
■前回のエントリーしたときと同じく、引き続き、中国は浙江省寧波市にいます。先日の福田首相の辞任については、こちらでも大きく報道されました。といいますか、こちらの皆さんは、隣国の出来事であるにもかかわらず、ものすごく強い関心をもっておられるようです。タクシーで街中から寧波大学のホテルに移動するさい、タクシーに同乗されていた寧波大学のR先生の携帯に、さきほどまで一緒にいた大学院生のS君から、「緊急」の連絡が入りました。福田首相が辞任したというニュースが流れているという連絡でした。そのニュースを聞いてR先生も大変驚いていました。
■こちらでは、政治のトップにいる者が、任期途中で自ら辞任するなんてことは考えられないからです。また、中国では、誰が政治のトップに就くのかによって大きく政策が変化することもあり、政治の動向には多くの国民が大変強い関心をもっています。そのようなお国柄ですから、日本の首相の辞任に対しても強い関心を示すのです。ちなみに、日本の知人(同じ業界の人ですが)からも連絡がはありましたが、淡々としたものでした。多くの日本人は、日本の政治では権力が特定の個人に帰属するのではなく、システムとして存在しており、首相がかわっても日本の社会のシステムがすぐに大きく変化することはないと思っているからです(もちろん、このような政治システムの差異については、考え方によって様々な評価があるとは思いますが、ここではその点には言及しません)。さて、首相辞任は政治に関する事柄ですが、それ以外にも、こちらに滞在していると日中間の差異に気がつきます。今回は、家族のことについて少し書いてみたいと思います。
■中国への出張は、今回で7回目になります(すべて仕事がらみの出張というところが、ちょっと悲しいわけですが・・・)。はじめて中国に行ったのは26歳のとき、1984年ですから、もう四半世紀近くも前のことになります。そのあいだ中国社会は驚くほど変化しました。しかし、印象として変わらないのは、人間関係の強さや濃さです。もちろん、日本人と比べての相対的な話しですが、中国人は、人間関係を大切にします。人間関係の網の目を日々大切に維持しておくことが、なにかあったときのセーフティネットになる、そのような功利主義的な考え方もその背景にはあると思いますが、強く濃くあってこそ人間関係ではないか・・・そのような発想があるように思うのです。たとえば、友人を助けるばあいでも、日本人であれば「そこまでやるの」と思うところまで徹底しています。日本人が「それは、たとえ友人であっても頼めないな〜」と思うことでも、平気で友人に頼むし、友人の側もそれを「いいよ」「友人なんだから当然じゃないか」と躊躇なく引き受けるわけです。ですから、中国人からみると、日本人の人間関係は淡白でよそよそしいものにみえてしまいます。このような人間関係の強さや濃さは、家族においても同様です。
■日本社会では、「90年代以降、家族の本質的個人化が進行している」との指摘があります。これは、日本の家族社会学者の指摘です。この家族の本質的個人化とは、他の家族員から干渉されたり、他の家族員のことを気にすることなく、家族のなかで自己の行動を決定できる領域が広がっていく状況をさします。今述べた社会学者は、もっと厳密な定義をしていたように思うのですが(中国にいるため、残念ながら、その論文が手元にはありません)、とりあえず、このように理解してください。さて、このような家族の本質的個人化が進むと、必然的に家族の枠組みが揺らいでいくことになります。自分の考え方や価値観にあわなけはれば、個人化が進む前と比較して、家族は簡単に解消されることになります。ばあいによっては、子どもも、自分にとっての束縛や足かせのような存在に見えてきます。育児放棄などがおきます(しばしば事件になりますね)。幼い子どもだけではありません、老人、障害者、病人、そのような弱い立場にある人たちが、家族の外部に、すなわち厳しい状況に追いやられます。また、経済力があり、異性としての魅力があれば、再び家族をもつことができますが、そうでない人は・・・書くまでもありませんね。家族をもつことができる人と、そうでない人に階層分化していく。その他いろいろあるわけですが、まとめれば、家族の本質的個人化の進行により、様々なリスクが発生してしまうのです。家族は、個人を守る存在でなくなっていくわけです。中国に出張するすこし前に、このような「家族の本質的個人化」について書かれた論文を読むチャンスがあったものですから、今回の出張でも、頭のどこかで家族のことが気になったのでした。

■今回の中国では、前々回のエントリーでも書きましたようにS君が同行してくれました。この写真は、慈城にお住まいのS君の伯父さんにインタビューをしたあと、伯父さんのお宅で夕食をご馳走になっているときのものです(この夕食も、「あっ、食事していく?そうしなさいよ」ってなかんじなんです)。伯父さんご夫婦だけでなく、近くに暮らすS君の従兄弟の家族も集まり、賑やかな夕食になりました。日本に留学しているS君が帰国したからということもありますが、このような親子の交流はごく日常的にあるのだそうです。親夫婦のもとに、子どもの家族が訪問して食事を一緒にするということは、どこでも見られるごく日常的にできごとのようです。このことは、S君の伯父さんのお宅だけの話しではなく、中心市街地にある居民委員会*1でインタビューしたときにも確認できました。「孝」の観念が強く人びと行為を方向づけているようにも思います(もちろん、儒教のなかで語られるような「孝」の観念とはかなり違うものですが)。以上のことは、印象論的であって、実証的かつ計量的データにもづいているわけではありません。また、日本でも、このような交流はあるとは思います。しかし、その頻度や濃さが日本の比ではないように感じたのでした。

■私は家族の研究してきたわけではないので、よくわからないのですが、一人っ子政策が、中国の家族のあり方に大きな影響を与えているはずです。また、別のインタビューでは、北京や上海のような大都市では、上にみてきたうな中国の家族のあり方にも変化が見られるという話しも聞きました。市場経済化の影響、欧米や日本でみられる「家族の本質的個人化」が、どういう形であらわれているのか(あるいは、いないのか)、日本とはどういうふうに異なるのか、気になるところです。職業柄そういうことが気になるのですが、今回の出張では、街のあちこちでも、見ていて思わずシャッターを押してしまうと親子の光景に何度も出会いました(これは、家族に対する私の価値観を投影しているわけではありますが・・・)。トップの写真は、慈城の街中のある路地で撮影したものです。小学校から下校してきた女の子です。写真ではよくわかりませんが、彼女は、お母さんの夕食の手伝いをしています。上の写真は、酒屋さんです。店先で、男の子がお母さんから勉強をみてもらっています。

■もう一枚下の写真。これは、家族とは関係ありませんね〜。蛇足です。これは、慈城にある孔子廟の壁です。夜、散歩をしているときに撮影しました。中国の浙江省にいるわけですが、一瞬、もっと西のほう、西域の街の城壁のようなイメージが心にうかんできました。
*1 居民委員会とは、行政の末端機能と住民の相互扶助機能をあわせもった組織のことです。たとえば、私たちが訪問した居民委員会では、一人暮らしの老人をサポートするための仕組みがつくられていました。一人暮らしの老人と、地域の人びとがペアをつくって、日常的に老人をきづかうような仕組みです。

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