
■通勤のさい、仕事に関係する本とは別に、いわゆる「お楽しみの本」も2〜3冊、リュックやトートバッグのなかに放り込みます。今日はそのうちの1冊が『雑踏の社会学』でした。半年程前のことになるでしょうか、“ご近所ブログ”の皆さんとのやり取りのなかで、東京の東側にある低湿地帯や荒川とともに、川本三郎さんや永井荷風の作品に関心を持つようになりました。そして、ネットの古書店から、川本三郎さんの『雑踏の社会学』を取り寄せたのでした。少しパラパラと眺めはしたものの、ずっと積読状態でした。そして、今日、やっとじっくり電車のなかで読むことができたのでした。三分の二ほど読んだところです。
■本というのは、本を読む人の問題関心との相関しています。ある人には、当該の本に書いてある内容が「ビビビッ」とくるものであっても、他の人には「ふ〜ん…」ということになります。電車のなかで『雑踏の社会学』読み進めながら、正直に書きますが、「これは『私の東京町歩き』のほうが面白いな〜」と思ったのでした(『私の東京町歩き』も、川本さんの作品です)。

■両者を比較するためには、もう一度きちんと読まなくていけないので、これはあくまで印象にしか過ぎませんが…。ひとつには、この『雑踏の社会学』が、60年代半ば〜80年代初頭にかけての東京の盛り場を、主に取り扱っているからなのだと思います。このような盛り場で「青春」していた皆さんには、とても興味深いものなのではないかと思いますし、当時の盛り場の様子を記録したものとしても価値があるでしょう。ただ、関西人の私には、東京での生活の経験がないだけに、そのあたりやはり無理があります。
■一方、『私の東京町歩き』のほうには、佃島・人形町・門前仲町・堀切・千住・日暮里と、このブログを始めてから慣れ親しんだり、自分でも実際に歩いてみみた場所がたくさん登場します。こういう違いは大きいですね。それから、『私の東京町歩き』が書かれた時代は、『雑踏の社会学』のもう少しあとのことで(『雑踏の社会学』1984年/『私の東京町歩き』1990年)、バブル経済前とバブル経済がピークに達していた時期とのあいだには時間的なズレがあり、川本さんの都市を語るスタンスについても、少し変化している、揺らいているのではないかと思うのですが…。まあ、繰り返しますが、これは私の単なる印象にしかすぎません。いつかきちんと読んで比較してみたいと思います。
■そのような比較はさておき、です。ちょっとクールな感じで『雑踏の社会学』を三分の二ほど読んできたのですが、「おおおっ!!」というところもありました。「映画の東京地理学」のなかで「の・ようなもの」(森田芳光監督)という映画が取り上げられて部分です。そこには、以下のように書かれていました。引用します。
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志ん魚(とと)(伊藤克信)たち落語家志願の若者たちの師匠の家は文京区の根津という設定。ここは根津権現で知られる下町情緒の残る町である。川島雄三監督の「洲崎パラダイス・赤信号」で有名になった洲崎遊郭(現在の江東区東陽1丁目)はもともとは根津にあった。それが明治になって辺号に東京帝国大学が出来てから、“学士さまのそばに遊郭があっては”と洲崎に移された。そうした歴史があるから根津周辺はいまでもどこか艶やかな魅力がある。
「の・のようなもの」の最後は夜から明け方にかけて志ん魚が遊歩者となって東京の町をえんえんと歩くとても楽しいものだ。コースは菖蒲園で知られる堀切から、荒川と綾瀬川を渡り、カネボウゆかりの鐘ケ淵に出、水戸街道を下って、“鳩の街”で知られる向島を通り、そして隅田川を吾妻橋で渡って、浅草の観音様でお参りし、最後に根津にたどりつくというコースだ。(中略)
志ん魚が歩いたコースは区でいうと葛飾区、墨田区、台東区、文京区となる。葛飾区とか墨田区といった、ふつうの東京ガイドブックにはまず紹介されない、“山の手”ならぬ“川の手”という渋い場所、あえてニューウェィブ感覚のなかで浮き上がられているのが森田マジックの面白いところだ。
普通なら場末と片づけられ、忘れられてしまう東京の周辺区域が森田芳光の、いわゆるミスマッチ感覚、レイアウト感覚で再生され、六本木や青山よりずっと魅力的に見えた。
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■いいですね〜!!!この「の・ようなもの」は、1982年の作品です。森田監督の記念すべき劇場用映画デビュー作なのだそうですね。映画に疎い私、この作品のこともまったく知りませんでした。DVDも出ています。ぜひ、見てみたいです。というわけで、調べていると、驚くべきことに、YouTubeに「の・ようなもの」が出ていました。それも、川本さんがエッセーのなかで書かれたコースを、主人公が歩いている部分です。う〜ん、これには驚きました!!!25年前、四半世紀前の東京です。隅田川の吾妻橋のたもとにあるのは、黄金色のウンコビルではありませんでした。
(しかし、著作権の問題があるような…大丈夫でしょうか)
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YouTube「の・のようなもの」
【付記】川本三郎さんは、1944年生まれです。『雑踏の社会学』が出版されたのが、1984年。40歳のときに出版されたわけですね。ということは、実際にエッセーを書いていたのは30歳代のときですか…。

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