「重層的な歴史性−桜山神社前の内丸(盛岡)の問題について」
環境/まち・岩手
(11月27日のエントリーに加筆修正したものです。)
(12/5、文章の修正および追記を行ないました。)
■盛岡市は、南部藩20万石の城下として約400年の歴史をもっています。盛岡城の跡は、 現在、岩手公園として市民の憩いの場になっています。そして、その岩手公園に隣接してあるのが、上の写真の内丸と呼ばれる地域です。内丸のなかでも、この一角だけは飲食街になっています。夕方から「ちょっと一杯」のサラリーマンで賑わいます。

■呑み屋の多い飲食街ですが、昼間から行列ができている店がありますね(夏休みに学生と岩手を訪問したさいに撮影したものです)。ここは、「白龍(ぱいろん)」という店です。

最近、「わんこ蕎麦」「盛岡冷麺」「じゃじゃ麺」のことを盛岡三大麺と呼んだりしますが、この「白龍」は最後の「じゃじゃ麺」のお店です。とても有名です。写真が「
じゃじゃ麺」です(「じゃじゃ麺」って何?という方には、こちらのサイトが詳しく説明されています。「
盛岡じゃじゃ麺ファンクラブ」)。観光スポットになっており、たくさんの観光客が訪れます。私も、盛岡に住んでいるときは、月に1度は食べにいきました。もちろん、官庁街に隣接していますから、当然、県庁職員や市役所の職員や近くのサラリーマンなども昼食をとりにやってきます。お昼頃には、行列ができてしまうのです。盛岡のソウルフーズのひとつだという人もいます(厳密にいうとソウルフーズというのは違うのかもしれませんが、気持ちはわかります)。ところで、この「白龍」のある一画、近い将来なくなって、駐車場になってしまうかもしれないのです。
■「
chizumado」を使って、内丸付近の地図を作成して貼り付けてみました。地図上の赤いピンは、上の写真を撮影したポイントです。クリックすると、その周囲も見ることができます。ご覧いただくとわかるように、岩手県庁、盛岡市役所、裁判所、県警、公会堂といった公的な機関の建物がならびます。内丸は、藩政期、南部藩の重鎮の武家屋敷がならんでいました。明治維新後は、多くの城下町と同じように、武家屋敷のあとは県庁や裁判所が建ち、盛岡の官庁街になったのです。では、なぜそこに飲食街があるのかという点にいて、少し説明する必要がありますね。
■このエリア、もともとは桜山神社の境内でした。mixiに加入されている皆さんであれば、
ここをクリックすると、昔の様子をご覧いだたけます(Blackie-20036さんの投稿です)。この写真には、次のようなキャプションがついています。
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境内の広さとその荘厳さを誇った戦前の県桜山神社も、昭和20年の敗戦を機にその様子が一変した。境内全部が戦災、引揚者の町、厚生市場−俗に闇市が出来、物資の不足な時代とて何でも売っていた。現在でも町並みも整備されて立派な飲食店街になった(出展:『図説盛岡今と昔(昭和39年)』)。
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■地元紙である岩手日報の「
岩手公園周辺地 まちづくりの議論を」(11/12)では、以下のように説明されています。「都市計画道中ノ橋大通線と鶴ケ池、亀ケ池に囲まれた4300平方メートル。1937年に盛岡城跡の国史跡、56年に都市計画決定上で岩手公園の指定区域。戦後、簡易店舗での営業が始まり、45年10月に守男更正市場組合を結成。現在は4組合、約100店舗ある。」記事には、地図ものっていますね。この飲食店街は史跡区域に含まれており、なおかつ、盛岡市所有地、個人所有地、桜山神社所有地の3種類の土地から構成されていることがわかります。権利関係がなかかな複雑です。記事によれば、桜山神社のばあいは、30年更新で土地を30人に貸しており(借りた人は、その上に立てた建物を別の人に貸していることもあるようです)、次期2014年の満期までには権利関係を清算したいようです。では盛岡市はどのように考えているのでしょうか。
■
記事からは、わかることは次の点です。盛岡市役所としては、公園に隣接する桜山神社前のこの地域は、史跡などの指定区域内にあり、「中心市街地活性化の重要な鍵を握っている」ので、岩手公園開園100年を契機に、この地域を更地にして公園の一部として整備したいということなのでしょう(すったもんだしたのですが、最近、岩手公園にわざわざ「盛岡城跡公園」という愛称をつけました)。少し乱暴にまとめれば、行政にとって、戦後の闇市を出発点とするこの飲食店街は、都市整備のノイズとして認識されているのです。本来あるべき姿でない、と認識しているわけです。
■市都市整備部長のNさんは「城跡を中心とする新たなまちづくりの検討の中で方向性を探りたい」とコメントされています(あれ、部長に出世されたんですね〜Nさんは)。土地の利害関係が複雑なので、無理なことはなかなかできず、このような遠まわしの印象を与えるコメントになっているのではないかと思われます。市としては、城跡のもつ「文化財」や「歴史性」としての側面を、市が主張するまちづくりの正当性の根拠として、中心市街地を整備しようとしているように思われます。そのことは、岩手日報の「
『将来は緑地に』 盛岡の桜山神社」(11/18)で、N部長が「国史跡、都市計画公園の指定区域内にあり、将来的には駐車場を中心とする緑地として整備する。国からは土塁も復元するよう指導を受けている」とコメントされていることからもわかります。
■もっとも、国の文化庁記念物課は、記事のなかで「『文化財が置かれる状況は個々に異なる。保護と住民生活の折り合いをどう付けるかは市が策定する保存管理計画の中での位置づけとなる』と明確な指示は避けている」ようなのですが(このコメントには、最近の記念物課の考え方がよく表れているように思います)。
■では、ここに土地を借りている人たち、あるいは建物を借りて商売を営んでいる人たちはどのように考えているのでしょうか。
11/12の記事では、ひとつの組合の理事長さんが「建物の傷みがひどいが市が具体的なビジョンを示さず、補強も移転もできない」と訴えています。利害関係者が高齢化していることも、背後にあるようです。市としては、「利害関係者の様々な権利を無視して整備を強行しようとしている」との批判を受けたくないのでしょうね。しかし、こんどは、高齢者の人生設計に大きな影響を与えているとの批判もなされるのではないかと思いまます。
11/18の記事では、関係者から「立ち退きが前提なのか」「史跡指定後に都市計画道を通したり、市が公園として整備するのは許されるのか」と質問が出されたといいますし、一人の70歳の女性は、「行政は自由に区域の線引きができ、弱い者いじめでは」と批判しています。また、店舗を貸している59歳の男性は、「厳密に言えば、官公庁街も城跡内。今さら史跡にこだわらず、昭和史を大事にしてもいいのではないか」と語っています。
■お2人の批判は、とても興味深いものですね。行政による「国史跡、都市計画公園の指定区域内」という主張は、法や制度を根拠にしたものです。しかし、その線引きはあくまで「恣意的」なものなんじゃないのか、という批判です。また、「昭和史を大事にしてもいいのではないか」とは、行政が文化財制度や都市計画の制度を背景に、藩政期、ここに盛岡城が存在したということを「唯一の歴史性」として、そしてそれを自明のこととして提示するのに対して、もっと多様な、「重層的な歴史性」を提示しようとしています。戦後、ここに人びとが住みつき、商売をして、多くの市民や観光客にも愛される一画になっているという、地域住民や市民、そして観光客によって積み重ねてこられた「歴史性」も含めて、評価すべきだといっているのです。
■私が危惧するのは、多様な価値観や立場の人びとによる地域社会に開かれた議論を経ることなしに、行政の側が制度や法律を背景とした「唯一の歴史性」を自明とし、それを隠し持ちながらも、高齢者の多い利害関係者とは「勉強会」と称して、形式的な「参加」を継続しつつ、結果として、高齢者をいわば兵糧攻めすることで、なし崩し的に行政の思惑通りに整備が進められてしまうのではないのか、ということです。はじめにすでに計画が存在しており(「はじめに計画ありき」)、そこに向けて社会的な合意を調達するためだけの形式的な参加・参画になってしまうことを危惧しているのです。というのも、このような形式的な参加・参画が、施策や事業の正当化のための、いわばアリバイとして行なわれてしまうことがよくあるからです。
■この一画をどうしていくのか、中心市街地の整備をどう進めるのかといったき、直接的には、まずは利害関係者の意見が尊重されるべきでしょうが(土地を所有する盛岡市、桜山神社、個人、借地している人、商売を営んでいる人。建物を借りて営業している人、借地権をもっている人、所有権をもっている人…複雑ですね)、それ以外にもこの一画を「愛してきた」市民にも広く開かれた議論がなされるべきでしょう。たとえば、
11/12の記事では、盛岡のまちづくり市民団体の男性は、「レトロブームの昨今、どこか懐かしく、人をホッとさせる空間は貴重だ」と述べています。これも1つの考え方でしょう。「どこか懐かしく」というのは、自分が生きてきた過去と結びついているということです。これなども、「重層的な歴史性」に含まれるものでしょう。盛岡の歴史は、江戸時代でストップしているのでないのです。
■内丸がどうなっていくのか、これからも注目していきたいと思います。今回は、新聞記事からだけのコメントですが、もっと関係者の皆さんにもお話しを伺いたいものです(まあ、呑みに行くということなんですけどね)。
【追記1】関係者の皆さんからは大いに反論があろかとは思いますが、私には、このような形での中心市街地のまちづくりや整備とは、「歴史性」というマントを被ってはいますが、従来の「スクラップ&ビルド」を基調にした日本の都市計画や再開発とあまり違わないように思えてくるのです。盛岡市民の皆さんの活発な議論を期待したいと思います。
【追記2】このエントリーをアップしたあと、盛岡市民の皆さんから、有益なコメントや情報をいただきました。ありがとうございました。

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