はじめに  

ここは管理人"かず"が読んだ旅の本、旅を感じる本、旅に関係してもおかしくはない本等の読書録です。
テンでばらばらな本達かも知れないし、感想もイマイチかも知れない。
でもそれでもいいのです。
旅に出れないなら、本でも読んで、ネットでもして、旅をした気になれればいいのです。
カテゴリーは結構適当かも知れません。カテゴリーから自分が読みたいな、と思う本に出会えるかは運次第だと思って下さい。かずがそのカテゴリーの本として読んだ、と言うだけなので。
ではでは、みなさんが空想旅行が出来ますように…

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2014/8/28

世界飛び地大全  【購入録】

久しぶりに近所の本屋さんへ。
…とは言っても、今月、ちゃんと行っているし、他の本屋にも行っているんだけれども。

そしたら…




文庫化になってた…。

まさか文庫になるとは…ね。
思ってもいなかっただけに、びっくり。

案外、面白くて、Webの方は良く見てたりするんだけれど。

ってなコトで、つい手が出てしまいました。
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タグ: 旅の本 飛び地

2012/5/16

078●辺境遊記  ●紀行文:世界全般

著:田崎 健太
絵:下田 昌克
刊:英治出版

『cuba-ユーウツな楽園』などの著作があるノンフィクションライター(今のメインはスポーツ関連の様だが)の田崎 健太氏が文を担当し、2年間の放浪記をまとめた『PRIVATE WORLD』に代表される様に、とても特徴があり、温かい絵を描く下田 昌克氏が絵を担当した合作。

この2人が揃っているだけで、何とも豪華な顔合わせで、つい買ってしまった1作だが、内容・場所も然りである。

まず2人が訪れているのが、キューバ・リオデジャネイロ・小笠原諸島・ツバル・カトマンズ・サハリン・南大東島・ダラムサラ…
こそばゆい程に“旅人ココロ”をくすぐってくれるチョイスである。
遠い場所だけでなく、近いけれども交通の便が悪く、行ったコトのある人が少ない様な場所まで、“辺境”と言いつつも、幅広い感じがある。

内容ももちろん、かなりイイ感じ。
単なる2人の旅行記として終わらせるのではなく、歴史的な背景も織り交ぜて、人・町に焦点を当てている。
そこに下田氏の温かみのある絵が入ってくる。
“辺境”だからと言って短絡的に考えられる様な悲壮感がある訳ではない。
いや、そもそも“辺境”と言うコトバは、単に日本の、それも“東京”から見たら…と言うだけに過ぎない。そこには当たり前だが、それぞれに住んでいる人がいて、住んでいる場所とそれに繋がるルーツに誇りを持って生活しているのだ。
逆に、東京に住んでいる人達が、こんなに自分達が今、住んでいる街を、誇りに思いながら生きているだろうか…とすら思う。

我々日本人は、今や旅立つコトは、簡単に出来る。
学生でもフリーターでも(会社員は多少、難しいだろうけれど)、色々な国の色々な場所に行くコトが出来る。
だが、自分達のルーツと言うのは、変えるコトが出来ない。
ルーツがあって、旅で受ける・感じるコトが変わってくるのだが…

土地・ルーツにアイデンティティを持って生きている場所。
そう言う場所を旅して行って、1冊の本になった。
そう言う1冊なのだ。

1章1章の長さもちょうどよく、旅人が旅人として通り過ぎて行く感じがある。
所詮、旅人は通り過ぎて行く者だけれども、それでも“行ってみなければ、分からない”のである。
だからこそ旅は楽しく、面白く、そして気楽な感じなのだと思う。
でも“知る”、そして“見て感じて来る”コトに意味があるのだとも思う。



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2011/9/17

077●グアテマラの弟  ●紀行文:オセアニア・北南米

著・片桐 はいり
刊・幻冬舎

著者は本業が俳優である。
僕自身は、彼女の演技がとても好きなのだけれども、その理由は、きっと肩に力を入れる訳でもなく、ゆったりと、自然体で見ていられるからだ。
何か山あり谷ありを無理矢理にでも作らなければならない芸能の世界の物語の中で、自然体で演技するのは、とても難しいコトだと思うが、それ以上に、見る側も、自然体で見ていられると言うのは、さらに難しいコトだと思う。だが、彼女が出て来ると、どうも彼女の世界観に巻き込まれて行ってしまって、ついつい見てしまうのだ。
小粒と言えるキャリアの持ち主でもないのだが、どんな脚本の世界にいても、見入ってしまう。
そんな女優だ。
そして、そんな演技をする人だ。

そして、本書は、そんな彼女が書いたグアテマラ滞在記である。

俳優が書く本。

多忙の本業の合間を縫って書き進めて行く訳で、やっぱりどうしても色眼鏡で最初、手に取った。
いや、これがもし“片桐はいり”が書いた本でなければ、手に取らなかったかも知れない。
しかも、舞台となるのは、中米のグアテマラ。

グアテマラって、また…。
そう言う感じである。

日本人の旅人の中で、中南米を旅する人には、知られた国の1つなのだろうが、そうでなければ、ほぼ無名に等しい国である(しかも本書でメインとなる町はアンティグア!これまた日本人の旅人ならば知っている町の名前だろう…)。

グアテマラにいる弟に会いに行く。
グアテマラに弟が住んでいると言うコト自体が、まず凄い気もするけれども、そこでの出会いや出来事を中心に本書は成り立っている。

絶妙だな…
そう思わせるのは、旅と家族(自分自身を含めて)とのバランスの良さである。
“家族に会いに行く旅”でゃあるが、そう言う話は、どうしても“私”の部分が前に!前に!と出てしまうモノなのだが、別に読み手からすれば、幾ら、俳優とは言え、そこまで“私”の部分を読みたいとは、思えない。
かと言って、“旅”の部分ばかりが強くなると、マイナーな国でもあるので、読み進めて行く内に、どうしても疲れて来てしまう。

そのバランスが、何ともちょうどいいのだ。
そして、そこに出て来るアミーゴとの話も。

普段から演技と言う世界の中で、自分を殺して他人になっている。
もしくは自分を一歩引いて、演じているからこそ書ける。

そんな感じ。

別に3人称とかでもないのだが、目新しいコトが幾つもあるのに、何処か自分を引いて、それでいて自分をさらけ出している。
こんな本は、俳優だから書けるのだ。

どうしても、そう思わざるを得なかった。
演技として体で表すのか、それともこうして本にするのか。
その方法は違えども、“表現する人”“発信する人”なのだな…と、感心してしまった1冊。
そしてとても読後感が、心地良い1冊。


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2011/6/6

076●北緯14度  ●紀行文:欧州&アフリカ

著・絲山 秋子
刊・講談社

何だろう、このイライラ感は。
読んでいても、全く以て、感情移入も出来なければ、共感を覚えたり、逆に反感を覚えたりする訳でもなく、ただ読み進めて行くのが、疲れて、そしてイライラしてしまう。

これが読み始めた時の、最初の印象だった。
そのイライラ感は、なかなか解消せずに、遅々としてページが進まなくなってしまった。

文体のせいではなく、ただ文句を書き連ねただけの自己中心的な話。
パッケージツアーでの話でもないのに、ただ誰かに守られ、それなのにその中で、ひたすら文句だけを書き連ねているだけの旅行記。

それもその筈である。

フランス語で“疲れる”“骨が折れる”“疲れた(様子的に)”“うんざりさせる”“うるさい”と言った意味がある“ファティガン”と名付けられたのが、第1章であり、本書の半分を占めているのだから。
そりゃ、疲れるし、うんざりするし、骨が折れるのである。

アフリカ・セネガル。
西アフリカに位置するこの国を、芥川賞を受賞したコトのある著者が、2ヶ月に渡って訪れた時の紀行文が、本書である。
“芥川賞作家が描くセネガル”。
これにボクは、何を期待したのだろう。
読んで行くに連れて、そう思わざるを得ない状態になっていた。ま、著者の芥川賞受賞作は読んだことがないのだけれども、とにかくイライラするのだ、著者の行動に。
ようやく著者の人となりが、ぼんやりと伝わって来て、この自己中心的な旅行記(いや、旅行記なんて、所詮、そのほとんどが自己中心的であり、自己満足なのだろうけれど)にも慣れ、イライラ感をスルー出来るようになってくると、今度は、ふとした疑問が出てくるようになる。

“この人は、何故、旅に出たのだろう”
そう言う疑問だ。

そこで思うのが、他の自己中心的な旅行記でも、共感出来たりするのは、その旅が、“自分が望んだ旅”だからなのではないだろうか…と言う事だった。“仕事の為の旅”と“自分が本当に望んだ旅”と言うのは、同じ旅という行動であったとしても、やはり見方や感じ方が変わってくる。
いかに著者が、30年来思い続けて来たドゥドゥが生まれた国とは言っても、何となく“仕事の為の旅”と言う感じが抜けないのだ。
そしてその差が大きいのでは…と。

自分を飾らないコトバで描いていると言えば、宜しく聞こえては来るのだが、それにはやはり限度がある。
文句だらけの旅行記なんて、誰も読みたくはなくて、単行本化するまでもなく、私的なHPかブログでまとめるに留めるべきだったのだ。

さらに残念だったのは、著者の行動範囲の狭さだ。
確かに旅人の行動範囲なんてモノは、狭くて、たかが知れている程度にしか過ぎない。だが、折角、2カ月も滞在出来るのだ。何だかとてももったいない気がする。もっと1人で、もっとアグレッシブに動けば、もう少し面白い1冊になっただろうに。

折角の企画。
ただ同じような企画で著者がインドに行こうが、ペルーに行こうが、何となく同じような文句ばかりを書き連ねた1冊になる気がする。
やはりフィクションを描くのと、ノンフィクションを描くのは、同じ“描く”でも違うコトなのだ、と改めて実感。

そして、本書の対象が、旅行記が読みたい人や、セネガルについて知りたい人ではなく、絲山秋子が好きな人…なのだろう、とも。


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2011/3/26

075▲血税空港‐本日も遠く高く不便な空の便‐  ▲交通

著・森 功
刊・幻冬舎新書128

日本の空港行政の迷走は、もう何年間も、色々な本や論文で取り上げられて来た。最近は、羽田空港の新滑走路建設によって一息ついた感があるが、根本的には何も変わっていないし、世界の流れに、全く追いついていないのが現状だ。

その空港行政の餌食になっていたのが、旧JAS(日本エアシステム・現在はJALに合併)であり、JALの経営危機問題は、自身の親方日の丸体質にも大いに問題があったが、大して利便性の向上も、利用者も見込めない空港を、全国津々浦々に99か所も造り、圧力でローカル路線を飛ばせて行ったコトも、今になって経営の首を絞めている一因になっている訳だ(勿論、それだけではないし、公共交通網の整備としては、ある意味仕方がない部分もあるだろうけれども)。

島国・日本。
確かに公共交通機関の一翼として、(特に離島など)必要な空港はある。例え、需要が少なくとも、必要な空港はある。島国なのだから、他の国よりも空港数が増えてもおかしくはないのだが、長期的な視野もなく、ただ赤字を垂れ流し、税金が入って行く今の現状。
そうした現状を、どちらかと言うと消費者・利用者と言う視点ではない角度から描いたのが本書だ。
そこが他の類似書とは少し異なっている感じ(しかも、別に空港や運輸系の学問専門の人でもないし)。
だが、データなどは、新書と言えどもしっかりしている。ヒアリングなどもしっかりと裏付けがなされていて、読んでいても安心が持てる。特に空整特会(空港整備特別会計)については、しっかりと調べられている感がある。初めて読む・知る人に対しても、これだけのデータがしっかりしている書ならば、分かりやすいと思う。

だが、残念な点もある。
それは批判の中身に新しさが全く感じられないのだ。
2009年開港の静岡空港の話題を織り込んで、新しさを感じるようにしているのかも知れないが、問題の根は変わらずだし、そもそもの静岡空港の問題点も、開港前から、かなり色々なメディアで取り上げられていたコトである。
ただ単に実態・現状を報告しただけで、問題点に対しての答えも薄いのが、正直残念。
これだけ指摘・批判点が的を得ていて、上手にまとめられているだけに、筆者なりの考え方も読んでみたかった。尤も、ページ数的にそれが厳しかったのかも知れないけれども。

でも、そうしたマイナス面を差し引いても、今までの空港行政の流れが、上手くまとめられていて、そういった意味でも良書だと言える1冊である。



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タグ: 鉄道  空港

2010/5/31

074■イスラーム戦争の時代-暴力の連鎖をどう解くか-  ■宗教




著・内藤 正典 
刊・NHK BOOKS1057

9.11のアメリカ同時多発テロから始まった21世紀の“新しい形の戦争”。本書ではそれを“イスラーム主義者と世俗化したイスラーム世界諸国”“イスラーム主義者と世俗主義のヨーロッパ”“イスラーム主義者と軍事力でムスリムを攻撃するアメリカ”の3つの流れの中で発生しているとして、文明間での衝突という形の戦争ではなく、個人対国家での戦争だと考え、その枠組みの中で、本書は書き進められている。
まずは、イスラムにおける現状からの分析で、一口に“ムスリム”“イスラム”と言っても、キリスト教や仏教と同じように、考え方や接し方は国によって差がある。それらを、分かりやすく読ませてくれるのだが、何と言っても、本書の特徴は、ヨーロッパの中のイスラム描いている点である。専門書なら類似する本は他にもあるのだが、選書と言う形で、こうした内容をしっかりと描き上げている本は、他にはあまりナイのではないだろうか(因みに、本書で取り上げているのは、イギリス・オランダ・フランス。出来れば南欧の国としてスペイン、東欧として旧ユーゴスラビアの国のどこかについても記述が欲しかった感じがある。ページ数の限界との関係もあるのだろうが、双方とも、歴史的にはイスラムとは関係の深いヨーロッパの国になるので)。
そして、イスラムと言うアイデンティティとEUと言う枠組みの中で動くトルコについては、1章分、別立てになる文量で取り上げられている。
イスラムと西欧式の民主主義との問題を、上手いバランスで書いているとは思う。だが、アメリカとの関係については、意外とあっさりとした感じに終わっている。アメリカが、幾ら世界の中で相対的に、力を落としたと言えども、やはり唯一の超大国なのに…と思ったのだが。
ま、著者の経歴を確認して納得はする。
専門が、“現代イスラーム地域研究”と“イスラームと西欧の相関文明論”だそうで、確かにその範囲内で仕上がっている。ただ、やはり日本人の専門家が描くのであれば、こうした一連の暴力・戦争の負のスパイラルに対して、日本がどういうスタンス・立ち位置で関わって行くのがいいのかも描いて欲しかったし、専門家からの視線を読みたかったかな…と言う気もしてならない。
いや、日本と言う外交能力のナイ国に出来るコトなど、ほとんどナイに等しいと言うコトなのかも知れないけれども。
それにしても“国”“国家”とか、“宗教”“民族”と言うようなキーワードに、我々、日本人は無関心すぎるのでは…?と、ふと思ってしまった。“宗教”は個人の問題だからしょうがないとしても。そしてそうした国が、いつか門戸を開かざる日が来るであろう“移民”問題に、どう接していけばいいのだろう。
この本に出てくる欧州の国々は、そうした移民問題に、既にぶち当たっている。我々日本と言う国も、遅からずこうした問題にも直面して行くのだろう…

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