
■少し前のことになりますが、建築家・ 玉井一匡さんのブログ『MyPlace』のエントリー「
やせがえる」(2007年10月18日)で、須曽明子さん(イラスト)と みやはら・たかおさん(作、作品での名前は「埴輪惣一さん」)の物語『
金魚人』のことを知りました。この物語にとっても惹きつけられたものですから、このブログでも「
金魚人(きんぎょじん)」(2007年10月26日)としてエントリーしました。また、玉井さんのエントリーのコメント欄にもたくさん書き込みをしました(いつものことなのですが…)。すると、とっても嬉しいことが。このコメント欄に、須曽さんと みやはら さんが、コメントをしてくださったのです。
■『金魚人』って何?という皆さんは、まずは、一度お読みいただき、不思議な感覚に包まれてみてください。
○『
金魚人』
■さて、 みやはら さんからのコメントは、以下のものでした。
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こんにちは、はじめまして。ブログに書き込むの初めてなもので失礼があったらごめんなさい。スソアキコからメールももらって読みました、みやはらたかお、です。「金魚人」「あかしあ第一小学校」を読んでいただいてありがとうございます。
さっそくですが青山の金魚池というのは本当の話しです。ギーとかいうカレー屋さんのあたりだと思うのですが、道の両側に金魚の養殖場があったそうです。これは地元の古い不動産やさんから聞いた話なので間違いないと思います。(中略)このあたりは昔じめじめしていた土地だからなのか分りませんが、窓際にお札がありました。夜中にぱたんとよく倒れるという話しでした。今でもこのあたりはあまりいい場所ではありませんね。
それから松井、僕も似てると思ってました。わざとそうしたんだと思ってた。
それからちゅうぶらりんがいいという話し、とてもうれしかった。ぼくも同感です。話はそこで完結しているのではなく、長い話のここからここを切り取ったという感じが好きです。
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■私は、みやはら さんのコメントにある、「青山の金魚池というのは本当の話しです。ギーとかいうカレー屋さんのあたりだと思うのですが、道の両側に金魚の養殖場があったそうです」という部分が気になりました(最後の部分も、エントリーとは直接関係しませんけど)。そして、「このあたりは昔じめじめしていた土地だからなのか分りませんが、…」という部分も。私は「青山の金魚池、これからも情報探索するようにします。直感ですが、探索する意義があるように思っています。クンクン・・・。」なんてコメントも残していますね。しばらく、この金魚池のことは頭の片隅に行ってしまっていたのですが、お正月からの『川の地図辞典』“騒動”で、再び頭の真ん中に(?!)、金魚池が登場してきたのでした。金魚池は、どこにあるんでしょう?
■みやはら さんが、「ギーというカレー屋さんの近く」とお書きになっているので、ネットで調べてみました。「ギー」は「GHEE」のようですね。「GHEE」の住所は、「渋谷区神宮前2-18-7」でした。といっても、「GHEE」どころか、このあたりの土地のことは、何もわかっていません。東京で町歩きをするさいも、どちらかといえば、武蔵野台地ではなくて、低湿地帯のほうを中心に回ってきましたからね〜、仕方ありませんね(それに関西人ですし…)。

■というわけで、『川の地図辞典』の「渋谷区」252〜255頁で調べてみることにしました。う〜ん、「ギーというカレー屋さんの近く」、そして「渋谷区神宮前2-18-7」をヒントにして調べてみると…、わかりました!!今では暗渠になっている渋谷川と代々木川が合流するあたりです。渋谷川について、『川の地図辞典』の著者・菅原健二さんは、次のように解説されています。
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「…渋谷川は江戸期には流域の農村の灌漑用水として利用されていた。また明治はまでは多数の水車が水路に設置され、重要な動力源として使用されていた。しかし昭和の初め頃になると、流域の都市化の進行と陸上交通の発達などにより、川は下水の排水路へとかわった。渋谷川は平時は水量が少なく流れも細かったが、一度豪雨があれば、流域からの濁水が集中して洪水となり、大きな被害を出していた。(中略)渋谷川の上流部は暗渠化されて道路になってしまったが、神宮前三丁目28番と29番の道路際には『原宿橋』と刻まれた柱が残されており、この通りがかつての水路だったことがわかる。ゆるやかに蛇行して続く道路の両側には、民家や低層のマンションが並ぶ。(中略)代々木川の合流地点は、心身障害者福祉センター前の神宮前三丁目27番付近になるが、現在は住宅が建っており、場所の確認は難しい。…」
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■一方、代々木川については…
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「…かつては代々木川には明治神宮の湧水も合流しており、原宿警察署裏(千駄ヶ谷四丁目2番)付近では、鯉を捕まえて遊ぶこともできた。また大雨が降ると、渋谷川との合流地点付近は洪水が起きた、と地元の住民はいう。
現在、水路は暗渠化されて大部分が道路になったが、道路の中央に下水マンホール蓋が続くことから、かつて水路だったたとを知ることができる。…」
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■『川の地図辞典』では、金魚池そのものを確認できませんでしたが、著者の菅原さんがお書きになっている渋谷川・代々木川・合流地点に関する解説と、みやはら さんがコメントでお書きになった「このあたりは昔じめじめしていた土地だからなのか分りません」という点とは、ピタリと符合しますね。トップの画像は、『川の地図辞典』の菅原さんの解説と地図をもとに、「Google Earth」に書き込みをしたものです。中央の○のどこかに、かつて金魚池があったに違いありません。
■ここで、『川の地図辞典』の252・254頁を見てみることにしましょう。254頁には、川筋がわかるように、ピンクのラインマーカーで色をつけてみました。クリックすると、拡大できます。
■上の右の地図からは、渋谷川・代々木川のあたり、ともに明治初期には農村地域であったことがよくわかります。地図の代々木川のあたりは、川沿いに水田が順番にならんでいます。渋谷川の下流には、隠田(おんでん)村とあります。葛飾北斎の富嶽三十六景のひとつに、「
隠田水車」がありますが、この場所ですね。『川の地図辞典』には、上に引用したように、「明治はまでは多数の水車が水路に設置され、重要な動力源として使用されていた」と書かれています。北斎の描いた水車は、かなり巨大ですね。これだけの水車を回そうと思うと、かなりの水量があったのでしょう。ところで、渋谷川の下流は古川になりますが、その古川では、江戸後期から下級武士によって湧水を利用した金魚養殖が行われていたといいます。冒頭のご登場いただいた『金魚人』の作者みやはら・たかお さんのお聞きになったお話しからすれば、このような金魚養殖が現在の青山のあたりでも行われていたわけです。ネット上で、青山と金魚養殖で検索をかけてみましたが、情報のかけらもみつかりません。こうなると、やはり、地元に古くからお住まいの方に聞くしかありませんね〜。『金魚人』のインパクトと、『川の地図辞典』のインパクトに引っ張られるようにここまで書いてきましたが、やはり、『川の地図辞典』をもって、現地を歩いて聞き取り調査をする必要がありそうですね。
【追記】■「
渋谷コモン」というサイトがあります。このサイトの説明です。「渋谷駅とその周辺を巡る「都市再生」の動きに対して(参考資料)、地元の立場からなされた提案でした(2002年の提案)。今は、地元の方々にはもちろん渋谷の街を自らの生活圏の一部とする多くの方々に、渋谷の駅や街についての情報を発信して、共にそのよりよい未来を考えていこうという試みです」。このサイトのなかに、「渋谷らしさと原地形」というページがあり、「
渋谷川・宇田川の谷戸」という画像をみることがてきます。これをみると、渋谷川・代々木川が、渋谷区の地形全体のなかでどのように位置づけられるのか理解できます。
○「
渋谷川・宇田川の谷戸」
以下のように説明されています。
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淀橋台の発達した谷戸の一つ、渋谷川・宇田川の谷戸に注目すると、その包絡線が上広がりの三角の形をした渋谷区の区界とほぼ一致することから、そもそも渋谷区というのは、この谷戸を主たる区域とするように定められていたことが分かります。そして渋谷駅と渋谷のまちが位置するのは、この谷戸が最初に大きく渋谷川の谷と宇田川の谷に枝分かれする場所であったわけです。
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