少な目の積雪…それでも降雪…溶けて、凍って…そして足下が悪い…そんな状態が小刻みに繰り返され、段々と日照時間は長くなる…
最近、新聞の1面下方にある随筆的な一文に興味深い一節を見付けた。
<大軍の統率には困難が伴う。だがアッティラが採用した規則は、ごく少なかったようだ。二つが知られている。「悪い報告をした兵士は褒めよ」「悪い報告をしなかった兵士は罰せよ」。耳にしたくない事態にきちんと対処するところから、大王は支配を進めた。ところがアッティラは急死する。強固だったはずの国は、何年もたたずに滅亡した。ローマを震え上がらせた大国とは思えないもろさだ。アッティラの後継者は、都合の悪い現実を直視する能力を失ったのだろうか。>
ローマ帝国を脅かしたアッティラ大王の話しを引き合いに出した話しだ…些か唐突な感じもしないではないが、要は「都合の悪いことの扱い」という主旨なのだ…このお話しは以下のように結ばれる…
<保身や出世のため、トップは「不都合な真実」に目をそむけ対処を先送りする。部下は直言を避け、あるいは失敗を隠す。自浄能力のない組織の運命は、アッティラの帝国と変わるまい。>
こういう事例だが、身の回りには余りにも多いような気がする…
物事に「“100%”の○か×」というのは少ない。例えば「30%の○と70%の×」というような、良いことと悪いことの組み合わせになることが多い。言わば“カクテル”である…
“カクテル”は比率を変えて酒類やジュースを混ぜる…同じ比率で混ぜたものでも、人によって味の感じ方が違ったり、微妙に配分を変えると味の感じが変わるのが面白かったりするが…物事の“○と×”にも似たようなところがあるかもしれない…
例えば「30%の○と70%の×」であるものを、「70%の○と30%の×」と“嘘”を吐いたらどういうことになるであろう?「31%と69%」、「29%と71%」というような少しばかりの違いは、同じカクテルを飲んでも「濃い」と思う人と「薄い」と思う人、或いは「呑み難い」と思う人と「呑み易い」と思う人が居る程度のことであろうが、「30%の○と70%の×」であるものを、「70%の○と30%の×」と言うのは、喩えて言えば「ウォッカが入っているのに、“入っていない!!”と言う」ような次元の嘘である…
多分、嘘を言ってしまったら…そこから先は「嘘の上に嘘を重ねる」ことになり、「取組を継続することにより、得られていたであろう果実」が減少し続けることになるであろう。スタート地点が少しずつずれるのだから、事を重ねる都度に軌道がずれるからである…「充分に成功している…」というような内容の、“思い込み”という名の“加減の好い湯”に浸かった状態で、“次の一手”というような課題や、課題への対処などを見出し損ねる場合が増える…“悪循環”である…
「“70%の○と30%の×”と吹聴するが、実は“30%の○と70%の×”が本当では?」と疑問を発する者が居て、その疑問に関して真面目に考えれば“悪循環”を切って良い循環を創り出す機会を設けられるかもしれない…しかし、そういうことを言う者を「おまえがおかしい!!」と指弾するようなことをし、都合の悪いことは聞こえない状況を創り出すというのが往々にしてある…
よく「計画・行動・評価。また行動」というようなサイクルで物事を進めることが大切であるなどという話しを耳にする。それは結構だが、この中の“評価”というものが、実は難しい…「“70%の○と30%の×”と吹聴するが、実は“30%の○と70%の×”が本当では?」と疑問を発することが、所謂“評価”そのもののように見受けられるが、そこをいい加減にしてしまうことが余りに多いのだ…そして…そういうことをやっている張本人が「計画・行動・評価。また行動」というようなサイクルを「大切にしたい…」などと口にする場合も多い…
たまたま新聞で見た一文を通して、色々と考えた…

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投稿者: HN TASHKENTまたはwakkanai097
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