■今日の朝日新聞(大阪本社)夕刊のトップ記事は、「軍艦アパートさらば 最古の鉄筋公営住宅、取り壊しへ 大阪浪速 築75年『人情あった』」です。
記事は、ネットで見ることができますね。「
築75年、独特の外観から『軍艦アパート』の異名で知られる大阪市営の『下寺住宅』(大阪市浪速区)が、06年度中に取り壊されることになった。2月末までに住民全員が引っ越す。大阪市によると、現存する最古の鉄筋公営住宅。建設当時、最先端を誇ったが、老朽化には勝てず、ナニワの人情を育んだ『昭和の面影』がまたひとつ姿を消す。」
■↑の写真(Google Earthより)の中央、「軍艦アパート」です(この写真、上が南になっています)。このアパート、このブログでとりあげてきた、あの上町台地の西側に隣接してたっていたのですね〜。例によってですが

、そんなに古いアパートが大阪にあったなんて、まったく知りませんでした。写真の一番左側(東側)の樹がはえている部分。ここは上町台地です。その右側が墓地。道路をはさんで大きなビルが南北に3棟たっていますが、そのさらに右側に小さな鉄筋のアパート群(「軍艦アパート」)があります。わかりますかね。

((c)
関西今昔建築散歩引用については、「関西今昔建築散歩」の規定に従っています。)
■調べてみると、有名なアパートらしく、いろんなサイトでこの「軍艦アパート」をとりあげています。「
関西今昔建築散歩」という素晴らしいサイトに丁寧に取り上げられていますね。これは、私のような“初心者”にはとても親切な説明です!!まずは、こちらが「
配置図」です。
■この雰囲気、中国の都市部でよくみる集合住宅に似ています(来月も、浙江省寧波市にいくことになっています)。写真を拝見して面白いな〜と思うのは、各世帯が、小さな部屋やベランダを増築しているところですね。テラスハウスや平屋の公営住宅では、時々見かけることがありますが、このような鉄筋3階建てのアパートでもどんどん“やってしまう”のですね〜。評価は様々なのでしょうが、私は、
このような住民が改造して造り替えていく過程を、前向きに捉え評価したいと考えているのですが…
■このあたりが、「今日のポイント」…ですかね。ちょっと小難しい言い方になりますが、「市営住宅という行政が設置した住宅であっても、長い“住まう”という実践過程において、しだいに“自分化(パーソナライゼーション)”されていくと同時に、そこには独自の秩序や公共性が生成されていく…」。
■朝日の夕刊によれば、「
水洗トイレや上層階からごみを捨てるダストシュートが完備され、建設当時の大阪朝日新聞は『堂々たるモダニズム』と報じた」と書かれていますが、こちらのサイトでは「
今は無き香港・九龍城も如くありなんといった迫力、コルビュジェのぺサックの住宅や東京・同潤会のアパート群も真っ青といった趣」なんて書いてありますね

。
■それから、もうひとつ興味深いのは、「堂々たるモダニズム」であっても、やはりコミュニティには神社が必要だったということですか。もちろん最初からあったのではなく、「中庭にはいつしか稲荷神社ができた」のだそうです(
読売新聞記事)。
■さて、ウダウダ書いている私の文章よりも、ステキな「関西今昔建築散歩」の素晴らしい写真をご覧いただきましょう。約130枚の写真が、Flickrにupしてあり、スライドでみることができます(スピード調整可能です)。この「関西今昔建築散歩」を運営されているのは、pan-oさんです。素晴らしいな〜!!
⇒「軍艦アパート」スライドショー
○
「軍艦アパート(その2)」へ
【追記1】建築家や建築を勉強されている皆さんには常識かもしれませんね、『
ル・コルビュジエのぺサック集合住宅』。私のように、建築史の知識がない皆さんのために、少しだけ。「ル・コルビュジエの主要な実施作であるこの集合住宅は、建設以来40年の間に住民たちによって夥しい改作がなされた。建築家である著者は、これらの変更が『住む』ことに対して与える意味を明らかにしようと試みる。」とのことです。「変更が『住む』ことに対して与える意味」、面白いですね〜(今日のポイントと、関係していますね)。
【追記2】建築を勉強している娘から、携帯にメールが入りました。「下寺の軍艦アパート行ってきました。もう人は住んでいないようで、中まで入って写真撮ってきました。」とのことでした。中というのは、敷地の中のことだと思います。そのうち、娘の許しがでだら、彼女が撮影した写真をアップするかもしれません。
【追記3】娘から許可がでしまた。「私の撮った写真にんかでよかったらなんぼでもどうぞ」とのことでした。そのうちに、「軍艦アパート(その2)」をアップすることにします(←単なる親馬鹿かね

)。

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