2010/2/6

函館本線 北豊津信号所2  駅舎

(つづき)

それから、3年後の1986年(昭和61年)8月20日に訪れます…
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この年の翌年には、国鉄の分割民営化を控えて、民営化に向けた様々な合理化を進められた年でした…

廃止対象路線の国鉄ローカル線の廃止や第三セクター化が相次ぎ進められます。
また、地方ローカル線との接続駅での貨物列車の廃止とコンテナ化を進められて、後に多くの地方ローカル私鉄が廃止になってゆきます。
国鉄で100年以上輸送していた、荷物・郵便の取り扱い業務の廃止と列車の廃止など。
それにより、民営化を控えた時の職員の余剰人員問題と組合差別の問題が浮き彫りになります。(経営破綻した飛行機会社と似ています…)

また、労働者側のモラル低下の問題も取りざされます、(タルミ事故や就業時間内の入浴の横行など)そのような背景の中、北豊津信号所に訪れました。

訪れた時は、合理化の為に駅員さんは1名になっていました…
年齢も、30〜40代の駅員さんです。
以前に訪問した時のように、迎えていただきました。

私の方から、以前訪問した時の状況を伝えたところ、詰所に招きいれていただき、職場規律の問題から、駅詰所にあったテレビは撤去されており、妙に静かな雰囲気です。列車のブザーが鳴る度に、「列車見て来るからさぁ〜」と慌ただしくホームに駆け上がります。

駅員さんの許可を得て、背後から一枚の写真を撮らせていただきました。
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一息、着いた所で駅員さんから、新会社(JR北海道に)に移行が出来ないとの返事をされていたのを思い出します…

あれから、25年…

国鉄から、JRになりそれと共に、北豊津信号所から駅へ昇格。
合理化で、無人駅となりました。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にて現在の北豊津駅です。
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駅の待合室は取り壊されて、詰所が待合室に改造されているようです…

今となっては良い思い出です…
子供がもう少し大きくなったら、行ってみたいと思います…
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2010/1/30

函館本線 北豊津信号所  駅舎

 今でも、思い出が残っている駅があります。函館本線の「北豊津信号所」です。
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訪れたのが、1983年(昭和58年)8月3日です…
詳しい日付を覚えているのは、記念に乗車券を買っていたからです。↓
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信号所でありながら、駅員さんもおり、乗車券も販売していました。
発行駅の箇所に(信)の文字が記入されています。
1983年ごろは、巨額な赤字を抱えていた国鉄が民営化への論議が始まっていた頃だと思います。


ふらりと降りた私を、駅員さんは暖かく迎えていただきました。

次の列車が来るまで(約1時間ぐらい)ですが、駅員詰所に入れていただき暖かいお茶をいただいたのを思い出します。

その当時は、初老の駅員さんが2名いました。列車が近づくブザーが鳴る度に、駅員詰所から駅員さんがホームに駆け上がり、列車を見送っていたのを思い出します。

記念に乗車券を買うと、「滅多に売れないんだよなぁ。北豊津のハンコ押しとくからさぁ〜」と1枚の乗車券を購入しました。
滅多に売れないのは本当で、夕刻に買ったのですが、裏には赤鉛筆のスジガ入っていました。
(*前日の売上計算の為に券の裏にチェックを入れていたため)

乗る列車が来ると、「気をつけて行きなさいよ!」と、ホームから見送っていただいたのを思い出します…

そして、3年後再び訪れます…(つづく)
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