ここは漫画人・吉開寛二のブログです。
私と作品たちのささやかなドキュメントを
記していきます。
2010
2010/2/10

本日
2月10日(水)

「
食漫・第10号」が発売されました
今回は
『金目尽くし丼』です

※『食漫』は
コンビニ、
キオスクでも
購入できます

8
2010/2/7
この歳になっても
しもやけになります。
子供の頃はしもやけ全盛期

で
あまりの痒さに
血
が出るまで掻きむしったものです
(この写真の
3倍は腫れていました)
もちろん治療もしました。
すり下ろした
大根を乗せたり
お湯と水に手を交互に入れたり
アロエを食べて、手に塗ったり
遠赤外線の放射に医療用塗り薬
あまりの痒さに畳にこすり付けたり
壁に手を叩き付け


痛みでごまかす毎日。
原稿を描く時は
机のそばに氷水

を常備。
5分おきに痒みを抑えるために
突っ込んでいました
最後は自分で
針を刺し
溜まった血を抜こうとしたことも・・・
医者もひと言
「
こら治らんねぇ、春まで我慢だね」
しもやけ人生も
長くやっていると
オリジナルの治療法を見つけ出すものです
しもやけは寒さで血流が悪くなり
温めると痒くて耐えられないという
やっかいな奴ら

ならば徹底的に温めてやると
ストーブ前
に座り全身の体温を上げ
手は
コタツの中へ、
半端ではない痒みに耐えること1〜2時間。
パンパンだった指は
熱で
フニャフニャに

・・・・・勝った

今では、猫のように
暖かい陽

のあたる場所を
探して原稿を描いています。
当時、小学生だった私に
親父の言ったひと言は
今でも忘れられません
「
良かったやっか、かゆい手を掻いたとき
誰よりも気持ちイイ思いができるだろ」

0
2010/2/5
原稿の上で
なまタマゴは開けないように
しましょう
彼には
申し訳ありませんが
時々
ストレス解消の
道具になってもらいます。
最近、持ち物を
赤
くしたくて
ちょい重めのシャープペンを
デビューさせました

0
2010/2/2
夜に降り出した雪は・・

今朝、こんなに
してました

子供達の
雪合戦の声で
目を覚ますのも
悪くないものです

0
2010/2/1

今日から

月
早過ぎです。
今年に入り
ほぼ毎朝“
もち”

を
食べています。

月も
モチベーションをあげて
もうちっとやるぞ

3
2010/1/27
私が漫画の道を
意識したのは
10歳。
読売国際漫画大賞という
応募総数
9600点
世界
61カ国が参加し
ひとコマ漫画でユーモアを競い合う
コンクール
に
応募したことでした。

前年の第4回大会に兄が応募し
見事、
入選。
親父に褒められる兄に嫉妬して
泣きながら描いた作品が
私の『
富士山どろぼう』でした。

この作品は
ジュニア・小学生部門で
優秀賞を受賞。
兄を超えた喜びに包まれ
授賞式のために家族で上京しました
審査員の
やなせたかし先生、
さいとうたかお先生
鈴木義司先生
石の森章太郎先生 など
大作家の先生方とも会える大チャンスでした
しかし私はある一言で
漫画の難しさ
を教えられることになります。

審査員の一人、
加藤芳郎先生が私のところに
近付いてきて
グラス片手にこう言われました
「
キミが『富士山どろぼう』を描いた吉開君か
実は大賞をとった作品とキミの作品は
同票・同点だったんだ」
「
でもね、僕が最後の一票を
相手の方に入れたから
キミは優秀賞になったんだよ。
キミは私のせいで世界一を逃したんだ。」
呆然と聞く私に
加藤先生は
票を入れなかった理由を言った
「
上から見ると丸い富士山が
縦長いトレーラーには乗らないだろ?」
会場に
植田まさし先生が来ていない
ことだけでも
かなりのショックを受けていた私は
加藤先生の言葉で完全に
ノックアウト

当時、調子に乗って描いていた私は
わずか
10歳にして漫画界の厳しさに
ずいぶんと落ち込んだものです

(
注・写真は落ち込む前のものです

)
ちなみに
その日、受賞式会場に
あの
手塚治虫先生も
いたことを知ったのは

写真が出来上がったあとでした。
この時まさか
手塚先生は自分の漫画コンクール
『手塚賞』に
ここにいた私が
9回も連続で
無茶な漫画を投稿してくるなんて
思いもしなかったことでしょう
しかし縁とは面白いもので
私はこの
14年後に
手塚治虫先生と
石の森章太郎先生に
不思議な形で
再会
を果たすのです

2
2009/9/18
こういう電車

が
通勤ラッシュで
超満員だと
切なくなります。

怖くて中を
見れませんでした
こんな
チャンスを
逃すなんて。
漫画家失格です。

やはり
大人は飲んじゃ
いけない気がして
買えませんでした
さらに失格です

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