
■最近、「
団地百景」というすばらしいサイトに偶然であいました。とっても嬉しくなりました。
■昭和33年、私は神戸に生まれました。私の少年時代は、日本の高度経済成長とともにありました。父親は、造船関係、特に船舶内燃機関の小さな企業に勤めていました。本社は神戸でしたが、サラリーマンの宿命で、神戸→下関(山口県)→小倉(福岡県北九州市)→博多(福岡県福岡市)→広島→神戸と転勤を繰り返してきました。必然的に、私も父とともに転園・転校を繰り返しました。そのような少年時代、私の住まいは「団地」でした。最近、歳をとってきて自分の人生を振り返ることが多くなってきました(自分でどう評価してよいのかわかりませんが)。そのとき、必ず心のなかに浮かんでくるのは「団地」なのです。私、「団地っ子」だったんです。
■昭和30年代に入り、経済発展とともに、都市に大量の人口が流入してきました。当然、都市勤労者のための住宅が不足してきます。そこで昭和30年に日本住宅公団が設立されました(公団とは、「
社会資本を整備するために政府、地方自治体、公社などが出資して設立する公共法人」のことです)。現在、日本住宅公団は、行革民営化の流れのなかで、
独立行政法人都市再生機構に改組されていますが、もともとは高度経済成長期に突入する時代、都市の中堅所得者向けに都市近郊で良質な住宅を供給するために設立されたのでした。
■この「団地」に関心をお持ちの皆さんがたくさんいらっしゃるようです。たとえば、「
住宅都市整理公団」。住宅都市整備公団ではありません。住宅都市“整理”公団です。洒落たネーミングですよね。大好きなサイトです。1981年に、日本住宅公団と宅地開発公団が統合させ、「住宅都市整備公団(住都公団)」になっていますので、おそらくこのサイトを運営されている方たちは、私よりもずっとお若い方なのではないかと想像しています。実際、このサイトに出てくる団地は、私などが住んでいた団地とは異なり、高層の団地が多いわけです。
■それに対して、冒頭の「団地百景」さんのばあいは、古い初期の時代の中層や低層の団地が多いように思います。サイトのトップには、以下のように書かれています。
「
昭和30年代、高度経済成長時代の初めに華々しく登場した”団地”。
ダイニングキッチン、水洗トイレを備えたこれらの住宅は庶民にとって憧れの的 であり、”団地族”という言葉が生まれる等、ここに住むことがステータスでも ありました。
それから早50年。集合住宅はその後も様々な形に変化しながら今日に至って いますが、この当時生まれた”団地”は老朽化も進み、取り壊されたり改装され ていくものも多くなっています。
というわけで、当時の庶民の”夢”であった団地が消えゆく前にその姿を記録 に残すべく写真コレクションとしてみました。」
お書きになっている「ご趣旨」、よ〜くわかります。
■3歳から10歳にかけて、3つの団地に暮らしました。3歳〜5歳になってすぐの頃までは、神戸市東灘区の鴨子ケ原団地。5階建ての中層住宅でした。きちんと、自分の眼で確認していませんが、すでに解体されているような…。今から25年程前、大学生頃はまだきちんと確認して安心したのですが、Google Earth で確認してもよくわかりません(きちんと確認しなくっちゃ)。
■5歳のとき、たった1年ですが、下関の「山の田団地」にいました。こんどは、いわゆる「テラスハウス」と呼ばれるタイプの住宅でした。庭がついており、板の間のキッチンと4畳半の畳の部屋。2階にあがると、四畳半が2つあったでしょうか(ひょっとすると、1つは6畳だったかな…)。さてさて、この「山の田団地」なのですが、「団地百景」さんは、嬉しいことにきちんと取り上げてくださっているのですね。ありがたいことです。関東以西九州・沖縄にいたるまで、この調査・取材のフッワークには驚くものがあります。
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公団山の田団地
■一番トップの写真、まさに私のイメージにぴったりです。
ここなどは、草がぼうぼうで少し荒れた雰囲気ですが、5歳の私が遊んでいたときのままです(当たり前といえば、当たり前ですけど)。
こちらの写真から、庭でトマトやナスを両親が植えていたことを思い出します。「山の田団地」は、ちょっと小高い丘のような地形にあります。数年前に、出張のおり、ちょっと寄り道してみたのですが、周りの風景はすっかりかわっていました。住宅開発が進み、私の記憶と一致しないところがたくさんありましたが、この「山の田団地」だけが、時間がストップしたかのように存在していてくれたのでした。
■6歳になる直前、私は、関門海峡をわたり北九州は小倉区にある「城野団地」に引っ越しました。残念ながら、「団地百景」さんのリストになかにはありませんでしたが、こちらの掲示板に書き込みをされている方のサイト「
ALL-A」のなかに、ありました、ありました!!
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公団 城野団地01
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公団 城野団地02
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公団 城野団地03
いや〜、感謝、感謝です。私自身が住んでいたのは、こちらの写真にあるテラスハウスのまわりにある5階建ての中層住宅の1階でした。しかし、子どものころは、このようなテラスハウスのあいだの細い道を、自転車で走り回っていました(ちなみに、私は、22棟の1階に住んでいました…まあ、皆さんにはどうでもよいことでしょうけど)。
■私の子ども時代の記憶は、学校と親と街中に買い物に出かけるとき以外、これらの団地のなかに収まってしまうのですね。おそらくは、団地から外にでると車に轢かれるので危ないと、親に脅されて(教育されて)いたように思います。
■「
団地百景」さん、「
ALL-A」さん、どうもありがとうございました。心が満たされました〜。おそらく、私のような方たちが、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。
■さて、建築に関してまったくの素人である私の頭のなかには、ひとつの疑問がわいてきます。このような日本住宅公団や、地方自治体が建設した団地って、どのように評価され、取り扱われているのか(あるいは、これから評価され、扱われていくのか)、ということです。たとえば、あの有名な
同潤会アパートや、拙サイトでも取り上げた大阪の軍艦アパート(
その1、
その2、
その3、
その4、
その5)は、社会的な注目もあびてきましたし、保存運動がおこったり、記録されたりしてきたわけです。これらの住宅は大正末から昭和初期にかけて建設されたものですね。それに対して、公団住宅のばあいはどうなんでしょうね。私は、聞いたことがありません。いわゆる文化財的・建築学的な価値を見出されるまえに、解体されたり、建て替えられたりしていくのでしょうか。
【追記】
tksさんのブログ『
ALL-A』で、大阪市都島区に、「トヨクニハウス」とよばれる住宅があることを知りました。
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トヨクニハウス01
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トヨクニハウス02

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