「悲運の馬」の項で、主役が惜しくも偉業を逃す一方で、負けつづけることで偉大な主役を引き立ててしまった馬達も紹介した。
名脇役といえば聞こえがいいが、言葉を変えれば「奴さえいなければオラが主役だったのに!」ということでもある。テイエムオペラオーに負け続けたものの、しっかり宝塚記念はモノに出来たメイショウドトウはともかく、アリダーやイツセイなどは泣くに泣けない結果でターフを去っていった。
サンデーサイレンスと星を分け合ったイージーゴアなどはお互いがいたからこそその輝きが増したのだが、多くの馬は主役に食われて消えていった。
しかし、そのなかにはただ悲運の馬で終わるだけでなく、その息子にリベンジを託すおちゃめさんもいたのだ。
ビゼンニシキ、1981年生まれ。シンボリルドルフと同期のこの馬は、按上に名手岡部幸雄を配してデビューから4戦4勝、パーフェクトな成績で1984年クラシックの前哨戦である弥生賞を迎えた。そのレースで当たった相手が、当時3戦3勝のシンボリルドルフであった。
このレース、岡部騎手がルドルフの主戦でもあったため「果たして岡部はどちらを取るのか」と注目が集まったが、岡部はあっさりとルドルフを選択してしまう。しかしルドルフは休み明け、しかも馬体重が18sも増えていた。一方でここまで順調に使われてきたビゼンは2000mの距離適性でもルドルフを上回っていると考えられ、このレースではルドルフを従えて一番人気に推されたのである。
しかしレースはルドルフに完敗の2着。
そしてリベンジを期した本番の皐月賞では、今度は-22sという馬体重で出てきたルドルフにまたも完敗の2着。岡部の選択が間違っていなかった事が証明された裏で、ビゼンニシキはダービーも大敗してひっそりとターフを去っていった。
しかし、彼の戦いはこれで終わらない。シンボリ−ビゼンの「SB対決」は、8年後に甦ったのだ。ビゼンニシキは種牡馬となり、その仔ダイタクヘリオスをターフに送り込む。1992年秋の天皇賞、そのダイタクヘリオスが挑む相手は、1番人気トウカイテイオー。あのシンボリルドルフの息子であった。
そしてレースの結果は・・・トウカイテイオー7着、ダイタクヘリオス8着。(T_T)
東京の長い直線に入り馬群の先頭で一瞬テイオーとダイタクが並んだ瞬間、三宅アナが「SB対決か!」と叫びオールドファンは歓喜したものだ。これぞ競馬の醍醐味。
しかしダイタクは父に続きこのSBジュニア対決で遅れをとってしまう。
それから2ヶ月、暮れの有馬記念で再度1番人気のテイオーに挑むダイタク。ダイタクにとってはこれが引退レース、親子リベンジの最後のチャンスである。
そしてレースの結果は・・・トウカイテイオー11着、ダイタクヘリオス12着(!)
最後までビゼン&ダイタク親子は、ルドルフ&テイオー親子の後塵を拝しつづけたのである。
ああ、悲しき親子リベンジよ・・・!
ビゼンニシキ(左)とダイタクヘリオス(右)
「父ちゃん、やっぱり勝てなかったワン・・・」 「む、息子よ・・・(T_T)」

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