「第五回アースダイビング 善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。(その2)-潰された『クボ』-」
環境/まち・東京

■「
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。-(その1)」では、善福寺川のそばでお育ちになったkawaさんのことをご紹介しました。トップの写真、「いい大人が何をしているんでしょうね〜?」とお思いでしょうね。これは、iGaさんの「
善福寺川今昔」に掲載された
写真(1960年代初頭)の再現風景です。秋山隊長の指揮のもと、中央のkawaさんと左右の“代役”のお2人が、手を繋いでポーズをとっています。
■この瞬間、大の大人たちが大はしゃぎ。一瞬のうちに子どもに変身です。善福寺川の川沿いの道はそんなに幅広くありません。道を歩く人たちのちょっと邪魔になっているのですが、それどころではありません(こまりましたね〜…)。通行人の皆さんには、申し訳ありませんでしたが、こんなふうに無邪気になれるのもアースダイビングという「大人の遠足」なればこそだと思います。ところで、iGaさんのブログに掲載された
写真が撮影された年代(1960年代初頭)を念頭におくと、今回の企画は「善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地と、
kawaさんの50年を探る。』なのかもしれません(参加者のどなたかがおっしゃったんですよね〜…fuRuさん?記憶が定かでないのですが)。

■さて、今回のアースダイビング、(
その1)でもお伝えしたように総勢21人の参加がありました。
この写真は、masaさんの『Kai-Wai散策』の「
第五回アースダイビング (珍編)」に掲載されたものです。ただし、このmasaさんの写真のように常時まとまって行動しているわけでは、まったくありません。バラバラ。というわけで、私も、皆さんとは少しはずれて行動しました。そんなふうに、はみ出して撮影したのが上の写真です。

■これは、善福寺川から少しだけ離れたところにある
緩やかな斜面です。看板には「都市計画和田堀公園 案内図」とあります。この善福寺川の周辺一帯が、東京都の公共事業によって公園化されていっていることがわかります。ここでは公園化の一環でしょうか、花壇がつくられようとしています。左は、上の写真の看板のところを拡大したものです。黒い実践の外枠が「都市計画公園決定区域」、緑が「既事業許可区域(事業地)」、黄色が「追加事業地」です。この地図から何が詳しく読み取れるのか、この分野の専門家でない私にはよくわかりませんが、かなりのまとまったエリアが都市計画にもとづき整備されています。

■1947年に米軍によって撮影された空中写真です。右下隅には、今回のアースダイビングで集合した方南町の交差点を確認することができます。善福寺川は現在と同様に蛇行していますが、その周囲は(
その1)でも見たように農地が集積しています。この空中写真のA地点が、上の看板がたっている場所です。ポイントは、緩やかな斜面という点です。
■iGaさんが作成したアースダイビング用の資料にも引用されていましたが、鈴木理生さんは『江戸の川・東京の川』のなかで、「武蔵野の『クボ』」について解説されています(255〜257頁)。少し長くなりますが、引用してみましょう。
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「『クボ』は零細河川の氾濫の際の遊水地を意味する地名であった。」
「台地上の中小河川の谷の断面は一般的に『樋状』だが、小さな支谷、普段は地表に流れがあるかないかという程度の零細河川の凹地が『クボ』である。」
「大河の河川敷に洪水を予想して耕作する例と同じく、耕作する場合でも冠水した際に被害がさして大きくない作物を植える程度であり、『クボ』に進出する場合は洪水がなければ“もうけもの”という態度で粗放な農耕を前提とした。

昭和三〇年代以降の台地上の宅地化は、まずこの『クボ』の処分から始められた。住宅公団などの公的機関が、それまで棄ててかえりみられなかった『クボ』を、機械力を使って大規模な宅地を造成し、いつ暴れだすかわからない零細河川を、コンクリートのU字溝のように圧縮し、『クボ』に土盛をして団地を建設した。その土地がどのような理由で今まで利用されなかったかという検討は二の次で、地価の安さと機械力の利用できるという条件で『クボ』は宅地化されていった。」
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■上の空中写真のA地点も、おそくはこの『クボ』だったのではないかと思います。高度経済成長期にいったん住宅化したものを、こんどは都市計画にもとづき、こうやって段々畑のような花壇に整備しようとしているわけです。かつて、善福寺川やそこに流れ込む零細河川が氾濫するようにときには、このA地点も一時的に遊水地となって水に覆われていたかもしれません。かつては、「クボ」も含めて川だったはずです。

■左の写真は、B地点を撮影したものです。善福寺川のむこう、台地の上に
大宮八幡宮があります。秋山隊長とiGaさんがお立ちになっているところから左前方にむかって、ここも緩やかな斜面になっています。ここまで善福寺川は南下するわけですが、この台地にぶつかって流路を北に変えます。大宮八幡宮のホームページによれば、「康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てました」とあります。約1000年近くも、この台地の上に祀られてきたのです。

■また、同ホームページには、「昭和44年に境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡が発掘され、この地は太古からの聖域であったことが判明致しております」とも書かれています。まさに、『アースダイバー』的です(『アダイ』のなかにも、善福寺川に関する記述があります)。善福寺川周辺の台地上からは、縄文時代や弥生時代の住居集落跡が発掘されています。「クボ」は天然の遊水地ですから、そのような所に人びとは住もうとはしません。やはり、台地の上です。10,000年の長きにわたり、人びとは台地の上に暮らしてきたのです。その原則が大きく変わったのは、長い歴史からすればごく最近のこと、高度経済成長期に「クボ」を潰して住宅にするようになってからのことなのです。

■大宮八幡宮の境内にあった茶屋で、ちょっと休憩です。私が神様にお参りをしているあいだに、男性の皆さんはビールを呑み始めています。う〜ん、ここで呑んでしまっては、あとの楽しみが半減します。我慢、我慢。私は、女性の皆さんと一緒に、大きな肉まんで小腹を満たします。少し休憩したのち、再出発。

■大宮八幡宮を出発してしばらく進むと、こんな野小屋がありました【左】。手前は、雑草が茂らないようにでしょうか、ブルーシートがかぶせてあります。畑ですね。う〜ん、このあたりが住宅化される以前、まだ善福寺川沿いに農地がひろがっていた頃の風景を想像してしまいます。古い時代のレイヤーが透けて見えた瞬間です。もちろん、ここも緩やかな斜面になっています。【中】は、iGaさんが「
木造四階建?」で取り上げた住宅です。4階が隣の屋根に少しオーバーハング気味になっているところが、なんともスゴイですね〜。で、この「木造四階建」の少し先に行くと、【右】のようなこれまた緩やかな傾斜がありました。ここがC地点です。かつて、住宅は、階段をあがった向こう側にしかなかったものと考えられます。階段を降りたところから善福寺川までが緩やかな傾斜になっていますが、そこには農地が広がっていたはずです。

■ちょっとレトロな絵葉書ですね。これは、今回のアースダイビングで立ち寄った杉並区立郷土博物館でいただいたものです。「花見 東京 大宮八幡宮 昭和十年四月」と書かれています。版画ですので、どこまで現実を正確に写し取っているのか定かではありませんが、かりにこの川を善福寺川だとすれば、川と岸とのあいだに段差がなく緩やかであることが確認できます。「なぎさ状」です。kawaさんの
写真ともそれほど違いません。違うといえば、農地ではなくて、桜の花見をする観光地になっているということです。

■現代のお花見風景です。自転車がならんでいることからすれば、「ご近所さん」で集まった花見でしょうか。善福寺川沿いは、桜が満開。あちこちで、お花見がおこなわれていました。皆さん、実に楽しそうにお花見をされています。対岸の住宅地が見えます。この善福寺川沿いの和田堀公園のようにまとまった緑があることは、地域住民にとってかげがえのない財産だと思われます。都市計画のなかで、このような緑あふれる公園として整備されてきたことは(農地→住宅地→緑地公園)評価できるように思うのです。

■しかし、この公園の中央を流れる善福寺川自体はどうかというと、場所によっても異なるのですが、こんな風景が眼に飛び込んできます。鈴木さんの解説のように、「クボ」であったところを潰して、堤防もかさ上げすることで、このような深い川になっているものと思われます。ちょっと見ると、一見、親水護岸的な工事が行われているようにも見えます。が、階段にはステンレスの柵があって降りることはできまん(跨げばできるけど…)。ここには、かつて存在した緩やかな斜面はありません。地域住民を迎え入れる公園の向こう側には、地域住民を拒否しているかのような深い善福寺川が存在しているのです。
■鈴木理生さんは『江戸の川・東京の川』のなかで、「『クボ』を復活し、すべての川に『なぎさ』を復活させ、鉄道網・自動車交通路と調和のとれた交通体系が実現できたら、東京の姿は全く変わったものになろう」と述べておられます。長年、川と人間の関係を考えてこられた鈴木さんの理想といってもよいかもしれません。「なぎさ」を復活させるということは、言い換えれば、地域住民が「アメニティあふれる自分たちの川」を取り戻すことです。と同時に、「川の維持管理にも関わり、リスクを一定程度引き受け、リスクに対する予防的措置を自らおこなう」ということでもあります。善福寺川のばあい、「なぎさ」の復活は今のところおこっていません。
■善福寺川から強く感じることは、ハードな「治水」の思想と技術です。善福寺川周辺にある私有地を買い上げることによって遊水地にしていく。そして、ハードな「治水」の思想と技術を、公園というオブラートで包み込むこんでいく。少し皮肉な見方ですが、私にはそのように感じられたのです。地域住民は、河川とどのように関わっていくのか。地域住民は、行政が与えた公園という空間でアメニティを消費する単なる消費者なのか、それとももっと別の主体でありうるのか、そのあたりのことをきちんと考えていく必要があるように思うのです。別の言い方をすれば、コモンズとしての「都市河川」の思想が、今、問われているように思うのです。(このシリーズ、続きます。)

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