■ずいぶんお待たせしたかもしれません。函館「バル街」(その6)をお届けします。「バル街」の実行委員であり広報担当であるhoshinoさんには、資料提供や、このBlogへのコメントなど、たいへんお世話になりました。お礼申し上げます。
■前回、「
函館のバル街(その5)」の投稿では、「函館西部地区2004秋のバル街 報告と記録」【資料2】をもとに書きましたが、今回はその続編です。今回は、「函館西部地区2005春のバル街 報告と記録-ここを通りすぎた風が。」【資料3】をもとに、述べていきたい思います。
■少しお断りしておくと、投稿「時間がなくて・・・」のコメントにも書きましたが、私の「バル街」対するスタンスは、「バル街」そのものの評価というよりも、「バル街」が函館の街に対してどのような価値や意味をもちうるのか、という点にあります。また、これまでもそのような議論を展開してきました。ですから、これから始まろうとしている「バル街W」に関する直接的な情報、あるいは「バル街」を楽しむための情報をお求めになっている皆様には、たいへん申し訳ないと思うのですが、そのような「楽しい情報」はここには、まったくありません。むしろ、現場の皆さまに「
考えていただきたい」点を、ここに書いておこうと思うのです。どうかお許しください。「バル街」がさらに「
成長・改良・発展」していき、いつか私も近い将来開催される「バル街」に参加できればと思っています。
■さて、今回の題材、「函館西部地区2005春のバル街 報告と記録-ここを通りすぎた風が。」【資料3】を読みましたが、冒頭から、これまでの(その3)〜(その4)で述べてきたことと関連することが出てきます。
■実行委員長の
深谷宏治さんは、「第3回バル街を終えて」のなかで、次のように述べています。予想以上に拡大し、いろいろ課題はあるが、「いくつかの課題も何とか解決できるのではないかという気になる」と述べ、そのすぐあとに、「
あの夜の街には、サービスする側にも、される側にも、サービスの基本であるホスピタリティが溢れていたように思う。何か旧市街地の財産とともに、ソフトの財産も掘り当てたような気がする。」ここで深谷さんが述べていることは、たいへん重要なことだと思います。
■私は、(その5)のなかで、次のように述べました。「
そういうお金とサービスの『交換』ではなく、いろんな人たちが参加するなかで、お金とは異なる別の“豊かさ”を相互に与え合い、『交歓』(ちょっと駄洒落・・・)するような方向で『成長・改良・発展』 していくと、この『バル街』の内側からさらに面白い展開が生まれてくるのではないか」。いかがでしょうか。少し、サービスという言葉に関して深谷さんと私とのあいだでは、ズレがあります。深谷さんは、「サービスの基本であるホスピタリティが溢れていた」と述べています。それに対して、私のいうサービスとは、単に、お金で交換されるようなものとして捉えています(あくまで、この文章に限ってですが・・・)。「私を誰だと思っているの。お客よ、お客。お金を払っているのだから、ちゃんとサービスしなさいよね」っていう感じです。どこのチェーン店とはいいませんが、マニュアル通りにアルバイトを接客させるさいのサービスといっていもよいかもしれません。ですから、深谷さんのいうサービスとは、私の言い方でいえば、「
お金とは異なる別の“豊かさ”を相互に与え合う『交歓』」ということになります。
■実際、深谷さんご自身、「
サービスする側にも、される側にも」とお書きになっていることは、そのことを示しているように思います。これは、社会科学(社会学)でいうことろの「
贈与」の概念に近いものです(贈与税の贈与とは違いますよ)。近年、たくさんの地域で「地域通貨=エコマネー」を用いたまちづくりが行われています。このような現場での実践は、いっけん、通常の市場を媒介にした日本銀行券とサービスの交換のように見えるのです。しかし、そうではなく、地域通貨とサービスの交換の背後には、もっと別の“豊かさ”が流れているのです((その3)と(その4)では、「
公共性」と「
社会関係資本」という概念を用いて、このような“豊かさ”を支える社会的土壌ないしは基盤のようなことについて述べてきました)。この「バル街」で、チケットを購入し、たくさんの市民の皆さんが西部地区にむかうのも、お酒とピンチョスを楽しむことの背後には、深谷さんのいうところの「ホスピタリティ」が、そして私の言い方では「お金とは異なる別の“豊かさ”」が流れる心地よさに人びとが無意識のうちに気づいているからではないのでしょうか。
■
「バル街」の夜、西部地区やその周辺にひろがった人びとのネットワークのなかを、「ホスピタリティ 」や「お金とは異なる別の“豊かさ”」が流れだし、それらが確実に人々の心の琴線を奏ではじめると、ネットワークの結節点である人びとの心のなかにポッと灯りがともりだすのです。そのような人びとの心のなかの無数の灯りで、西部地区は明るく浮かび上がってくるのです。
■ひとつの
傍証を示すことにしましょう。今回の「バル街W」では中止されることになっていますが、前回の「バル街電車」のなかでおこったエピソードです。柳小路の老舗バー「杉の子」がつくったカクテルやピンチョスが、「誰の指図でもなく、自然に手渡しで注文客にへ渡っていく。つり革もなく通路中央のテーブルで身動き出来ない満員の乗客が『電車バル』でひとつの『心』にまとまり、歌でも歌うとたちまち大合唱になりそうな雰囲気」が電車内に生まれていたというのです。もうひとつ。「22:00過ぎ、ほぼ定刻で帰路に着いたバル街電車は依然満席、降車するお客を全員の拍手で送り出す。『また電車 バルやってね』と降りる人々が口々に言いながら固い握手。終点、駒場車庫へ入場して無事終了。」いかがでしょうか。
■さて、もう一人の方に登場していただきましょう。実行委員の木村幹雄さんです。「『旧市街』とは誰が名付けたか、齢五十台の人間にとって、その響きだけでも四十年近い年月を飛び越えて、訪ねてみたい衝動に駆られてしまう。そんな旧市街地でのBARの賑わいは、そんな僕らの
今に程近い過去の思い出や、今に住んでいる人々の思い入れを映し出しているように思う。私たちの街の『
ほどよい賑わい』なのだ。町おこしや、地域活性化などという企画された箱の中のお祭り騒ぎではなく、
普段の生活の延長としての賑わいがある。風、空気、灯り、影、ざわめき、沈黙、すべてを飲み込む街の心地よさがそこにある。」ここで私が注目するのは、「
今に程近い過去の思い出」と、「
普段の生活の延長」という部分です。
■木村さんは、齢五十台の人間にとってと限定されているようですが、「今に程近い過去の思い出」という“
共通の物差し”をもとに、この
旧市街=西部地区に埋め込まれた物語を、この「バル街」に参加する人びとが
協働作業で掘り出してくるという点が重要だと思うのです(「懐かしの絵葉書ミニ展示」は、そのような協働作業へと人びとを導く、ひとつの仕掛けでしょうか)。旧市街=西部地区を掘り出す協働作業には、深谷さんの言葉を借りれば、サービスする側もされる側もともに参加するわけです。それは、特別のことではありません。まさに、「普段の生活の延長」なのです。
「バル街」という活動は、「普段の生活の延長」で、あたりまえのように目の前にあった函館の旧市街=西部地区から、自分たちにとってかけがえのない「物語」という宝を掘り出す協働作業なのです。そのさい、忘れてはいけないことは、
そのような宝をめぐって人びとが醜く争うのではなく、むしろ逆に、そこでは「ホスピタリティ」や「お金とは異なる別の“豊かさ”」が人びとのなかを流れ始めるということです。
■「バル街」という実践の課題は、ここにあるように思うのです。「物語」という宝を掘り出す協働作業により、「ホスピタリティ」や「お金とは異なる別の“豊かさ”」が人びとのなかを流れ始める状況を、
いかに「普段の生活の延長」のなかに創造し続けていくのか、それこそが、これからの「バル街」にとって、とても大切な課題のように思うのです。そのことを、実行委員の皆さんだけではなく、サービスする側もされる側も、各自の心のなかで考えていくこと、それが本当の意味での「バル街」の「成長・改良・発展」につながっていくことになるのではないのか、そのように私は考えるのです。
■明日は、おそらく大学に届いているhoshinoさんからの現物資料をもとに、函館「
バル街(その7)」を投稿しようと思います。
(hoshinoさんとのお約束、ギリギリ、間に合いました

)