
■私が「熱烈愛好」・「熱烈支持」しているブログに『Kai-Wai散策』があります。東京に在住されているmasaさんが運営されています。自分のブログ・ライフは、この『環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発』ではなく、『Kai-Wai散策』を中心に動いているような気にさえなることがあります。
■『Kai-Wai散策』の昨日のエントリーは、「
一之江農村景」です。このエントリーのコメント欄で、masaさんは、「はい、東側がとても気になっています。まだ、低地の魅力を言葉にできるほどではありませんが、人の生活の跡が強く感じられる町は、やはり興味をかき立ててくれます。その生活の跡が、低地ほど強く感じられる状態で残っている…と思います。また、都心から交通機関で離れるほどに、時代が溯ることにも、最近になって気づきました。電車はタイムマシンだった(^^;…と。」お書きになりました。
■このコメントの「生活の跡が、低地ほど強く感じられる」、「都心から交通機関で離れるほどに、時代が溯る」という部分に、ビビビッと反応してしまいました(低地というのは、東京の東側、墨田区、葛飾区、江戸川区といったエリアのことを指します)。本来であれば、『Kai-Wai散策』のほうにコメントを書かせていただくべきなのですが、他のご常連の皆さんの「大顰蹙を買うこと間違いなし」のようなあまりに長すぎるコメントになってしまったので、自分のブログにコメントを書かせていただくことにしました。以下が、その「あまりに長すぎるコメント」です。
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■masaさん、こんにちは。「生活の跡が、低地ほど強く感じられる」、「都心から交通機関で離れるほどに、時代が溯る」、ビビビッときてしまいました〜(^^;;;。ビビビッがおさまりませ〜ん。

■往々にして都市から始まる大規模な開発の直接的、間接的なインパクトが、池に石を投げ入れたときに生まれる同心円的な波紋のように、周辺に広がり最後は弱まり消えていくと考えたとき、周辺には、かつての「生活の跡」や「時代を遡る」様々な事象が目立ってくるということはよくわかります。民俗学者の柳田國男が、『蝸牛考』(かぎゅうこ

う)という本で、蝸牛=カタツムリの方言を調べていくと、関西を中心として同心円的に遠く(周辺)にいけばいくほど古い時代の言葉が残っていると主張し、それを方言周圏論と呼びましたが、そのことと似ていますね(現在では、研究法としては否定的な見解が多いです。また、その現代版が、関西のお笑い番組「探偵!ナイトスクープ」から生まれた『
全国アホ・バカ分布考』でしょうか。)。
■方言周圏論を持ち出さなくても、よいかもしれません。日本のばあい、産業構造の変動や経済成長で都市に人口が集中し、都市を中心に鉄道網が整備されていくと、道路などのインフラが整備されないまま、周辺地域の農地が住宅地として小規模に虫食い的に開発され、農家と来住者が混住する状態に移行てきました。古いレイヤーと新しいレイヤーが交錯してくるわけですね。しだいに来住者のほうが圧倒的多数になり、景観もかつての田園風景ではなくなってくる。そういう状況のなかで、まだ土地区画整理や再開発で、土地の記憶がリセットされていないところでは、かつての「生活の跡」や「時代を遡る」様々な事象を、景観・地理・風俗等のなかに見出すことができるように思います。特に、こみいっていて、土地の権利関係がややこしく土地区画整理や再開発が進まないところ、あるいは都市計画から後回しにされているところは、そういう傾向が強いのかもしれません。東京のばあい、台地側は開発のインパクトが強すぎて、見出すことが難しいところが多いでしょうが、湿地側だとまだ可能なのでしょうね。
■この『Kai-Wai散策』のなかに、masaさんの「足」と「眼」と「感性」で捉えられた「現在の多様な東京」の断片が集積していくことで、結果として、全体として、「現在の東京」のなかに組み込まれた時間(東京の近現代史、あるいはそれ以前…)のレイヤーが見事に「表現」されているようにも思えます。そのような「表現」は、歴史学者が史料を駆使して歴史を再構成するような実証主義的な作業とは異なり、「写真」というアートという実践を通して浮かび上がってくる「重層的な都市のイメージ」のようなものかなと思います。そう考えると、僕としてはとても興奮してしまうのです。
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■ええと、こんなコメントを残す予定だったのですが、コメント欄でそれをやると、「グレーの塊」(グレーの文字が塊のように見えてしまう…)が生まれて、他のご常連の皆さんに大顰蹙ということになってしまいますので、自分のブログに掲載することにいたしました。もう少しで「投稿」のボタンをクリックしてしまうところでした…。寸前のところで、理性を取り戻したのでした。
【追記】
「SKY PROMENADE」(2007/3/22)で、柳田國男の『明治大正史世相篇』のことについて触れたからでしょうね。頭のその余韻のようなものが残っていて、それが、masaさんのコメントと化学反応して、こんどは「方言周圏論」を脳味噌の皺のなかから引っ張りだしてきたんでしょうね〜。そんな気がします。肝心のことは、なかかな頭の表面に浮かんでこないんですが…。困りましたね。

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