そのニュースは今朝の通勤中に知った。
普段はCDをかけている自分の車が、この数日はCD入れ替えのため音楽ではなくTVを流していた。
その車載TVから流れる報道を聞いて、さすがに驚いた。
マイケルが心身ともにボロボロになっているのは以前から知っていた。だから倒れたというニュースには驚かなかったものの、時間を置かずして亡くなったというのはやはりショックだったのだ。
自分は死に対して普通の人よりも冷静でいられるタイプだと思う。
それは、自分が(教会にはいかなくなったけど)クリスチャンであり、「死んだらそこで終わり」じゃなく次のステージがあることを強く信じているからだ。
といっても、身内を失った場合の喪失感はやはり他の人となんら変わらない。次のステージがあろうが無かろうが、今を共に生きてくれる人を失えば、その悲しみは相当なものだから。
自分は独身だし今は守るべきものもなく、「いつ亡くなってもいい」という覚悟があるため、これまで自分の身体に対してかなりの無茶をしてきた。
でも、これからもし結婚して家族を得たら、嫁さんや子供たちのために長生きするように努めようと思っている。
だから自分はニュースで誰かが亡くなったと聞くと、まず残された家族のことを考える。
マイケルを失ったことで、悲しむ子供達のことを。
もうひとつ、亡くなったその人にとって、どれだけ充実した人生を送れたかに心を巡らせる。 そこに長い短いはなくて、生きている間にどれだけのことができたか、あるいはどれだけのことを経験したか、そのことを考える。
それは自分が、生きていることには必ず意味があると考えているからだ。
マイケルは今日、亡くなった。
自分は彼のファンで、横浜の来日公演にも行ったし、年末に彼のことをブログにも載せた。
http://blue.ap.teacup.com/applet/violin/20081229/archive
彼は100年に一人と言っていいほどの溢れるばかりの才能を天から与えられた、文字通りの「天才」だった。
ただ天才が故に常に回りの人に注目され、心ない人たちには傷つけられ、誤解を受け、孤独で、普通の人のように生きるには少し苦しかったのだと思う。
一般人の感覚では考えられないような浪費、整形なども、彼の立場にたって考えれば理解できるものもあるだろう。
マイケルには家族がいたから、残された子供達の喪失感を思うと、その訃報は悲しく、残念だ。ただ、彼は世界中の人にあれだけの幸福感を与え続けながらも、自分自身は生きることに苦労していた。
来月から始まる予定だったロンドンでの大規模ライブは、彼の引退ライブとして計画された。自分は、マイケルが最後にどんなパフォーマンスを見せてくれるのか楽しみにしていたが、それは幻となった。
しかし、ほんの少し時計は早まったけど、彼自身のこの人生での使命は終えたのではないかと思う。
彼は十分に夢を与えてくれた。生きることに苦労していた彼にとって、今亡くなることは決して不幸ではないのかなとも思う。
「次のステージ」で、いつかまた彼のパフォーマンスを見ることを楽しみにしている。
いままでありがとう、マイケル。
Rest in peace MJ...
Man In The Mirror
http://www.youtube.com/watch?v=1zpTQCQEFhg&feature=related

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