■数日前、記事「団地」(
その1)(その2)(その3)をアップしました。特に、(その1)については、HAMさんの『
団地百景』と、tksさんの『
ALL-A』をご紹介させていただきました。その後、tksさんの『ALL-A』の数々のエントリーを拝見するなかで、大阪の都島区に「トヨクニハウス」という昭和6年(1931年)に竣工した民間のアパートが存在していることを知りました。ピン!!ときました。
■昨日の記事「亥の子」にも書ききましたが、昨日、5月3日は両親の結婚記念日&金婚式のお祝いだったので、その帰りに、大学で建築を勉強している娘をさそって2人で見に行くことにしました。上の写真、そのトヨクニハウスのF棟です。
■こちらは、トヨクニハウスの全景です。チラッとみると、私などが子どものときに住んでいた、公団のテラスハウスと呼ばれた住宅と同じような構造のように見えますが、そうではありません。この点について、
tksさんが次のように説明されています。
「トヨクニハウスは民間のアパートで、2階建ての建物が4棟あります。当初は6棟あったようです。設計者は不明。住戸形式はメゾネットではなくフラット、つまり1階と2階は別の住戸で、中央の階段室で左右対称に分かれています。したがって1棟の住戸数は4戸。この4戸1住棟の構成は大正時代に木造アパートで既に登場しており、トヨクニはこれをRC(鉄筋コンクリート)造に置き換えたものと言えるでしょう。」
tksさんによれば、「立体四戸」と呼ばれた、中央に階段室を持つ4戸1住棟の同潤会のアパートが、かつて東京の代官山にもあったそうですが、それと同じタイプのようです。
■私が撮影していたとき、ちょうど写真の正面の2階部分でリフォームの工事が行われていました。その下を、おそらくはご近所の女性なのでしょう、「あら、まだ壊さんと工事してはるわ…」と、お孫さんを自転車の後にのせて、私の横を通りすぎていかれました。この75歳の住宅、できるかぎり、こまめに手入れをして、長生きさせてただきたいものです(ちなみに、ニューヨークのエンパイア・ステイト・ビルも今年で75歳です。関係ないけど、私の父は79歳、母は74歳になります)。
大阪日日新聞の記事には、「ステンドグラス風の円窓や当時珍しかった水洗式のトイレなどを備え、新築時は抜群におしゃれな高級賃貸住宅(現在は個人所有)として人々のあこがれを集めていました。」とあります。下の写真から、お住いの皆さんが、この住宅を丁寧に扱いながら、ここでの暮らしを楽しもうとする雰囲気が伝わってきませか?私は、すごく感じるんですけどね。
【上左】建物の質感がよろしいですね〜。丸い窓と扉が印象的です。こちらは、お勝手口のほうですね。増改築されている部分、端の方に少しだけ見えています。【上中】E棟の入り口です。階段あがりきったところの、装飾、一番下の階段の左右にある、鉄を使った装飾、おもしろいですね。【上右】階段におかれた鉢植え、クラシックな電燈、階段をあがりきったところにおかれた活花。私には、ここの住民の皆さんが、トヨクニハウスでの暮らしを楽しんでいらしゃるように見えます。【下左】階段の左右に、丸い飾り窓がみえます。このようなデザイン、よく知りませんが、アール・デコと呼ばれるものなのでしょうか。【下中】いや〜美しいガーデニングです。道を歩く人たちの目を楽しませてくれます。【下右】かなり古い時代の扉です。郵便受けは、造り付けです。錆びた樋に蔦。
【上左】お勝手口の横にある丸窓。写真が下手くそで、わかりにくいですが、ステンドグラスです。このステンドグラスの向こう側は、何のお部屋なのかよくしりませんが、おしゃれな感じです。【上中】お勝手口のあたりです。【上右】棟のあいだには、あまり敷地がありません。あの下寺の
軍艦アパートほどではないにしても、やはり増改築をされていますね。
【上】入り口には、「トヨクニ・ハウス・F」の文字が。一字一字、壁から浮き上がらせていますね。「おお、渋い…」と思ったのは、「トヨクニ・ハウス・F」の「・」(2つ)も、ちゃんと壁から鉄棒で浮かび上がらせていることですかね。解体された東京都文京区根津の「
曙ハウス」の看板ほどの迫力はありませんが、いいですよ、こちら!
■さて、ここからは「親馬鹿ちゃんりん蕎麦屋の風鈴」的話しです。「アホくさ」という方は、どうかスキップなさってください。
■今、建築を勉強している娘は、この手の建物が大好きなのです。中学生の頃、
岩手県の松尾鉱山跡にたつ、鉱山労働者のアパートを見たとき、ショックと感動のあまり、涙をポロポロ流してしまいました。そのとき、その感覚を大切にしてほしいな〜と思っていたのですが、順調に育ってくれているようです。大学の仲間の学生たちの多くは、洗練された現代建物ばかりに意識が向いているとのこと。講義のなかで、たまたま下寺の
軍艦アパートの事例が出てきたそうですが、多くの仲間は「そんなん出てきたか?あんまし憶えてへんわ」というふうな感じだったらしい。
■軍艦アパートのときもそうですが、その存在を教えると、私などよりも先に現地にでかけるし、今回も「トヨクニハウス見に行くけど、どないする?」と聞くと、喜んでついてきます。長崎の
軍艦島にもひきつけられるようです。個人的には、良い傾向だとは思っていますが、自分なりに、さらに深めて考えていってほしいなあと思います。以前、コメントをくださった青さんに教えていただいた
『時間のなかの建築』(Mohsen Mostafavi, David Leatherbarrow)や、建築家の秋山東一さんがご紹介くださった
“ HOW BUILDINGS LEARN / What happens after they're built ”などのなかで主張されていることを、さらに自覚的に勉強してほしいなあと思っています。
■ちなみに、
『時間のなかの建築』についてのこのブログでの記事で、建築家の玉井一匡さんは、次のようなコメントをくださいました(娘よ、玉井さんのコメントをしっかり心に刻むのですよ)。
「建築には、時間軸に沿って劣化を進めてゆく側面がありますが、じつは時間の経過とともに価値を向上させる側面があり、人間の側からすれば、それを読み取る力を身につけること、同時に、建築の側あるいは建築をつくる側からは、そういう価値をそなえた建築をつくり、あるいはそういう価値を育てるよう手を加え続けてゆく。こうした振舞いを導くような文化を実現することができるかどうかが、これから人間がこの地球で生き続けられることの成否を分けると思います。」
■玉井さんのコメントのポイントは、「時間の経過とともに価値を向上させる側面」というところにあるように思います。建築学ではなく、私のような社会学の立場からすれば、必ずしもそのような価値が一般化されていない現状において(歴史的建造物や歴史的景観の保全の運動が、連戦連敗している状況からもわかるでしょう)、そのような価値を社会的に共有していくためには、どのような社会的な仕組みや運動(実践)が必要なのか、また多様な価値(立場)のあいだで、どのようなコミュニケーションの過程(抑圧や排除のないコミュニケーション)が必要になるのか、そのあたりの問題を明らかにしていくことが重要になってくると思うのです(娘よ、こんなことについても、ちょっとだけでよいから知っておいてほしいよ)。
【追記1】ひとつ気になることがあります。このトヨクニハウスが竣工した当時のまわりの状況です。昭和初期の地図を確認する必要があります。
【追記2】このトヨクニハウスに関する文献情報です。『住宅建築 日本の木で造ろう!』(2003年 8月)のなかの「集合住宅寫眞館第20回『トヨクニハウス』寫眞=斎部功、文=大月敏雄+東京理科大学大月研究室」。
【追記3】tksさんにコメントをいただいたあとに、もう一度、この玉井さんのコメントを読み返してみると、「人間の側からすれば、それを読み取る力を身につける」という点は、個々人の「読み取る力」であるとともに、社会としても、「読み取るの力」でもあるように思えてきました。社会として読み取るとはどういうことかというと、個々人の中にある「読み取る力」を繋いで、顕在化させ、社会的な力にしてくいこということでしょうか。tksさんがご紹介くださったオープンハウスという取り組みは、このような力を社会として培っていくためのひとつの方法のように思えます。

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