「阿佐ヶ谷テラスハウスの出来事(その1)−故郷としてのテラスハウス」
環境/まち・東京

■一人の男性が、空を見上げながらブランコに揺られています。そのむこうには、
テラスハウスと呼ばれる形式の集合住宅がたっています。今回は、このテラスハウスについてのお話しです。まずは、イントロから…
■東京に出張してきました。所属している環境社会学会が池袋の立教大学で開催されたからです。今回(12月9日)の学会のシンポジウムは「
実践者/専門家―市民調査の可能性と課題―」というものでした。内容的には、このブログでたびたびご紹介してきた「
アースダイビング」とも多少関係しているのですが、まあ、それはそれとしまして、その翌日のことをお伝えしようと思います。じつは、翌日の午前中には関西に戻るはずだったのですが、いつもお世話になっている
masaさんの『Kai-Wai散策』のエントリーのコメント欄で、ある方から「別な世界にお連れしましょう!夕方まで東京に残っててください(笑)」とのお誘いもあり、そのお誘いに乗る形で関西に戻る時間を夕方までのばすことにしたのでした。

■午前中は、masaさんのお勧めもあって、「銀座エルメス」の8階のギャラリーで開催されていた写真展「
木村伊兵衛のパリ」と、「ライカ銀座店」で開催されていた「
木村伊兵衛が捉えたパリの写真展」へ(こんなチャンスでもないかぎり、「エルメス」なんてお店には、私のような人間は入店することがなかったでしょうね。「ユニクロ」にはいくけど…)。昼食のあとは、知る人ぞ知る「
傳八」のある三原橋・地下通路にある床屋さんで散髪。めかしこんで何処にいくのか?じつは、丸の内線で杉並区の南阿佐ヶ谷に向かったのでした。南阿佐ヶ谷の駅から静かな住宅街をぬけて南にむかうと、青い空に輝く白い給水塔がみえてきました(僕には、昔の集合住宅によくある大きな給水棟、ジ〜ンとくるんですよね)。

■ここは、杉並区の南阿佐ヶ谷にある「阿佐ヶ谷住宅」です。昭和33年に建てられました。総350戸のうちテラスハウスが232戸、そのうちの174戸を大変著名な建築家・前川國男さん(1905年〜1986年)が設計されました。上の航空写真のうち、周辺にならんでいる集合住宅がテラスハウスであり、赤い屋根のものが前川さんの設計によるものです。前川さんは、フランスの巨匠ル・コルビュジエのもとで2年間、モダニズム建築の理念を学び、モダニズム建築の旗手として、第二次世界大戦後の日本建築界をリードされた方です(
wikipediaより)。現在、『
生誕100年・前川國男建築展』が開催されていることから、再評価されている建築家なのだそうです。いや〜建築や建築史についての素養がなにもない素人なものですから、なんだか付け焼刃的な頼りない解説で申し訳ありません。
■では、なぜわざわざ「阿佐ヶ谷テラスハウス」にまで出かけていったのか?ひとつには、この「阿佐ヶ谷テラスハウス」が、老朽化のため取り壊され再開発される予定になっているからです。昭和30年代に建設された集合住宅が次々に取り壊されている現在、私と同い年(昭和33年生まれ)のこの「阿佐ヶ谷テラスハウス」を訪問しておきたかったのです(私自身も老化してきていますからね〜…シミジミ)。取り壊しが予定されていることもあり、建築の専門家や建築やアートファンの皆さんのあいだで、この「阿佐ヶ谷テラスハウス」が注目されています。私自身の周りでは、このテラスハウスのことを、iGaさんが『MADCONNECTION』のエントリー「
阿佐ヶ谷テラスハウス」(2006/10/19)で取り上げられ、そのあとmasaさんの『Kai-Wai散策』のなかでもこのテラスハウスのエントリーが続きました。まあ、“ネットご近所”でけっこうな盛り上がりをみせてきたわけです。
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阿佐ケ谷テラスハウス
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TOTAN GALLERY
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阿佐ヶ谷式
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阿佐ヶ谷テラスハウス (1)
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阿佐ヶ谷テラスハウス (2)
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三角関係
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TOTAN GALLERY
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阿佐ヶ谷テラスハウス (3)
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阿佐ヶ谷テラスハウス (4)
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TOTAN GALLERY の午後
■もうひとつ理由があります。この「阿佐ヶ谷テラスハウス」とは別のものですが、私自身5歳の頃、公団住宅のテラスハウスに住んでいたからです。幼稚園3つ、小学校3つ、高校2つと、父親の転勤で転校を繰り返して育ちました。「あなたの出身はどこですか?」と聞かれれば、とりあえず「神戸です。」と答えるものの、私にとっては「具体的な故郷」というものが存在していないのです。ただし、記憶をたどっていくとたどり着くのは、今回のエントリーのようなテラスハウス、そして5階建ての集合住宅ということになります。そう、私は「団地っ子」だったのです。
■昭和30年代の団地(私のばあい公団住宅)、現在からみれば、老朽化して古く狭い集合住宅ということになるのかもしれません。しかし、高度経済成長時代の初期、ステンレスの流しのついたダイニングキッチン、水洗トイレがついた団地は、「団地族」という言葉が登場したように若いサラリーマンの家族にとって憧れの的でした。こんなことを書く間と、「単なるノスタルジーじゃないの」という反応が返ってきそうですね。そうかもしれません。しかし、「具体的な故郷」が存在しない私にとって、幼い頃に過ごした団地やテラスハウスは、特定の場所や歴史に深く根ざしているわけではないのですが、これらの集合住宅が醸し出す「機能」「清潔」「シンプル」「モダン」といった要素、そしてその背後にある設計者の「理念」「理想」、それらの総体が私にとっては「具体的な故郷」と同じ存在のように感じられるのです。設計者の手のひらの上に乗せられているのでしょうが、この感覚はいったい何なのか、もう少し考えてみようと思います(また、高度経済成長期以降、この日本という国には、私のようなデラシネ=故郷のない根無し草のような人たちがたくさん産み出されてきたわけですが、そのような人たちにとって「故郷とは何なのか?」、個人的には大変気になる問題です)。
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団地(その1)
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団地(その2)
■すみません、ずいぶん横道にそれました。もう一度、「阿佐ヶ谷テラスハウス」に戻りましょう。「阿佐ヶ谷住宅」のなかをウロウロ歩いてみました。上の航空写真からもわかるように、大変、ゆったりとした配置になっています。隙間が多いわけですね。専門的にいえば、「コモンスペースを核とした建築家が理想としたコミュニティ」(iGaさん)ということになるようです。単なる私的空間の集積ではなく、豊かな「隙間」=「コモンスペース」が、全体をゆるやかな統一感を産み出しているように感じられます。建築関係のジャーナリストである藤崎圭一郎さんは、ご自身のブログ『Design Passage』のエントリー
「阿佐ヶ谷住宅」で次のように説明されています。
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「太陽、緑、空間」と謳った、前川の師匠ル・コルビュジエの都市計画の理想が、豊かな緑とゆったりした敷地の中で今も輝きを放ち続けています。家を塀で囲わず、公と私の境界が不明瞭で、どこまで他人が足を踏み入れていいのか分かりません。路地や井戸端といった昔ながらの共有地を近代建築の方法で計画的に再現しているとも言えます。
共有スペースで建物を囲むというのは、高層集合住宅や商業施設や公共施設ならよくあります。しかし、防犯などの理由から、戸建ての住宅や低層の集合住宅の塀を取り払って、庭を開放的な共有スペースにすることは難しくなっています。それでも道路を共有スペースにする発想ならまだしばしば見かけますが、ここでは庭か公園か見分けの付かない場所がある。一見米軍住宅に似ていますが、あちらは住宅地自体が有刺鉄線付きフェンスで囲まれている。こうした開放的な敷地の計画は、まさしく戦後の、まだ純度の高かった頃の民主主義を標榜した人たちならでは発想だと思います。
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■なるほど〜。勉強になりますね。私の住んでいたテラスハウスや団地は、前川さんやル・コルビュジエとは関係がありませんし、こんな豊かな「隙間」=「コモンスペース」はありませんでしたが、さきほど述べた自分にとっての「具体的な故郷」を考えるえで少し参考になりそうです。特定の場所や歴史に深く根ざした故郷ではなく、ある種の機能・様式、その背後にある理念、それらの総体としての故郷…。
■さて、「阿佐ヶ谷テラスハウス」を歩きながら目指す場所がありました。「阿佐ヶ谷住宅」25号棟にある「
とたんギャラリー」です。このエントリーのトップの写真が、25号棟です。
この続きは(その2)で。
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「阿佐ヶ谷テラスハウスの出来事(その2)−「とたんギャラリー」」
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「阿佐ヶ谷テラスハウスの出来事(その3)−iwakiさんとアコーディオン」
【追記】一番上の写真、「とたんギャラリー」のある25号棟です。「Google Earth」の衛星写真(上に掲載)と見比べて気がつきましたが、屋根が補修してありますね。

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