社会保険庁の解体で、
(多くの責任をウヤムヤのままで)
日本年金機構などができるのですが、
9割近くが元社会保険庁の方々になるらしいとか・・
形だけ”民間”にしても、
中身が変わらないのだから・・
これから先も年金の管理は怪しいままかも?笑
またよく言われる、
主に若者の年金未払い問題のことですが、
(とても払える状況でない人々も多いのも事実)
誰でも呆れる年金管理体制の社会保険庁。
今までバレナイできたので、
ある時期までは未払い者も少なかったでしょう。
それでも、
賢い?勘の働いた人々は、
いい加減な管理を逃れようと、
義務を履行しなくなりました。
(当然、年金は貰えないわけですが、
無くなってしまうよりはマシ?)
そして、
社会保険庁のボロが見え隠れした頃には、
未払い者がもう半数を超え始めました。
こんなにいい加減に管理されて消えてしまうくらいなら、
義務でも収めずに、
しっかり自分で管理しておこうと考えるのも頷けます。
(親としても、我が子に収めるべきと言うべきか否か
数年前から疑問が解消されません^^;)
* * *
世の中には、モラルとか道徳とか、
一応最低限のモノがある事は理解しています。
”人を傷つけない”
”人の幸福を奪わない”
”人の嫌がることをしない”等々
そこで、最近報道の「落書き事件」から、
日本人の道徳感などを考えてみました。
(詳細が伝われば伝わるほど、
最重点で騒ぐべき事柄かと思いつつ)
言葉の分からない観光地で、
そこココに落書きされた場所があって、
現地の物売りからサインペンなど売られ、
「
落書きすると幸せになれる!」
などと言われた時、
ルンルン気分のカップルが、
理性的に「落書きはいけない」と、考えるでしょうか?
(私だって自信がなかったと思います・笑)
例えばそれらの行為は、
イタリア・トレビの泉にコインを投げるのと
同じ感覚でなされたとしても不思議はないのでは?
トレビの泉にしても、
コインだったら許されて、
ゴミや何か他の異物などは×でしょう。
何れも人々の良識で判断していることです。
落書きの良い悪いを問う前に、
物事はケースバイケースだと思います。
(生死に係る事は、大いに問題視しますが)
ダメと規制しても落書きする人々はいます。
(例えば、教室の机など、
思い当たる人も多いのでは?笑)
* * *
それでも世界遺産等であった場合
(その人にそれらの知識があったとして)
一般的な日本人感覚からすれば、
落書きなどしないと想像します。
誰も見ていなくとも、
落書きをした場合、
何よりも
”自分自身が見ているという事実”
を分かっているから、
自然とブレーキが掛かります。
(お天道様が見ている・・”
お天道様教”と呼びます。
雨が降ろうと、お天道様は見ているのです・笑)
本来、日本人の中には
”お天道様教”が根強いと考えます。
もっとも落書きという、
バカバカしい行為自体
本当の大人はしませんよね?
* * *
マスコミ等で騒がれている
落書き人には、
その時には罪悪感はなかったと思うのです。
(日本人特有の”
皆もやっている”との思いと共に・・
そして、当然恥ずべき行動だったわけですが)
ですから
一部だけを切り取って、
声高に、
モラル・道徳云々を叫ぶ人々を
私の場合、疑り深い視線で見がちです。
「アヤシイナ〜」と。
また物事をハッキリ断言することにも抵抗があります。
「絶対」などなさそうに思えるからです。
ある立場から見れば”正義”でも、
べつの視点に立てば、
正義ではなくなる事も多いのでは?
誰にとってのモラル・道徳かを問う時、
様々な視点から見るべきでしょう。なぜなら、
”
良いことの落とし穴”もありそうですから。
最近のマスコミこぞっての非難に、
ドド〜ッと流されるのではなく、
も少し自分のこころに問いかけて・・
自分はドウ思うかを考えてみて欲しのです。