「大田区、羽田を歩く。(その2 )-多摩川・防潮堤沿い-」
環境/まち・東京

■「
大田区、羽田を歩く。(その1)-羽田・五十間鼻付近-」の続きです。五十間鼻から、多摩川の防潮堤沿いに歩いてみました。都市の堤防は、大変興味深い場所です。家々が密集した都市でも、堤防にあがると急にパッと視界が広がってくるからです。そこには「視界のメリハリ」があります。堤防は、密集した都市のなかに、結果として人家のない環境を生み出します。それらの環境は時間が経過するなで、ある種の「自然性を帯びた環境」(純粋の自然そのものではない)になっていきます。もちろん、自然保護や生態系保護の観点からは、堤防の造り方、あいるは堤防そのものが大きな問題(陸と水の分断、エコトーンの喪失)をもたらすことはわかってはいるのですが、それでも、堤防に登った人びとの意識には、「視界のメリハリ」や「自然性を帯びた環境」が大きな影響を与えるに違いないと思うのです。そのことを、大阪・淀川の堤防を歩きながら強く感じたのですが(
「淀川にちかい町から」のシリーズをお読みいただければと思います)、今回も、この多摩川の防潮堤を歩きながら同様の印象をもつことになりました。
*文豪・永井荷風は隅田川や荒川の風景を好みました。その永井荷風の作品を愛してやまない作家の川本三郎さんも、同様に、川の風景を求めて町歩きをされているようなところがあります。「都」とそこに隣接する「鄙」との関係性を、東京や大阪という都市の周辺領域に生まれる風景のなかに見いだし、論じることができると思いますが、それはまたの機会にしたいと思います。

■今書いたようなことをぼんやりと考えながら、気持ちよく堤防沿いを歩いていると、突然、赤い文字が眼に飛び込んできました。「前に進め ガンバレ お前ならできる」【上左】。誰に対してなのか、メッセージ(落書き)の意味はわかりませんが、ずいぶん気合がはいっています。ただし、私の関心をひいたのは、このメッセージよりもずっと小さくて地味な国土交通省の「船舶係留等をされている皆さんへ」という警告文のほうでした【上右】。
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一級河川多摩川水系多摩川左岸2km付近、東京都大田区羽田三丁目地先の河川区域において、不法に係留している船舶及び設置している工作物は、河川法(昭和39年7月10日法律第167号)第24条、第26条の規定に違反しています。
当行為は、河川管理上支障となるばかりでなく、国土交通省が管理している河川区域並びに国有地であることから、当該船舶及び工作物を国有地から撤去し、適正な保管場所に移動してください。
下図で着色している船舶及び工作物を河川法その他関連法令に則り、今後所定の措置を講ずることとなります。
従いまして、郵送又は船舶に貼り付けました意向調査にお答え頂き、協力の意思が確認できなかった船舶及び工作物を強制的に撤去を行う方針です。
河川管理員
国土交通省関東地方整備局
京浜河川事務所 田園調布出張所
連絡先 03-××××-××××
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■トップの写真は、Google Earth の画像を切り取ってきたものです。この警告文の掲示とGoogle Earth の画像、どちらが時間的に早いものなのかよくわかりませんが、もし、警告文のほうが後だとすれば、この画像に写っている多くの船舶や工作物(小屋等)が河川法に違反しているということになります。そこで、船の係留や工作物をめぐる問題も含めて検討するために「
多摩川下流部水面等利用者協議会」という組織が置かれているようです。

■写真集『空港のとなり町 羽田』を見ると、防潮堤ができる以前、このあたりには地元の漁船が数多く停泊していたところだったことがわかります。もっとも、この羽田(大田区の大森も)、開発の圧力と環境汚染により、1962年(昭和37年)、漁業権を全面放棄しています。多くの漁業者は廃業されましたが、一部の方たちが、遊漁船を経営され、現在に至っているようです。ただし、そのような「地元」の方だけでなく、地元とは関係のない、外部方もプレジャーボートも係留さているようで、そのためなのでしょうか、実際に、不法係留船に対する簡易代執行が、2004年と2006年に行われました。また、「
多摩川下流部水面等利用者協議会」の「
第5回 多摩川下流部水面等利用者協議会(平成18年7月4日)」では、「業をなしている船舶については、プレジャーとは明確に峻別して、許可について最大限尊重する」ことが確認されています。国による河川管理の論理と、河川を慣習的・継続的に利用してきた地元の側の論理との調整が、
様々な関係者の参加によって、行われているようです。地元からの強い要望が出されていることがわかります(遊漁船関係の工作物(小屋)には、国交省の許可を得ていることを示すプレートがはられていました)。河川利用の新しいルールづくりが模索されているようです。
■さらに西に進みましょう。首都高速神奈川1号横羽線と新大師橋が多摩川に架かっています。首都高速のすぐ横には、かつてここにあった「羽田の渡し」に関する石碑がたっていました。解説のプレートがはめ込まれています。そこでは、以下のように解説されていました。
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古くから、羽田猟師町(大田区)と上段町(川崎市)を渡る「羽田の渡し」が存在していたという。(中略)ここで使われた渡し船は、二〇〜三〇人の人々が乗れるかなり大きなもので、この船を利用して魚介類、農産物、衣料品など、生活に必要な品々が羽田と川崎の間を行き来していた。
江戸の末には、穴森神社と川崎大師参詣へ行きかう多くの人々が、のどかで野梅の多かった大森から糀谷、羽田を通り羽田の渡しを利用するため、対岸の川崎宿では商売に差しつかえるので、この渡しの通航を禁止して欲しいと公儀に願い出るほどの賑わいをみせていたという。(以下略)
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■この解説からは、江戸時代の神社仏閣への参詣とは、もちろん宗教的な意味合いが大きいわけですが、それと同時に、楽しみの機会であり、今でいうところのレジャー的な意味あいも大きかったことがわかります。都市(「都」)に住む人々が、「鄙」を楽しみに郊外の宗教施設に出かけるわけです。このテーマについては、穴守神社のことともに、(その3)で触れてみたいと思います。ところで、「羽田の渡し」の解説の横には、渡しの様子を描いたレリーフが埋め込まれています。富士山が見えるのですね…。そういえば、羽田の漁師の皆さんは、かつて「富士山の雲が西から北へ流れると西風が吹く」というふうに富士山をみて天気を予想されていたのでした。しかし、この日は、天気のせいもあり、また建物がたちならんでしまったせいか、富士山はまったく見えません。ということで、Google Earth を使って想像してみました。

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