
■京阪・京津線を走る電車(
京阪800系)です。右側の電車、浜大津を出発して京都方面に向かって急な坂を上っているところです。
wikipediaに頼ってしまいますが、「京都府京都市山科区の御陵駅から滋賀県大津市の浜大津駅までを結ぶ京阪電気鉄道の軌道路線。全区間が軌道法の適用を受けている」、そんな電車です。鉄道マニアではないので、この「軌道法」ってのがよくわかりません。「道路に敷設される鉄道に適用される法律」で、いわゆる路面電車のための法律のようですね。この京津線について、wikipediaでは、さらに次のようにも説明しています。
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かつては京阪本線と共通の三条駅(後に同線から分離して京津三条駅と改称)が起点で、蹴上駅付近では碓氷峠や東急玉川線並みの66.7‰の急勾配を越え、御陵駅までは併用軌道も交えて京都・大津間を結んでいたが、1997年10月12日に御陵駅以西が廃止され、京都市営地下鉄東西線へ乗り入れを開始した。同駅以東の逢坂山を越える大谷〜上栄町間にも61‰の勾配区間がある。浜大津駅付近は併用軌道となっており、4両編成もの電車が併用軌道区間を走り地下鉄へ乗り入れるというのは日本全国でここだけである(特例として認可)。
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■要するに、法律的には路面電車の扱いを受けているけれども、京都市営の地下鉄に乗り入れている、ということのようです。ですから、路面電車のようにみえて4両編成で、上の写真のような感じで大津の街中をしばらく走っていきます。なかなか迫力があります。「全国でここだけ、特例なのよ!!」というのも、意味もなく、「なんだかいいな〜」と思ってしまいます。急勾配の山を越えていくということも注目です。百人一首の「これやこの、行くもかへるも別れては、知るも知らぬも逢坂の関」(蝉丸)で有名な逢坂も通ります。上のwikipediaの説明にある、碓氷峠と同じとなると、これは登山電車級ですね。でも、東急玉川線並みってのがわかりません。調べてみました。「東京都渋谷区の渋谷駅と、世田谷区の二子玉川園駅(現二子玉川駅)を結んでいた、東京急行電鉄の鉄道路線(軌道線)」(
wikipedia)とあります。渋谷〜道玄坂上間のあの急坂を、路面電車が走っていたわけですか…。渋谷の「109」から西渋谷台地にのぼっていく坂のようですね…(と、自信がない…関西人なもので)。ちなみに、「‰」って記号ですが、「66.7‰」ということは、1000m走ると66.7mあがるということですか。


■まあ、とにかくです。それだけ急勾配だということなんですね(これ以上はよく知らないので…)。で、昨日のことです。浜大津にある大津市役所都市再生課の出先の事務所にいく用事ができました。その事務所からの帰り、せっかく浜大津に来たのだから、京津線にのって山科まで行こうと、急に思い立ちました。ホームに行くと、なにやら不思議な箱がおいてあります。「京阪電車も受験生を応援します!!」とあります。箱のなかには、小さなビニールの袋に入れられた砂が…。電車が急勾配の山を越えていくさいに、「滑り止め」にまく砂なのだそうです。そうです、「大学を滑らないように」というお守りですかね、これは!!願いがかなって合格したら、この「滑り止めの砂」を返却してほしいとも書いてあります。来年の受験生に、そのパワーを引き継いでいくためだとか。このような、利用者とのコミュケーションを生み出す手作りの「仕掛け」、面白い企画ですね〜。朝夕、この京津線、そして大津市内を走る石坂線(石山-坂本間)には、沿線の学校に通う高校生たちですし詰めになります。そのような高校生たちへのサービスですね。
ニュースをチェックすると、高校生の利用者の多い石山、膳所、浜大津、皇子山の4駅に置かれているようです。滋賀県限定です。
■このように書くと、この石坂線と京津線を含めた「大津線」の経営は順調のように見えますが、そうではありません。朝夕の通勤・通学時を除いて、昼間の利用客数が伸びません。大きな赤字を抱えています。
■で、どうするのか。地元では、様々な取り組みが行われています。たとえば、このブログでも紹介したエントリー「
電車 De BEER」なども、そのように取り組みの一つといえます。自分たちの大切な「足」石坂線に対する「マイ・レール」意識を高めようという試みでしょう(冒頭の写真にある京津線では行われていません。京都市営地下鉄に乗り入れしますからね…)。昨年の秋には、「石坂線文化祭」が行われています(昨年で3回目です)。石坂線を走る列車を動く「美術館」にして、車内に絵や書道など文化作品を展示するというイベントです。各駅でも、様々な展示が行われます。「日本一細長い美術館」です。このイベントについては、市民団体「石坂線21駅の顔づくりグループ」という団体が頑張ってこられたようです。
代表の福井美知子さんのインタビューを読むと、このイベントの背景等もよく理解できます。
■このインタビュー記事の最後のほう(タイトル「つながってゆく空間、時間」)には、次のような話しが出てきます。とても強い印象が残りました。
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私の生まれたところが石坂線の沿線で、カンカンと踏切の音がかすかに聞こえるところでした。石山で勤めている父が夕方家に帰ってくるときに、毎日妹弟と3人で駅へ迎えに行ってたんです。京阪のガタンガタンていう音と踏切の音がして、「京阪の音」=「お父さんが帰ってくる音」って云う感じでした。寒い日は改札の駅員さんが、狭い改札のボックスに入れてくださって、火鉢にあたらせてもらいました。
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京阪の社員さんも地元出身の方が多くて。車庫で文化祭号を飾り付け中のことでした。瀬田工のLEDを使った作品は、2日ほどで電池が切れるらしいんですけど、「毎日列車を動かし始めるときに電池を点検、セットせなアカン」云うことで、「どうしようか」となって…作品数も20個以上あり、電車の始業のときも忙しいですから。
「もう少し早めにそうすることがわかってたら、車内から電源とって、スイッチひとつでつけたり消したりできたのになぁ」って…。もう20時過ぎた遅い時間でしたが、車庫の向こうから小走りに来て、「ぼくやります」って人がいたんですよ。「同じ高校の、後輩のために頑張ります」って。同窓生の心のつながりみたいなものを感じましたね。
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■「マイ・レール」意識の涵養ということがよくいわれます。そこで大切なことは、単なる「移動手段」であること以上の意味や価値を、利用する人たちや社員が、鉄道のなかに見出していくことなのかもしれません(もちろん、「安全」等の、公共交通機関が担保すべき絶対的な条件は存在します)。この「石坂線文化祭」は、わずか9日間だけのイベントですが、列車や駅という施設が交流やコミュニケーションの場であり、移動しながら何かそこに楽しみを見出すことのできる場であること、さらにはそれぞれの駅を自分たちの手で個性をもち愛着の沸く場に変えていくことができること、インタビュー記事からは、そのようなことを人びと(社員も含めて)が実感されているように思いました。このインタビュー記事、
京阪電車大津線の公式ホームページ『keihan-O2.com』のなかに掲載されています。この公式ホームページ、なんといいますか、この「手作り」っぽいところが、なんともいえず良いな〜なんて思っています。
【追記1】■ところで、浜大津については、以前に、このブログのエントリー「
ありし日の江若鉄道」(2006年8月14日)で、大津市歴史博物館の企画展に関連して解説していますので、そちらのほうをご覧ください。
■今からだとなかなか想像できませんが、この冬の時期には、大阪や京都の若者たちが、スキーをもって京阪電車・京津線の電車の乗り込みに乗り、浜大津にやってきました。浜大津からは、船にのり湖北のスキー場へと向かいました。
スキー船です。船中で1泊し、朝起きると、そこは湖北・マキノのスキー場というわけです。琵琶湖の西側に住む方たちも、とりあえずはこの浜大津に来ないことには、京都にも大阪にも行けませんでした。湖西地域で商売をしている人たちが、商談で京都や大阪にいった帰りに、「この浜大津で1泊して大金使って遊んで帰ったものや…」、なんて話しも聞くことができます。

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