、である  分類なし
 日本語は下から上へ書きません。
ひどい誤解をしている日本以外の国籍の人すべてに、このメッセージを送ります。(じゃ、これ日本語で書いてもだめか。。。)
 日本語は
 上から下へ
です。あるいは左から右へです。

 昨日、見知らぬアメリカ人と立ち話をして(アメリカ人はアカの他人と話すことが好きだ。どこでも誰とでも何でも話す。)、結果から言うと、このアメリカ人の30年間の誤解を解いてあげるはめになりました。
 「30年くらい前にね、日本に行ったことあるんだけどね、日本語ってむずかしいって思ったよ。下から上へ書くなんて、ほかにはないよね。」
 「え。。。(絶句)」
 「そのうえ、横書きだったら右から左なんだってね。」
 「え。。。え。。。うー。。。(絶句アゲイン)」

 「そ、そんなことありません。上から下、左から右へ、です。。」
 だめだ、大変だ、日本があぶない、世界の終わりだ。。。なんとかしなくては。。。と気持ちの動揺を必死で押さえつつ、気をとりなおして冷静をよそおってリスポンスに臨む私。

 「えー、そりゃあおかしい。僕が日本へ行ったのは70年代だから、きっとそのあと、日本語の書き方が変わったんだよ!僕、新聞見たけど、下から上に書いてあったよ。」
 「えーーー!!!。。。。」
 何てこった、大変だ、この人は一体何を見ていたのか。
 「そ、そんなことありません、断じてありません!日本語は何世紀もの間、上から下へです。常識から言ってもそんな大きな言語の改変なんてするわけないじゃないですか。なんで、そんなに確信があるんです?」
 「だってさ、新聞を読んでた日本人がそう言ったんだもの。」
 。。。。。。。。。それは、一体誰だ。ひどいやつだ。
 「それ、悪い冗談です。あなた、からかわれていたんです。断じて言います、上から下。左から右。私は善良な日本人ですから、信用してください。その人は冗談を言っていたのです。」(30年間だまされていた哀れなアメリカ人を救済している自分が誇らしく思える一瞬でありました。)

 絶句するのは、今度はこのアメリカ人の方でした。
 「そうか。。。ずっとだまされていたのか。。。そうか。。。」(ぐったり)

 この人は、きっと過去30年間、日本旅行の思い出話をするとき、日本語が下から上と書かれる言語であることを誰にも彼にも語ってきたのでしょう。まさに武勇伝のごとく、宇宙語のような摩訶不思議な言語をもつ日本に滞在したことを誇らしげに語ってきたにちがいありません。しかも30年間も。そして、今、その大いなる誤解が解けた瞬間、「穴があったら入りたい」状態に陥ったわけです。

 シアトルではこの数年日本語熱が高まってきているようです。小学校などで日本語を教え始めていると聞きました。アメリカ人おやじの広めた誤解を解くべく、お願いだから黒板に下から上へと日本語を書かないでください、と教育関係者に手紙を書こうと思います。
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2005/5/27

What happened to Seattle?!  分類なし
 ホワット ハップンド トゥ シアトル。暑い。暑い。ホット、ホット。
 昨日は結局90度を超えた模様です。そうでしょう、そうでしょう。オフィスは熱地獄でした。夕方、アイスクリームを食べたくなったので、CEOのエリックにも買ってきてあげようかと思い、
「エリック、アイスクリーム食べたい?すぐそこのコンビニで買ってくるわよ。」
と聞くと、
「アイスクリームはいらないけど、ついでにエアコンを買ってきてくれない?」という本気にとりたいジョークを返されました。

 猫は無事でした。暑さのために乾燥し蒸発してしまって毛皮だけが玄関先に転がっていたらどうしよう、と心配していましたが、とにかく生きていました。それどころか、この暑いのに、膝の上に乗ってきて寝てしまいます。そうなると、私の体温は完璧に100度を超えることになります。うー、降りてくれ、と言いたくなるのですが、膝の上で寝ることを最高の喜びとしている猫の幸せを考えると無理に下ろすこともできず、全身汗まみれの私は地獄の釜で茹でられる気分を味わうことになりました(しかし、猫というのはどこまでの暑さに耐えられるものなのか。凄い。)。そして、どんなに暑くても、膝の上の猫がかわいくてその暑さをむしろ喜んでいるかも知れない自分の猫バカぶりがどこかかわいいと思いました。

 心頭滅却すれば地獄の釜もまた涼し、という諺があったような、ないような。。。(ないよ)

 今日もまた昨日と同じくらいの気温になるそうですが、週末は気温が平常通りに戻るそうで、60度くらいにまで下がる模様です。ということはいっきに30度下がるということですが、この変化は大き過ぎです。
 一体全体世界の気象はどうなっているのか。日本は大丈夫か。北極で、白熊はどうしているのか。。。ガンジス河流域ではインド人は無事でいるか。。太平洋の鯨は湯だっていないか。。。
 マザー・ネーチャーとすべての生き物に思いを馳せる今朝の私です。
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2005/5/26

ロー・テク都市と化するシアトル  分類なし
 異常気象ということで、今日は暑いです。この気温は過去最高になりそうだという話です。華氏80度を超えると言っていますが、これは摂氏では何度になるのでしょうか。そもそも、アメリカに来た当初からこの気温の測り方の違いに絶えず振り回され、悩んでいます。なぜなら、摂氏から華氏を出す計算がかなりややこしい。ややこし過ぎて、どこがどうややこしいのか説明することもできないほどややこしいです。わかるのは華氏の32度が摂氏の0度に相当するということくらいです。というわけで、いつでも摂氏0度に近かった冬の間は、朝のニュースでその日の気温を聞いても、比較的楽に想像することができました。
 「今朝のシアトルの気温は34度です。一日中、小雨が降り、最高気温は38度くらいでしょう。今週はずっとこんな感じですね。週末は雨も降らず少し気温があがりそうです。いいですねええ、わははは。」(週末の天気が誰にとっても重要であることをよく知っている。仕事をしているウィーク・デーの天気などアウト・ドア派のシアトル人にはどうでもよいのだ。)
 冬場の気象予報士の説明はざっとこんな具合で、陽気な気象予報士になると、このセリフのあとに何だかよくわからないジョークがくっついたりしますが、アメリカン・ジョークなので、何がおかしいのか私にはよくわかりません。(そもそも、ニュースキャスターのアメリカ人にしかわからないジョークが本気でおかしいな、と思えるようになったら、私はもう日本人ではなくなっている証拠だ、と思います。ということで、私はまだれっきとした日本人なのだ、と再確認したりすることがあります。やれやれです。)
 華氏34度ということは、限りなく摂氏0度に近いということで、そうか、今日も寒いのか、と思ったりしたのが、冬場の気温の予測のしかたでした。まあ、いったん外に出ればどのくらい寒いのは体でわかるのですが、それを実感した時点ではすでに時おそく、ああ、靴下は2枚はいてくればよかったとか、おへそまで隠れる厚手木綿のパンツをはけばよかったとか、耳あてを買っておけばよかったとか、後悔の連続になるわけです。とくに古い木造のオフィスはあちこちから隙間風がはいってきて、超低気温の日に軽装でいるとフリーザーの中の冷凍肉になったような気分におちいりました。

 とにかく、今日は異常に暑くなるということで、そうか、冷房をかけなければいけないな、と思った瞬間、ぎょっとする事実に気付きました。
 この家には冷房がない。この家だけではない、シアトルじゅうの家やアパートには冷房がない。南部のジョージアでは身近だった高気温80度は、冷房のがんがん効く家にいたおかげで、問題にならない気温でしたが(でも摂氏で正確に何度になるのかを知りません)これが冷房のないところでのこととなると、猫も私もいったいどうなるのか想像もつかない。それにしても私はあんなに毛がはえていないから、まだましですが、猫はあんなに毛が生えている。
 暑くてたまらないにきまっています。きっと、毛のはえていない種類の猫に生まれれば良かったと思うに違いありません。脱ぎたくても脱げない毛皮を着ている自分達があわれに思えることでしょう。
 かわいそうなので、今朝は部屋の窓を全部開け放って出かけることにしましたが、それでもまだ心配です。
 「今日は一日中日のあたらないところにいるのよ!」と言い置いて出てきましたが、この日本語をどこまで理解してくれたかわかりません。猫語、英語、そして日本語のとトライリンガルに育ててきましたが、それはリスニングのみで、返事はいつでもミャーですから、本当に理解したのかな、と不安です。いつの日か
 「I see! わかったにゃん。」
と言ってくれることを期待するのみです。

 というわけで、今朝は出勤途中の車のなかでずっと扇風機のことを考えていました。何年も忘れていた扇風機というロー・テクの機械がこのハイ・テクなシアトルで再び主役の座におさまるのか、とどこか感慨無量であります。しかし、扇風機はこのシアトルのどこに売っているのか、これが問題です。それ以上に、先進テクノロジーと、モダンさにこだわる自分の性格じょう、扇風機を買うなんてダサいという意識が大きな妨げになっています。マイクロ・ソフト社がクールなデザインのエックス・ファンなんていうのを作ってくれたら喜んで買うのですが。
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2005/5/13

馬と会話する  分類なし
 猫も可愛いですが、馬も可愛い、ということで、先週と先々週の日曜は競馬場通いとなりました。
 馬は本当に可愛い動物だと思います。従順そうなあの目がたまらなくいいです。ただし、サイズが問題です。あの体で膝に乗られたら、押しつぶされて大変なことになるし、ぺろぺろと舐められたら、顔中が唾液だらけになってたまりません。そして、臭い。。。
 しかし、あの風を切って走る美しい姿を見るのはおおいに楽しいことなので、シアトルから車で40分くらいのところにあるエメラルド・ダウンズという競馬場まで行ってきたのでした。しかも2回 (2回目は儲けたいという金銭欲が絡んでいた) 。

 私は通常、賭ける馬を新聞の情報などを頼りに決めません。というか、パンフレットの情報が意味することがさっぱりわからない、と言ったほうが正直でしょう。つまり、こう、ダダーっと数字だけが並んでいて、それは過去に何回走り、何回一着になったか、などといったことを意味しているらしいのですが、その他にも数字がいっぱいあって何だかやっぱりよくわからない。父親と母親の名前なども書いてありますが、それを知ったところで、何の役にもたちません。隣街に住む友人のそのまた友人の両親の名前を知ったからといって、だからなんなんだ、と言う感じに近いです。
 と言うわけで、パドックの馬を真剣によく観察してから賭ける馬を決めます。観察すると言うよりはテレパシーでの交信といった感じです。これをしているときの私はどこか神がかってます。(というか、どこかおかしいかも知れない)
 「ね、君、今日の調子はどうよ。走る気分ある?」
 「なんか、だるい。」
 「じゃ、賭けない。」
 そんな、会話を一頭一頭と交わしたあと、汗のかき具合などをよく観察して、そして最後は直感。結果がどうか、ということよりもこの一連の行為が楽しいです。
 どちらの日曜日も天気が良かったので、太陽の下で馬の体はつやつやと光っています。つやが良ければ良いほど、なんかこう、早く走ってくれそうで、そういう馬に期待したりしますが、本当に毛並みが綺麗だと調子がいいのかどうかは実は知りません。こういう見方は全部自己流で、誰に教わったわけでもなく、かってにそういうことにしているだけです。だから、時として、単に興奮しすぎて汗をかいていてつやつやと光っているように見えるだけで、実はレース前にすでに疲れきっている馬もいることに気付きました。そういう馬はすでに疲れているので本番でびりになったりします。幼稚園や小学校の劇の発表会で、前日から緊張し過ぎて本番には熱を出して学校へ行かれなくなった子供時代の私のようです。
 最初の日曜日はビギナーズ・ラックでちょっといい感じに儲けました。おかげで自分の鑑識眼はすごいと過信してしまい、2度目の日曜日はちょっと損をしました。自分には馬を見る目があるぞ、と思い込めば思い込むほど、どうも見る目が曇り、馬との交信もうまくいかなくなりました。一度などはびりの3頭をあててしまったくらいです。あれとこれと、そしてあっちのがいきそうだ、と勢い込んで賭けたら、それが全部びりから3頭だったのです。そうか、私は弱いものの見方だから、無意識に弱そうなのを選んでいたのか、などとまた勝手に思い込み、自分はなんていい人なんだと思ったりしました。
 一日中、馬との交信をしていたので2日間ともすっかり疲れました。
 
 それにしても、エメラルド競馬場は、背景に雪をかぶったワシントン州の山並みの見える美しい競馬場です。
 日本からの観光客にこの競馬場のツアーを紹介したらいいかも知れないと、ふと思いました。そのツアーでは私が馬との交信方法を伝授します。馬と会話する教祖様ひきいる宗教団体のようになるかも知れませんが。。。

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2005/5/9

ラーメン、らーめん、RAMEN  分類なし
 アメリカでラーメンは食べられない。わかってはいるけれど、ラーメンが食べたくて食べたくて、毎日ラーメンの事ばかり考えていました。大判の四角いノリをトッピング注文して通常の2倍の量にして、これをとんこつスープにひたして麺と一緒に口に入れる。そういう素晴らしいランチが食べられる日がいつか来ることを夢見て生きるようになりました。もう寿司は飽きました。ジョージアであんなに恋焦がれ、片思いの苦しさをいやと言うほど味わったというのに、シアトルではいつでも食べられるので、このトロが結構どうでもよくなり、最近はかまってやりません。手に入れるまでは、燃えに燃えて迫りまくり、手中におさめたとたんにそれまでの情熱を失って次のターゲットを捜すワルーイ男性、あるいは妾にかまって家に帰らず、奥さんを泣かしているワルーイ旦那さんのようです。トロちゃん、あんたにはもう飽きちゃったんだよ、わるいねええ、今度はラーメンちゃんなんだよねえ、と言うと、ラーメン党の林家喜久蔵師匠は喜ぶでしょうか。
 そんな今日この頃でしたが、この夢がついにかなう日がやってきました。
 場所はまたしてもインターナショナル・ディストリクト。宇和島屋から出て、香港を思わせるその一画をぶらぶら散策し始めると、いきなり何やら見慣れた文字が目に飛び込んできました。赤い布に縦書きの文字のそれはなんとカタカナではありませんか。しかもそのカタカナはラーメンという文字。その横には、ギョーザという文字も並んでいます。

 なぜ、私の願いはいつもかなうのでしょう。前世はよほど善人だったのでしょうか。

 迷わず道路を横切りまっしぐらにこの店を目指しました。幾つものラーメンという縦書き文字の垂れ幕がが窓一面をおおているので中が見えませんが、いかにも見慣れた日本的ラーメン屋に見えます。ドアを押して中にはいると、そこはまさしく日本的ラーメン屋です。明るいです。まぶしいくらいに明るくて、暗いアメリカ的レストランに慣れてしまっているため、くらくらしてしまうくらいです。壁一面に貼られた、日本語のラーメンのメニューは、めまいがするほど魅惑的です。味噌ラーメン、とんこつチャーシューラーメン、ワンタンメン。。。ああ、どれにしよう。。。口と胃袋がいっぱい欲しいと、思いました。
 この日、私はとんこつラーメンを注文しました。本当のとんこつラーメンでした。本当の本当の日本のとんこつラーメンのように見えました。味も本当のとんこつラーメンでした。もやしもはいっていました。メンマもはいっていました。本当にラーメンでした。アメリカで初めて食べる本当のラーメンでした。繰り返して言いますが、本当のとんこつラーメンでした。くどいようですが、嘘まぎれもなくラーメンでした。
 あまり嬉しくて、スープを全部飲み干しました。嬉しくて、空になったラーメンどんぶりをずっと眺めてしまいました。アメリカで初めておいしいトロを食べたときのように、私は本当にアメリカにいるのか、と自問しました。アメリカに渡り、アトランタとシアトルで働いているという長い夢を見ていて、その夢の途中夢遊病者になり、ふらふらとベッドから出て横浜駅周辺のラーメン屋にはいり、そこでやっと目が覚めたのかもしれないと思いました。
 翌日も、朝からこのラーメンのことばかり考えていて仕事が手につきません。今日もランチにはあのラーメン屋へ行こうと決心し、朝9時にはすでに心はラーメン屋に飛んでいました。気が付くとエクセルのワークシートにびっしりとramenという文字を入力していました。会社のロゴがなるとにしか見えず、ミルクをたっぷり入れたコーヒーはとんこつスープに見えてきました。
 ランチタイムにわざわざ車を飛ばして,ラーメン屋にむかい、とんこつチャーシューラーメンを食べました。そして、その夜はワンタンメンとギョーザを食べました。ラーメンざんまいです。翌日は再び普通のとんこつラーメンを食べ、今夜はしょうゆにしようか、味噌にしようかと考えていたら、「いい加減にしなさい」という天国のおばあちゃんの声がどこからか聞こえてきたので、しばらく我慢することにしましたが、やっぱり心はラーメンでいっぱいです。

 食べたいものにありつけるシアトルは雨さえ降らなければ天国だなあ、としみじみ思います。ダイエットをしている人は決してシアトルに来てはいけません。私は最近ジーンズがきつくなってきました。こりゃ、まずい。
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