先ずは、この二本が同時公開されるという興行に驚きます。
まあ、「俺は、君のためにこそ死ににいく」と「パッチギ LOVE&PEACE」の同時公開ほど敵対したものではありませんが。
石原VS井筒は、両方とも映画なので真っ向から比較することが出来ますからね。
では北野VS松本は、何かと言うと両方とも映画ではないのです。
北野作品は「映画を映画で無くそうととした映画」であり、松本作品は「入り口は映画だけど結局は映画でない映画」なのですから。
それと同じく、北野作品はラストムービーであり、松本作品はファーストムービーという真逆な存在でもあります。
「両監督ともお笑い芸人」「両作品ともスジらしいスジはない」「両作品とも見ないと分からない」など共通点があるように見えますが真逆ですね。
以下、ネタバレないように努めながら両作品の感想です。

「監督・ばんざい!」
一言で言えば、悲しい映画です。
「その男、凶暴につき」で一人ヌーベルバーグを開始し、「座頭市」で映画を成立させた北野監督。
「TAKESHI'S」という映画で自分の心境「自分は褒められる人間じゃない。貧乏な境遇に育ち、気弱で女に甘えてばかりのダメ人間だ。」と語ったにも関わらず、そんな作品すらも褒められるという結果に愕然としたたのではないだろうか。
しかも褒められるというのが、評論家、海外での評価であり、一般人の評価ではないことが興行成績に現れていると、その矛盾に耐えられなかっただろう。
そこで作ったのがこの「監督・ばんざい!」だ。
「TAKESHI'S」をも褒める世間に対し、褒められないためにはどうすればいいかを一生懸命考えて作られたのだろう。分かりやすく映画を馬鹿にし、映画を壊して、「褒めからの回避」を試みている。
北野映画好きにとっては、この必死の行動が痛々しいのである。
「世界のキタノではなく、単なるお笑い芸人・北野武」
そこに戻りたいと言っているこの映画を決して褒めてはいけないのである。
なので、この褒め殺しブログでは褒める意味でこの感想を贈りたい。
この映画は、見るに耐えない最低な映画です。
横道感想としては、鈴木杏ちゃん。めちゃ可愛いのだが、お肌の荒れが激しい。真鍋かをりから薬をもらった方がいいのでは?

「大日本人」
ジャンルが一言で言えない映画と言われているが、あえて言えば「偽ドキュメンタリー」と言えるでしょう。
この手法にしたことは、処女作としては実に上手い。北野監督は最初からカット割りや編集によって、独自の映画的手腕を発揮したわけだが、松本監督にこの手腕があるかどうかは未知であった。もちろん、それに挑むのが映画を作るということとも言えるが、松本監督はドキュメンタリーにすることで、それをサラリと交わしたのである。
で、感想としては予想通りであり、予想以上の出来にはなっていなかった。ただ、多大な期待をもって見に行って、この感想なのだから全然悪くない。この失敗していないということは重要である。
こう書くと「いや、失敗でしょう」という感想を持つ人が多くいると思います。でもいいんです。元々、松本人志は「面白いと思えなかったらそれでいい」と思って作ってるでしょう。
「この映画にはこんな暗喩が込められている」なんて言うことも可能だが、そんなことは面白くなかった人にとっては「どうでもいいこと」なんです。
もちろん、ラストでもう一度ドキュメンタリーに戻れば、映画として成り立っていたことは明白でしょう。しかし、それをすると褒められてしまう可能性がある。褒められれば、北野監督のように近い未来、矛盾を感じて苦悩してしまう。だから、松本監督はいや松本人志は、このような形にしたのだろう。
いづれにせよ「頭頭」で受けた衝撃同様の作品が作られたことに喜ばずにはいられません。
横道感想としては、やはりこれが「金がかかった特撮映画」であることでしょう。怪獣映画好きとしては、予算があれば凄い怪獣映画を作ることができるんだということをこの映画が証明してしまってることにいささか戸惑う。
怪獣映画ファンは少ない予算のミニチュア、キグルミの特撮をリアルだと思いこんで楽しんでいる。そして、現代のCGでは「特撮という味」が消えてつまらなくなると考えていた。
なのに、この「大日本人」は莫大な予算で、それが間違いであることを示してしまった。(しかも分かりやすく比較までして)
これから怪獣映画好きは「出来るけど予算がないから出来ない」という悲しみを胸に、特撮映画を見なければならないのだから辛い。
とりあえずは、この「大日本人」に登場する獣のソフビがどこかから出ないものかと祈るのみ。

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