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2009/1/15
船頭の言葉「イカ釣り漁師は肉とかと違ってイカを育てられねぇ。とれるかどうかはやってみるまでわからねぇからよ、そのプレッシャーはとてつもねぇぞ。つぶれていく者や自殺する漁師もいっぺぇいた。」
結誠丸ノリさん「裏切られたこともあっけど、船団の誰かが困っていたら自分の船がひっくり返ってでも助けさ行ぐ」
第28天洋丸和泉さん「船から見える虹は本当に近くてそれに触ろうとして船から落ちた者も何人もいたそうだよ。」
結誠丸森のお父さん「昔、船がかっぱがっておら以外船頭からみな死んだときはよっぽど漁師やめるべぇと思ったけどよ、気がつけばまだ漁師やってる。」
天洋丸キクチさん「ラーメンはうまい、まずい、でなくて食う人の口に合うかどうかの問題よ。おらはそうだと思ってる。」
キクチさん「単純だけど、漁師の仕事は奥が深ぇだろ?」
今の奥さんが再婚だという話の中で、、、
船頭「前のおっかあはずいぶん前に亡くなっちまった。ま、生きてりゃいろいろあるな。」
咳が続く奥さんを病院に連れて行くと胸にレントゲンが写り、、、
船頭「人生はうまいごといがねぇなぁ。」
船頭「オットセイはカレーに入れて食うとうんめぇ。イルカも鍋に入れて食ったりすっけど、一番はマンボウだ。白身の肉でちょっと高ぇげど、それだけ払って食う価値はある。正月にはクジラ汁こさえてやるべ、おっかあさ言って。」
船頭「若い頃はきかなかったからよ、ヤクザもんに絡んでいったり、よその船の船頭ともめてよ、よぉく殴り合ってたりしたもんだ。一発殴られたら必ず2発返す、こっちが血ぃ出ててもよ。まだ二十歳にもなんねぇうちからそうだから、今でもほかの船のやつはびびってっぞ。」
小型発動機はガス欠したらかかりにくくなる。それを見て、、、
進光丸船頭「だから言ってるべ、ガスはケツからだけにしとけよ!」
進光丸船頭「不漁のときは厄払いにパチンコよ。けど行ったはいいけど有り金全部飲まれでよ、飯も食えずに店から2時間以上も雪の中歩って帰ってきたもんよ」
大親方「若い時分、カナダさ行く遠洋船さ乗ってた。熊みてぇな大男の向こうのやつらにまじって毎日塊みてぇな肉食って、浴びるほど酒飲みながら魚とってたぞ。サクランボのジュースかと思ったら強い酒だったこともあったが今じゃ酒のむもんの気が知れねぇ」
それを聞いた奥さん失笑「よっく言うわ。どんだけ別れようかとケンカしたか、お父さんの酒癖は、、、」
大親方「ずっと人に使われてちゃいけねぇと思って自分で船買った。こつこつと一歩ずつやるのが一番だ。桂馬みてぇに先を急ぐやつはこけでく。見てみろ、今じゃおらは土地買って家こさえで、、、」
船頭「周りからは止めらったけど、イカ釣りのイの字もわかんねぇうちからイカやってよ、仕掛けも箱入れも全くわからねぇ。市場のやつには叱られで叱られで。それが今はよ、ほかの船から一目置かれる。昔は信用もなくて誰もカネなんか貸してくんねっけ。今はもう大丈夫だ。」
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2008/11/25
なかなか更新できてませんが実は今月初旬から函館近くの漁村でイカ釣り漁船の乗務員として働いています。北の地では極寒の海に立ち向かう男達がいることを学んでいます。
いままでにないくらいタフな仕事だけどまた時間があれば報告する予定です。
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2008/11/1
キタキツネは春に数頭の子供を産む。そして秋にかけてその子育てをする。
「えぇ、こんなのやだよぉ、またカエルぅ?」
「キキ、わがまま言わないの」
「あたしも鳥が食べたい!」
「コラコラ、タタも!」
「まだあったかくって血がこぼれるくらいのがいいよねー?タタ」
「うん」
「まったく二人とも、、、このごろはなかなか獲れないのよ。カエルでもきちんと食べておかないと。これから寒くなるし、それにこれからは自分たちの力で・・・」
「え?なに?ところで、ねぇ、かーちゃん、とーちゃんまだ帰ってこないの?」
「そうねぇ、二人においしいものを獲るために遠い遠いところへ行ったのよ。いい子にしてればすぐに帰るわよ。」
「うん、わかった。」「わたしもー。」
「タタ、とーちゃん早く帰ってくるといいね。」「うん。」
「じゃそろそろまた行ってくるから、二人ともおとなしくしているのよ。うるさい子たちには・・・ヘビが来るからね。」
「うわぁ、ヘビやだぁ!」
「ほんとやだな、食べても骨ばっかりなんだもん。」
「キキ、違うわ、生きたヘビよ。あの大きな口を覚えているでしょう?」
「あぁ、かーちゃんが殺しちゃう前のヘビか、うん、あれもいやだ。」
「ふふふ、じゃあほんとに行ってくるね。」
「はーい、いってらっしゃーい!!」
小さながけの岩の間に掘られた穴の中、キタキツネの兄妹は時にじゃれ合い、時にまどろみ、狩りに出た親を待つ。
「うーん、もう食べれないよぉ、、、」
「んもぅ、キキはいっつも寝言うるさいなぁ。キキ、こら、キキったら」
「なんだよぉ、それぼくのだぞぉ、むにゃむにゃ、、、」
「こらぁ、キキ、もっと向こう行って!」カプッ。
「いてて、うわぁ鮭のおっきなのにしっぽ噛み付かれたぁ!!!あ?タタか!もうちょっと寝かせてくれよ、朝はまだだろ?」
「もうっ、またとーちゃんみたいなこと言わないの。穴の中じゃ朝も夜も一緒じゃない。」
「なーんかおなか空く夢だったなぁ」ぐぅー。
「ねぇ、ウサギの骨残ってたよね?」
「あ、そうだ!あれしゃぶろ。」
「あ、ずるい、あたしもー!」かりかりかりかり・・・
親を待つ穴倉の中の時間は無限とも思えるほどゆっくりゆっくり進むのだった。
一方母狐は、、、
「おやまぁ、ずいぶんと寒くなったわねぇ。この分だと雪はもうすぐだねぇ。今のうちに獲れるものを獲っておかないと、、、」
山の木々は色とりどりと紅葉を迎え、谷や峠に色づいている。ある所には息を飲むほど真っ赤なもみじ、またある所には黄色い広葉樹。遠くから見るとそれは山々の上一面にまるで高級な手織りのペルシア絨毯を広げたかの様。
「こんなところまで来てもねずみ一匹さえいやしないわねぇ。また今日もカエルしかないかしら、、、あれ?でもなんだか人の匂いがする。ちょっと見てみようかね。」
それは山あいの見晴らしのいい場所に設けられた狭い山道の対向車よけのスペースだった。
「人はいないようだけど、なんだか匂うねぇ。」くんくん・・・
ガードレール脇には先ほどまで景色を眺めていた人たちが残した弁当の箱が置き去られていた。
「いい匂いねぇ、何かしら?」
母狐がプラスティックの蓋を鼻で開けると更にいい香りがあふれ出た。弁当の中に残った唐揚げだった。
「あらあら、いい物を見つけたわ。あの子達の喜ぶ顔が思い浮かぶわ。」
母狐はフワフワと跳ねる様に穴倉への帰路に向かった。
がさがさっ
「ん?何かな?ヘビかな?」
「えー、タタ、ヘビ怖い。」
「ほらぁタタがうるさくするからぁ!」
「ただいまぁ!」顔を出したのは母狐。
「あっ、かーちゃん!!おかえり!!」
「二人ともいい子にしてた??」
「うん、もちろん!タタがうるさかったけどね。」
「え〜、ちがうよ、キキの寝言のほうがぁ、、、」
「おやおや二人とも、元気ねぇ。そんな二人に、はい、お土産よ。」
「うわっ、なんだろう?」
「いい匂い!あ、キキ全部とらないでよぉ!」
「はいはい、取り合わないの。二人で食べられるように、ほら、半分に分けたら。」
「うん」
「はぁい」
「おいしいかい?」
「うん、でもかーちゃん、この鳥ちょっと油っぽいね。」
「なんか油だらけー!」
「そうね、でも二人とも残さず食べれたのね。えらいえらい、二人とも!」
「おなかもふくれたし、また眠いっ!」
「ふわぁ、あたしもー!」
「はいはい、キキ、タタ、こっちにおいで。」
「カーちゃんのお腹あったかい!」
「ポカポカだよねぇ!」
「明日は雪が降るかしらねぇ?」
「むー、雪って、なぁに、、、?タタ知ってる?」
「しらなぁい。」
「雪ってね、キキ、タタ、空からフワフワ降ってきてね、それはそれは白くて冷たくて、、、アラアラ、二人とも寝息立ててもう寝てるわ。」
その晩夜半から降りだした雪はシトシトシトシト降り積もり、山にうっすらと雪化粧をほどこした。
山道を見下ろす峰の上の木で一羽のカラスが羽を休めているのを認めて、上空を飛翔していたポガルは一気に降下した。白い雪が覆う中、黒い体はよく目立った。そして威嚇の一声をあげた。
「おい、そこの黒いのここはおれの縄張りだ。」
「はは、やっぱりみつかっちゃうよな、やれやれ。」
次の切り返しでポガルは鋭い脚の爪をむき出しにして相手に飛びかかった。しかし茶色い塊となって翻り弾丸のようになって向かうポガルの体がカラスに当たりそうになる寸前、カラスが身をよけないことを不審に思ったポガルは攻撃の手を止めた。
「どうしてよけようとしない?」
近くの枝に止まり相手の様子を注意深く窺いながらポガルは聞いた。
「けがしてんだ。」カラスはぶっきらぼうに答えた。
「怪我をしたカラスが何でこんな山奥にいる?人に付かず離れずがカラスどもの生き方だろう?」
「おいらはワタリガラスさぁ、寒くなる前にもっと北からの地からここまで来た。」
「で、その怪我はどうした?」
「町で人間に石を当てられたんだ。池のほとりで羽を休めてただけなのに。ワタリガラスは人には悪さはしない。人間には分からないんだよな、フツーのカラスと誇り高きわれらワタリガラスの違いが。」
「誇り高き、か。ところで名はなんという?」
「他のカラスからはクロスケと呼ばれてるよ。」
「そうか、クロスケ私はポガルという。このあたりの山の獲物は私の口にしか入らない。分かるな誇り高きものよ。こんなところにいても餓えるだけだ。仲間のところに戻ったほうが身のためだろう。」
「もうみんな飛び立ったよ。」
「行かないのか一緒に?」
「行けりゃ行ってるさ。町に出れば人や猫やカラス、ストレスが多すぎる。ここなら襲われる心配もないだろうし、、、」
「そして食うものもないぞ。」
「山の王者、隼が襲わなかったんだから、差し当たって命の危険はないかな。だって肉以外なら何でも食べていいんだろ?クルミやツグミだって食べれるし。知らないでしょ、肉以外の味?意外とおいしいよ。それに人の近くに行けば畑もゴミ捨て場もある。」
「悪いことは言わん、人のものには手を出すな。いつか痛い目に遭うぞ。」
「そんときはそんときさ。それにしても人間は一人であんなに食う気かな?」
「あんなに、というと?」
「畑や田んぼだよ、知ってるファルコンさん?」
「さっきも何やら言っていたがおおかた人の持ち物のことだろう。それにしても最後の呼び方は何だ?」
「人が食べ物を作る場所、それが畑と田んぼ、で、隼さんの外国語名がファルコン。」
「うむむ、物知りだな。では最初の問い、あんなにっていうのは?」
「人が畑や田んぼを管理してるでしょ?あれは自分の食べものを作っているんだ。」
「食べ物を作る?獲るものではないのか?食べ物は?」
「だ・か・ら、まどろっこしいな」
「あの、人がよく現れるまったく木のない場所か、、、」
「そうそう、その調子!」
「あの緑を全部食べるのか?」
「それは牛の仕事。牛は人のために仕事をして最後は人に食べられちゃうんだけど、まぁいいや、それは。」
「ウシがハタケ?」
「たはー、あーあ、やっぱりこんがらがってる、、、牛と畑は別!!あ、でも育てて食べ物”を作っているという意味では一緒か、、、あーもうややこしいな!!」
「結論はどういうことだ、つまり?」
「野菜や植物に土の中の養分を集めさせてその実を食べてるのさ人間は。」
「その上、鹿や熊も殺すだろう?煙と大きな音の出る鉄の塊でな。」
「それにほらこの羽見てよ、カラスには石とかも飛んでくるんだ。」
「それも食べるためにか?」
「いやカラスが食われたところは見たことがないけど。でもさ、町のカラスもやつらの落としたり残したりしたものを処理してやってんのにいい迷惑だよな。」
「おい、おしゃべりはもういい、クロスケとかいったか。カラスよ、山に住むつもりなら山の掟を守れ。山の掟の一つに人のものに手を出すな、というのがある。これが守れぬものはこの山にはおれん。」
「だから俺は誇り高きワタリガラスだって!窮すれば欲すだけど、普段はナチュラル志向の天然自然主義さ、人のおこぼれには預からねぇよ!」
「よし、では畑や田そして家に住む飛べない鳥や鎖につながれた狼の末裔には手を出すな。それが守れなくば私がこの山より力ずくで追い出す。」
「え、それだけ?」
「それだけとは?」
「てことは、それを守ればここに住んでいいんだね!」
「ああ、許す。」
「しかし物を食うときは私の目の届かないところで食え。」
「いや、それよりもまず獲物が獲れるかな、、、?」
「いくら苦しくても山の掟は掟だ。これからはそれらをひとつずつ教えてやる。」
「恩に着るよ。恩は必ず返すからな、そっちこそ忘れんなよ!」
「フフフ」
なんで許してしまったんだろう?もっと外の世界の話が聞きたかったのかもしれない−クロスケと別れて枝を飛び立ちながらポガルは自らの問いにこう答えを出していた。
「キキ、かあちゃん帰ってこないねぇ。」
「タタ、心配すんな、いい子にしてれば必ず帰ってくるって。今までもそうだっただろ?」
「あたしほんとにお腹ペコペコー!」
「その辺にこないだのエゾリスの骨があるだろ?」
「もうぜんぜん味しないよぉ。」
母狐は餌を獲りに行ったままもうかれこれ数日も穴倉の巣へは戻ってきていなかった。
それからまた数日・・・
「もう我慢できない!」
「うん、タタ、僕もだよ。穴の外にかあちゃん迎えに行ってみようか?」
「え?でもかあちゃん、穴の外にはヘビとかカワウソとか怖いのがいっぱいいっぱいだって、、、」
「大丈夫、そんなの僕が頭からバリバリ食べてやる!」
「うーん、かあちゃんは穴から絶対に出るなって言ってたしなぁ、、、」
「でもこのままじゃ二人とも腹ペコで動けなくなるよ。それに外にはおいしい鳥やウサギがいーっぱいかもよ?」
ぐぅー・・・「お腹鳴ってる。おいしいヤマバト食べたいな。」
「よし決まった、行こう!」
二人は穴倉の入り口から恐る恐る外の様子を見てみることにした。それは雪が降り積もった満月の晩のことだった。
「へぇ!穴の外って夜はこんなに真っ白なんだねぇ、タタ!」
二人の鼻先を月の明かりが優しく照らし出している。
「キキ、鼻が冷たくてヒリヒリするよぉ」
「足もビチャビチャちべたいや」
「かあちゃんいつもこんなところ歩いてたんだ、大変だね。」
「さぁ、そのかあちゃん探しに行くぞ!」
二人の空腹感と母狐を思う気持ちは抗う恐怖心に打ち克った。見たことも聞いたこともない新たな世界に子狐たちは一歩を踏み出した。
ギャーギャーギャーギャーギャア、、、山のふもとの小さな漁村では今日もカラスたちがゴミを食い散らかしている。ここにいるカラスたちはワタリガラスではない。都市型の人間寄生種、ハシブトやハシボソガラスである。豊富なゴミを食べ、皆丸々と太っている。そのうちの一羽がひときわ大きな声を張り上げた。
「人間どもときたらゴミばっかり作りやがって。ま、そのおかげでおれたちゃくっていけるんだがな。」
「おうさ、クロヒゲ奴らはてんで能無しのどアホだな、食えるところばっか捨ててやがる。」
「なぁにが生産だ、なぁにが製造だ半分以上はまだ食えるとこ残ってんじゃねぇか。おれたちゃそれを代わりにリサイクルしてやってんのに奴らとくりゃおれたちを見れば目の敵にしやがって、おかしいと思わねぇか?」
「まったくだ、大体食えるところは食えるものが食う、それが自然の摂理ってぇもんじゃねぇのか。それをてめぇ、食いきれねぇもんをやたら抱え込んで挙句にポイと捨てちゃ、ハイ、さよなら、かよ。」
「おうおう、スミカス、たまにゃいいこと言うじゃねぇか。おれたちゃこの獲物を骨の髄までしゃぶるわな、そのあたぁ鼠がかじろうが虫が食いつこうがそんなこたぁちっともかまやしねぇ。」
「獲物といやぁ、クロヒゲ、こないだのキツネはうまかったな。」
「おぅ、あの山道のか、よくお前あんなところ隼の旦那に見つかる前にありつけたもんだ。」
「なぁに勘が冴えたのさ。おっといけねぁまた人間がきやがった。」
「おぅ、ずらかるか。」
朝焼けのまぶしい中、ポガルとラナットは同じくまたブナの木の枝の上にいた。
しかし変わったことといえばラナットの喉は老衰と寒さでポガルの運んでくる小動物の切り身さえ通さなくなっていた。
「師匠、どうか栄養をつけて下さい。」
「いや、もういいのだ、ポガルよ。わしはもう十分生きた。あとの楽しみは最後の散り際じゃ。ゴホッゴホッ」
「またそのような、、、お気を強く。しかし師匠もしもこれが本当に最後だとすればわが問い、生涯の意味とはなにか、これだけをどうか教えてください。」
「また大仰な。それはポガル頭で考えることではないよ。」
「しかし我々は何のために生き、何のために死んでゆくのでしょう?生きる価値とは?もしそれがないのなら、死んでも同じなのでしょうか?」
「それは創造主の考える領域じゃよ、ほれ見てみぃ、木も山も星もそんなことは誰も自問しとらんじゃろう。ただ黙ってそこにある。」
「我々には脳があります。考えることができる。できるということはつまりやらなければいけない、ということではないでしょうか?」
「おぬしは自分の頭の中の世界だけで生きておる、ホレ見ておれっ」
言うが早いかラナットは枝を離れて木陰から姿を現した二匹の子狐の前へ身を挺した。
「あ、鳥だ!キキ!」
「ほんとだぁ、捕まえよう!」
二匹の子狐たちは木立を縫って追いかけてなんなくそのスズメを捕らえた。
「よし、タタ、半分こだ。」
「ワーイ、ごはん!おいしいね!」
「うん、あったかくておいしい!ちょっと少ないけど。」
「よーし、この調子でもっと捕まえてかあちゃんみつけるぞ!」
「うん!」
二匹の子狐は初冬の山の中へ消えていった。
「あぁぁ、師匠、それがあなたの生涯の生きるという意味なのでしょうか?自らを捧げること、自我を捨てること、不肖者の私にはまだまだわかりません、、、」
明けて次の日。
「隼のアニキ、元気ないすね。どうしたんですか?」
「いや、なんでもない。」
「最近落ち込んでないですか?何かあったんですか?」
「なんでもないと言っているだろう。」
「まぁいいや。町のカラスたちがおとつい山道のところで車に引かれたキツネを食べたと騒いでましたが知ってます?」
「いや、知らなかった。ところでクロスケよ、命とは生涯とはなんだろう?お前の博識を持って答えてくれないか?」
「なんだかやたら抽象的な話だけどおいらにとってそんなのに意味はないね。もともとそんなのの意味がわかるようには作られちゃいないんですよ、我々は。ただ食って遊んで寝るだけ。あとはあんまし寒くない場所で子供ができればいいかな。」
「うーむ、、、」
「どしたのさ?ほんと顔色悪いよ。いやぁそれにしても腹減ったなぁ。昨日2匹の子狐見つけたんだけどな。町のカラスたちが言ってた車に轢かれたキツネの子供かな。アニキ見ました?あ、アニキが見たら子狐なんか即あの世行きだった!」
「クロスケ、あの2匹、もし今度見つけても放って置いてくれ。私からのお願いだ。谷のほうへ下ればドンゴ親父の残した鮭にありつけるかもしれん。運がよければの話だが。」
「借りた恩は返す、これが次の山の掟ってわけですか?大丈夫、おいらには獣は殺せねぇ。それにアニキのたっての願いだ。何か事情があるんでしょう。承知しました。」
「うむ、訳あってこれから私はあの二人を見守ることにする。」
「えぇ、親代わりってこと?」
それからの二匹の子狐キキとタタの冒険はついていた。弱ったカケスや脂ののった岩魚、瀕死のナキウサギなどが行く先々で簡単に見つかるのだ。
「キキ、今日も調子がいいね!」
「うん、タタ言ったとおりだろう?やっぱり穴の外はおいしいものだらけだ!」
「それにしてもあの大きな鳥怖いね。」
「なんだかいつも僕たちの行き先を邪魔してるみたいだ。」
その冬、ヒグマや人気の多い方向へ行きそうになる二匹の子狐を驚かせては懸命に安全な場所へと導く隼の姿を、山でいちばん大きな白樺の木はしんしんと降り積もる北国の深い雪の中、いつも見ていた。
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2008/10/29
北の大地には厳しい冬の訪れを告げる、自然の一大イベントがある。
寒い地方では10月初旬から11月にかけての晩秋、雪が降りはじめる直前の頃、空が一面突如発生する小さな白い虫に覆われる時期がある。羽の大きさを含めてハエくらいの大きさもある虫なのだが、飛翔する力がないためふわふわと“風に舞っている”という表現が相応しく、その綿毛をまとった白い姿はちょうどまるで雪のようなのだ。
ユキムシ、それがその正体である。
一説によると木の皮の隙間で暮らしているユキムシたちは本格的な冬の寒さが到来する前により暖かく快適な場所を求めて皆で一斉に引越しをするらしい。宮崎映画のススワタリではないが“マッシロシロスケのお引越し”とでも言ったところか・・・
さてこのユキムシ捕まえてよく見てみるとフワフワ&モコモコの綿帽子をお尻にかぶっている様でとても愛らしい姿をしているのだが、うっかり話をしながら歩いていたり、自転車で移動したりしていると空中を大量に飛ぶ彼らはどんどん口や目に入ってきてしまう。しかもまたうっかりとその体をつぶしてしまうと赤紫の体液が流れ出してくるのだ。これはちょっとグロテスク。
しかしこの雪の訪れを告げる冬の風物詩はそこに住む人から話を聞いたり、その土地に住んでみるまで全くその存在を知らないものだった。まるで“違う世界の住人”とでもいったような感がある。そこに飛び込むことでしか見れないものがこの地球にはたくさんある。
今年はユキムシの出が早い。初雪の降る日は日一日と近づいてきている。
参照:
・雪虫−Wikipedia
・トドノネオオワタムシ
・雪虫の長い旅
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2008/10/5
北海道はメシがうっまいどー!!!
・・・と、さむいギャグで始まりましたが本当に北海道の食材はおいしい。友達のおばあちゃんの家の庭で採れたというブドウ、身がぷりぷりでフレッシュな切り身のシャケ、鍋に入れると絶妙な生まれて初めて食べた鮭の白子、ガリッと頬張ると口の中でぽりぽり弾むキュウリ、煮ても蒸してもホクホクなジャガイモ、脂肪の甘みが濃厚な乳製品、などなどなど。食べ物はなんでも素の味が濃くて噛むほどに口の中に味が広がってきて、なんだか大地の恵みをそのままいただいてるって感じがする。
やばいなぁ、これからの課題はいかにいまのままの体形を維持するか、だな(汗
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2008/9/1
昼間の暖かさも緩やかになり始めたある初秋の夕暮れ時、雑木林のブナの木の枝の上の水平線のかなた虚空を見つめる若い隼の隣で年老いた老雀ラナットがポツリとつぶやいた。
「今年の冬は越えられんなぁ」
「ん?出し抜けに何を!?何の話ですか?」
「わしの体じゃよ」
「日ごろお見受けする分にはお体は健やかであるご様子。師匠、一体全体どうしたというのですか?」
「健康だからこそ自分の体はよくわかるんじゃ。病は歳月を待たんが寿命はそれを待つ。とにかくわしゃ今年の冬は越せん。」
「お師匠の言葉とはいえ、この度はたやすく首肯することができませんね。」
「おぬしが信用するしないは勝手じゃ。じゃがこの山の冬の寒さの厳しさはおぬしもよく知っているじゃろうて。わしはもう長くはない」
「もしも本当ならば、いま感傷に浸っている時間のことのほうが悔やまれる」
「そうだ。わしはまだ生きておる。泣くのはあとでいい」
「はい。僭越ながら師匠、あなたはこれまでの生涯満足しておられましたでしょうか?」
「うむ、大きなジョロウグモの巣に引っかかって丸2日宙吊りになっていたときは生と死の意味をとことん考え尽くしたし、いやあの時はポガル、何度の言うがおぬしが通りかからなかったら助からなかったのぉ。」
「いえいえ。師匠ならわかりませんよ、自分なんかあの時はまた師匠の修行の一部かとも思いましたし、ははは。」
「今となっては笑い話じゃが、あのとき逆さまの状態で空に飛行機が残す白く長い雲が残るのを見つめ、わしが生涯でその後に何を残したか、それについて考えると悔恨ばかりが浮かんでは消え、、、雀の涙も枯れんばかりだったぞ。」
「海の上では船が白波をその後に残すのを私も見ました。軌跡や足跡、それぞれが動いたあとには必ず何かが残る。私はこれからどんな跡を残すことができるのでしょうか・・・」
「まずは子供じゃな。子供を授かることこそが一つの生命のもっとも大きな使命の一つとなる。しかしよく思い出してみるとこの小さい体なりのスケールでわしもやりたいと思ったことはもうすべてやってきたつもりじゃ。雛たちももう何度も孵(かえ)したし、秋の稲穂の一番香ばしい実りもを人より先に食べつくしたこともある。わが生涯に悔いは全くない。といいたいところじゃが、強いて言えばひとつだけ、山々の一番上にかすんで見えるテングノハナ岳、あの上からその日新たに生まれる太陽をこの目で一度見てみたかったの。あそこまではわしの羽では飛べん」
「師匠、明日私の背中に乗ってください。行きましょう、日出を見に。背中がいやなら足でお体、掴みましょうか?軽く握りますので」
「いや、背中にしておくよ」
「わかりました。わたしの飛び方なら空が白んだころに発てば日の出に必ずや間に会うはずです。明日の朝一番で飛び立ちましょう。」
「うむ」
こうしてある初秋の短い一日は静かに滑るように流れるように暮れていった。
次の朝、まだ暗いうちからポガルが鱗のような茶色のまだら模様のついた全身の毛を丹念に嘴(くちばし)で梳(くしけず)っていると、ラナットが起き出してきた。
「ポガルよ、今日は世話になる」
「いえ、何をおっしゃいますか。これぐらいしか恩を返せない弟子とは、わが身ながら不甲斐ない。この首の付け根くらいが一番ふさふさしています。そこに蹲(うずくま)っていてください」
「ほ、ホントじゃ、ふかふかじゃの!ところで知っているか、ポガルよ?この地球という星の上でもっとも早く移動できる生命体はおぬしら隼だと言われておる。そのおぬしが大空を舞えなかった頃を覚えておるか? ・・・・・・・・・・
巣から最後に飛び立ったのは3兄弟の中でもすこし成長の遅れたポガルだった。親はもうしばらく前から巣には姿を見せないようになっていた。飢えという本能が骨と筋肉に刻まれた鳥類の飛翔本能をもっとも確かに目覚めさせるのを親たちもまた本能で悟っている。親や兄弟の羽ばたく姿を目に焼き付け、何度も練習したはずなのにポガルは巣からそう遠くもない地上へと、辛くもたたきつけられることなく、着地できただけだった。左右両方の羽からは漲(みなぎる)るような力が溢れ出てきて、ごく自然に無意識のうちに羽をバタつかせては翼が受ける風の圧力を感じるのが心地よかった。目を開けながらもつぶっているような感覚のときだけだ、自らの体の力を強く感じるのは。このようにポガルが天から授かった心と体のバランスをキャリブレーションにかけているとき、後ろからなにやら声が聞こえてきた。
「おい、そこの若いの、まだまだそれじゃ飛べんなぁ。飛ぼうとするんじゃない、風に乗るんだ。それがわからなきゃいつまでも鶏と同じ、ただ無駄な力の浪費じゃて」
「習わなくても父母の飛ぶ姿を見ているし、その上、体と本能が知っているから大丈夫だい。そういうお前はなんて鳥だ?この鉤爪でひっかけるぞ。」ポガルは声のするほうを睨み返した。
「ほう?わしを捕まえるというか?愉快じゃ、ほれ、やってみろ。」
隼の若鶏と比べると小ささが際立つ一羽の雀がそこにはいた。ポガルは果敢に駆け寄った、つもりだったがしかし、、、どさっ、どてっ。陸の上では巣立ったばかりの隼は足がもつれ、陸に上がったペンギンなどよりも不器用かつ無様な格好をさらすだけである。
「はっはっはっ、雀に弄(もてあそ)ばれる隼とな?いや、悪くないぞ、は、は、は」
「くそっ、兄鳥さまのようにはいかんなぁ」
隼は落ち葉の上で雀を追うのをやめ、嘴と鉤爪を器用に使って山の斜面にせり出して生えた角度の急ではない松の木の枝の上まで上った。
「違う、雀なんかよりまずは飛ぶことだ」言いながらも隼は次の一飛びに緊張して羽ばたきもまたどこかしらぎこちない。
「だからの、そんなに力を入れて扇ぐんでない!」隣の松の木の枝から雀のラナットが呼びかける。
「おぬしの翼は大きく広げて大きな風を捕らえるようにできておる。まずは風をよく見てみよ。」
「勝手なことばかり言いやがって。風なんか見えるもんか」ポガルがつぶやく。
「ふん、どうせ風など見えないと思っておるんだろう。違う違う、おぬしの見ているのは空(くう)じゃい。ではなくてもっと大きく先の森を見てみよ。森の木々、葉、全体が動いておるだろう?どう動いておる??」
「ああっ!本当だ、風が見えるっ!!」
次の大きな波のような風が山の斜面に向かって来たときにその隼は勢いよく飛び出した、生まれて始めての大空へと、人生へと、夢と苦難へと。そしてそのあとには雀の高笑いがちいさくちいさく辺りの山々にこだましていた。
・・・・・・・・・・「じゃ、いきますよ」
「おぉ、そんなに飛ばすな、むち打ちになるわい。」
テングノハナ岳の頂上でポガルとラナットは水平線に浮かび始めた黄金色の輝きを見つめていた。群雲の連なる白い峰を従えて旭は焦れるようにゆらゆらと揺らめく陽炎とともに頂を顕(あらわ)にしてきた。
「ちょっと寒いのぉ」
「はい。ですが師匠が見たかったもの、そして見せたかったであろうもの、この星で毎日続くこの神秘の瞬間、しかとこの目と心に焼き付きました。」
「おぉ、そういっとる間にも色が刻々と変化しおるわい。いやぁ、でも森から見るのとたいして変わらんわいの」
「またまた強がりを。雀の涙がまた枯れそうですよ。」
群雲の空の建造物は朱に染まりその日は見事な朝焼けとなった。
金色と白と青と黄色と桃色、そして朱色の織り成す空のキャンバスのグラデーションはどんな錦絵や織物や染物や陶器よりもはかなく繊細で同時に彩り鮮やかであったとか・・・
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2008/8/24
グルジア。
国外に対しては国名をアメリカ風に「Georgia=ジョージア」と名乗っているがもともとの名をサカルトヴェロといい、ロシア圏諸国で主に使われるキリル文字とは異なる独特の文字(საქართველო)を用いている。国土は緑の豊富な山に囲まれ、ワインの名産地としても有名だ。
このグルジアで当事国以外の国が介入し国家間の領土確定のために武力行使する行為、つまり『戦争』が始まった。
トルコの北に位置する「黒海」は豊富な石油資源とともにロシアにとっては地中海に海上から抜けられる海の要衝であり、グルジアはその沿岸に位置する。またアメリカにとってグルジアはアゼルバイジャンを抜け、東のカスピ海油田に通じる重要な陸の交通路となる。以前国内紛争があったバルカン半島と同じく、一国の中に南オセチアやアブハジアといった複数の民族が生活をともにしておりこれが争いの火種となって今回、思惑を秘めた両大国の介入を促した。
アメリカは時を同じくしてポーランドに戦略ミサイルを配備、強面の国務長官ライスおばちゃんを送り込んだ上で黒海には艦隊の派遣を決定。一方でロシアは昨今友好的に歩調をあわせてきたヨーロッパが有する軍事機構NATOとの協力を凍結、またフランスが仲介して決定した撤退期限を守らずにいまだ軍をグルジア国内の緩衝地帯に駐留。どちらも一歩も譲る気がないような強気の姿勢が見て取れる。
このままアメリカとロシアは新たな冷戦へと突入してしまうのだろうか・・・
以前の旅で訪れた時この国ではアメリカ寄りの国=反ロシア主義の政策の一環としての一般の人の「情報の操作」が行き渡っているように感じた。テレビではアメリカのドラマやMTVが流れ、みなが流暢な英語を話し、友人となった子達のアイドルはスパイスガールズやテイクザットといったアメリカのアーティストたちばかり。旧ロシア圏の国でありながら、将来行きたい国がみんな揃いも揃って「アメリカ」というのにはなにか不思議な違和感を覚えたのが強く印象に残っている。
あのころ出会った友たちは今も元気だろうか?夢はかなったのだろうか?
1999年のロシア圏での旅の手記と写真スライドを載せておく。
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これから行く中央アジアはロシア語圏。もちろんロシア語は話せない。
9/19 ここアルマトイはバスセンターと市街地が離れている。ウズベキスタンへ抜けるバスが午後発なので、それまでバスセンターの近くで時間をつぶすことにした。預かり所はなさそうだし、すべての荷物を抱えて町に行くのは大変だから町は見ない。日差しが強いので日陰を探し、荷物を置いて待っていたら一人の女の子が暇そうにしてたから話しかけて仲良くなった。彼女はジャンナという名前だという事はわかったけど、後はほとんど言葉がわからない。仕事中らしいけどすごく暇そうだ。何度か仕事をしに行き(エプロンをしてるからウエイトレスだろう)、また戻ってきて話しかけてくれる。小学生ぐらいの子供たちも話しかけてきて仲良くなった。夕方、ジャンナの店に食事をしに行ったらピラフを出してくれた。店の店員二人とも仲良くなって食べ終わるとお金は要らないという。そして揚げパンも持たせてくれた。俺はほんとにいい人に出会うことに恵まれている。7時発のバスは遅れて結局8時半になった。真夜中、タラス(古戦場で有名)という所でバスを乗り変える。バスは席が狭くてつらい。
カザフスタン 1ドル=110テンゲ
9/20
バスはチンギスハンの息子たちが駆け回ったであろう草原のど真ん中を走り抜けていく。シムケントという町へついた。タシケントまではまだ150キロほどあるというのに、100テンゲ渡され、そこで下ろされた。タシケントまでの料金は払ってあるのにバスはここまでだという。同じように下ろされてタシケントへ向かうおばさんとキルギス人の青年と一緒に一人150テンゲを払ってワゴンタクシーに乗りこみ、ウズベキスタン国境へ。国境のカスタムは時間がかかったけどトラブルもなく通った。ウズベキスタン側に抜け、キルギスの青年と(また金がかかるわけだが)またタクシーに乗り、タシケントへ。日本から予約していたホテルはさすが40000円(ビザ取得代金込)払っただけあっていいホテルだった。部屋に荷物を置き、洗濯。ホテルの両替所でウズベキスタン・スムに両替したらフロントのおばさんが小さな声で「売店で両替した方がレートがいいよ」と教えてくれた。公定レートは1ドル=180スムだけど、売店の闇両替だと530スムになる。3倍違うわけだ。警察に見つかると犯罪になるそうだが、ウズベキスタン滞在中至る所で何度も闇両替を持ちかけられた。10ドルを両替したら、100スム50枚の札束となった。ちょっとリッチな気分!ビンのコーラ(250ミリリットル)が50スム。夜は近くの夜市へ行く。中国とはまた違った活気がある(ここでは西洋的だ)。露店で綺麗な石を土産に買う。夕食にはピザを食べた。
ウズベキスタン 1ドル=500スム
9/21
8時に起き、タクシーに乗り、朝一番でトルクメニスタンの大使館へビザを取りに行った。10時にようやく大使館が開き、中へ入れた。しかし中では、先に出国先のアゼルバイジャンのビザがないということでビザを取る事ができなかった。またタクシーに乗ってアゼルバイジャンの大使館へ行ったが「きょう火曜日はビザの発給はしていない」といわれ、またあす出直すことになってしまった。カザフスタンのビザ取得も面倒だったけど、何でこんなにビザは手間がかかるのだろう?本当に要領が悪い。頭悪いんじゃないの?それとも旅行者を馬鹿にしてるのか?仕方なくホテルに帰って中国で買ったパソコンゲームをして時間をつぶす。夜はまた夜市へ行ったが、規模が小さいからもう見るところはない。まだ地下鉄が走っているのでガイドブックに乗っていた市場へ行ってみたが、もうすでに終わっていて何もなかった。
9/22
9時に起き、アゼルバイジャンの大使館へ行く。警備をしてるポリスと仲良くなった。彼の帽子をかぶって写真を撮る。ビザの即日発給は80ドル。ガイドブックでは40ドルだったのに高い。予定外の出費だったので宿に戻り、チェックアウトを済ませ、ラゲージルームに荷物を預けタクシーに乗り、今度はトルクメニスタン大使館へ。12時ぎりぎりに着いた(受け付けは10〜12時)が何とか受け付けてもらえて、午後5時に受け取れる。宿に帰り、部屋を安い部屋に変える。銀行にクレジットカードからドルを引きおろしに行くが国営の銀行なのにヴィザカードしか使えない。駅へトルクメニスタンまでの列車の時間と料金を確認しに行く。途中で英語−ロシア語辞典を買った。地下鉄の乗り口そばの地下商店街をうろつき、5時にトルクメニスタンのビザを受け取る。宿に戻ってパソコンゲームにハマる(やばい、旅に出てるのに何やってるんだ?)。日記を書き、寝る。ビザの取得だけで1日が簡単につぶれてしまう。本当にこの馬鹿げたシステムはどうにかならないのか?
9/23
12時頃、銀行に金をおろしに行く。おとといとは違う少し離れたオランダ資本の銀行に1時間以上かけて歩いて行ってみたが、カードは使えなかった。シティーバンクのカードも、機械かカードの磁気のどちらかの不具合で使うことができなかった。仕方なくトラベラーズチェックを現金にかえるけど、この調子だと次のトルクメニスタンではさらに現金を下ろせる可能性は低そうだ。現金200ドル(明日旅行社に100ドル近く支払う)と30000円(円のレートは低く、両替してくれるところも少ない)でやっていかなくてはならない。旅の費用はあるのに現金がないという、少しやばい状況になってきた(アゼルバイジャンまでたどり着けば、シティーバンクがあるらしいがトルクメニスタン−バクー間の船が60ドル)。タクシーに乗って駅へ。明日のトルクメニスタン・チャルジョウまでのチケットを買う。外国人はオヴィールというところでポリスの許可をもらってから、外人料金(現地価格の2倍)でチケットを買わなくてはならない。手間がかかったけど5000スム(10ドル)と安い。乗車時間は24時間近いがこの値段(これと比べるとホテルの高級さ(一泊30ドル)がわかる。しかし部屋は汚いし同じような旅行者がいないからつまらない。本当はこんなホテルいやだけど日本から予約できるホテルの中では最低ランクなので、しょうがない)。地下鉄に乗ってチャルス・バザールというウズベク人のバザールへ行ってみた。すごい活気で巨大なドームの周りに野菜や肉などの露店がひしめき、ドーム内も香辛料の店が並んで、スパイスの匂いが立ち込める。見たことのない果物を買い、スイカとメロンをほうばる。ヘチマのボディータワシを買った。今まで風呂ではせっけんで体を洗い流すだけでなんとなく不快だったけど、これでガシガシ垢をこすることができる。強力なアイテムゲット!一通り見て、宿に戻ると6時を回っていた。近くでウォッカを買い、それをかっくらって寝る。
ここタシケントという町は緑も多く、中国のようにゴミや痰をどこにでもまきちらす習慣はない(ある方がおかしい)ので整然としている。勇壮なロシア的な建物と、イスラム的な建物が混じって立ち並ぶが、しかし首都としては閑散としている。なんとなく田舎の観光地が独立してしまったような雰囲気だ。治安が良いのか悪いのかいたる所に警官や軍人が立って見張りをしている。地下鉄の構内にも常に見張りが数人立っていて、一度トルクメニスタンビザを申請中にパスポートチェックを求められたが「今、申請中だから持ってない」と言うと理解してもらえた。ガイドブック(ガイドブックに書いてあることだけを鵜呑みにして変な先入観を持つのはいけないのかもしれないが)にはパスポートを持たない外国人は連行されたり、持ち物検査だといって金を抜き取られたり、賄賂を要求されたりする事があるということがことさら強調されて書いてあった(これだけの人数がいれば当然規律も乱れることは想像できる)ので少しびっくりしたが、今回俺がタシケントで出会ったポリスに限っていえば、とても親切で友好的だった。ホテルの近くの新市街地にはロシア人が多く、チャルスバザールのある旧市街地にはアジア的な顔立ちのウズベク人が多い。
9/24
今日は旅行社の案内で市内を観光する。チェックアウトを済ませ、荷物を預けて、旅行者の車に乗る。独立広場を見た後、イスラム教の施設へ。ここタシケントは宗教を禁じていたソビエト時代国内で唯一公にイスラム教の活動を認められていたところ。そこの学校の生徒と仲良くなった。その後は、モスクと広場、民芸品屋を見て、4時30分にホテルに戻った。荷物を持って駅へ。6時半にトルクメニスタン、チャルジョウ行きの列車が出る。駅前で食料を買い込み、コンパートメントの寝台(5000スム=10ドル、安い!)へ乗りこんだ。列車は時間通りに出発した。隣のオジさんがパンとゆで卵の夕食を分けてくれる。窓から見える満月が美しい。
9/25
朝、アーミーに起こされ、パスポートチェックを要求されたが、それがイミグレ(越境)だったらしい。列車は茶色く濁ったアムルダリヤ川を渡り、チャルジョウの駅に到着した。列車を降りてバスを探していると警官に呼び止められ、身体検査をされた。「ポケットの中まで全部出せ」という。靴下の中のドル札が見つかり、1ドル要求された。かなり苛付かせる奴だ。やっとバスが見つかり、乗ろうとしたら外人は10ドルだという。「高い!」ともめていたら、親切なオジさんがバスの車掌を怒鳴りつけて、「地元料金(34000マナト=3ドル)で乗れるんだ」と教えてくれた。バスはいいバスだったが窓は密閉。隣は太ったおばちゃんだったから、疲れた。トルクメニスタンでは所々で(多分、州の境だと思う)パスポートチェックが入る。毎回、バスに乗っている国内の人まで含めて全員がチェックされるので時間がかかる。そして外人はバスの外に降ろされて、名前をノートに記入したりもする。俺は今日、3回降ろされた。アシガバードには日が暮れてから、9時ごろ到着した。白タクを拾ってホテルまで行ったら、タクシーの運転手が「うちに泊まらないか?」という。泊まらせてもらうことにした。ダウレットさんの家には奥さんと3人の子供がいて、夕食を食べてた。ご馳走になってウォッカを飲んだらすぐにダウン。
トルクメニスタン 1ドル=14000トルクメン・マナト
9/26
トゥルクメニスタンからの船が不確実だからヴィザの延長(今のヴィザでは明日までしか居れない)をしたいけど、今日が日曜日なのでもう1日とめてもらう事にした。家族みんなで車に乗って、知り合いの農家のうちに行った。ダウレットさんが市場へ行っている間、子供たちと遊んだ。庭には豚とウサギがいて、雑草をやるとよく食べる。3人の子供たちは一番上が10歳のバーティル、次男が9歳のセルダール、一番下が5歳のジャネッタ。バーティルは下の子の面倒をよくみてしっかりしてるが、下の二人はどうしようもないくらいやんちゃだ。ダウレットさんが帰ってきて、昼食となった。ピラフを食べながら、またウォッカが注がれる。車に乗って家に帰り、みんなで昼寝。夕方、家の前でケバブ(ここではシャシリクと呼ぶ)を焼いて夕飯のおかずを作った。近くの売店みたいなところでダウレットさんがビデオ(日本の映画を探してくれたけどなくて、ジャッキ−・チェンの映画だった)を借りてきてくれたので見る。
9/27
奥さんと子供たちに別れを告げて、9時にダウレットさんの車に乗ってビザの延長に行く。オヴィールでの手続き、銀行への手数料の振り込み、外人登録のすべてをダウレットさんがやってくれて、俺は車の中で待っているだけだった。すべてが終わると12時を過ぎていた。それからすぐにバス乗り場へ向かったが、11時のバスが一本だけで今日はもうテュルクメンバシュ行きのバスはないという。明日までもう1日だけ泊まらせてもらう事にして家に戻ると、みんな「また戻ってきたのか!」とびっくりしてた。ダウレットさんが「20ドルくれ」と言って来た。三日も泊めるなんて予想してなかっただろうし、今日の手続きは本当に大変だったはずだ。払ったけど、結局ホテルに泊まるより高くなってしまった。ダウレットさんと奥さんが仕事に出かけたので子供たちと留守番。というか子守り!ギターやカメラ、小物を珍しがって勝手に荷物を開けるし、なかなか返してくれない。部屋にボールがあったからそれに惹きつけるが、部屋中を駈け回ってついには兄弟喧嘩をはじめる始末。部屋の中にいると荷物を荒らされるし、子供たちのパワーについて行けないので、外へ散歩に連れ出した。手をつないで近くの市場まで行き、アイスを買ってやると、アイスを食べている間だけはおとなしい。日が暮れてきて、公園で露店を開いてるお母さんを迎えに行った。家に戻ってダウレットさんのタクシーに乗り、仕事に着いていった。アシガバードから離れた町へ向かう長距離の客が見つかり、明日の昼まで帰らないという。家まで送ってもらって、俺は明日の朝発つからそこで別れを告げた。揺る、夕食後、俺は英語=ロシア語辞典(タシケントで買った)を開いて、バーティルとお母さんはトルクメン語=ロシア語辞典を開き、いろいろと言葉を探して盛り上がった。
ロシア語講座1:
ズドラーストヴィーチェ=こんにちは ダスビダーニャ=さようなら スパスィーバ=ありがとう パジャールスタ=どういたしまして/すみませんが? ハラショウ=Good! フクースナ=おいしい スコーリカ ストーイト?=いくら? ダラゴーイ=高い!ニパニマーユ=わかりません グジェー=どこ? ヤポーニェツ=日本人 ヤポンスキー=日本語 ダバイ!=飲め飲め!
9/28
朝食を食べてから、奥さんにバスセンターまで送ってもらってトルクメンバシュへ向かう。何もない荒野が続き、夕方日没の頃、カスピ海の海岸線が見えてきた。12時間以上かけて到着し、辺りは暗い。宿に入り、チェックインして部屋(同じ部屋に才村さんという日本人の人がいた)に入ると、受付で俺がギターを背負っているのを見たトゥルクメン人が話し掛けて来た。ロシア人とキルギス人のいる彼の部屋に行ってギターを互いに引き合い、部屋に戻ったのは2時過ぎだった。
この町で少しゆっくりしようと思っていたが明日の船の料金を聞いてみてあきらめた。今は手持ちのドルは60ドルしかないが、船は50ドルだという。明日、朝6時に船が出るらしい。
9/29
蚊が多くてあまり眠れなかった。5時ごろ起きて荷物をまとめ、才村さんとまだ真っ暗な通りを港へと歩く。港に着いたがまだ誰もいないし、船もない。仕方なく待ったが日が昇ってきた。青味がかったカスピ海の水面に移る朝日は、この上なく美しいものだった。しかし、それをカメラで写していた才村さんが警官にみつかり、2時間以上も部屋に閉じ込められて説教され、調書を書かされて、フィルムを没収された。旧ソ連の国々ではこういうトラブルが多いらしい。俺もフィルムがあれば必ず撮っていたに違いないが、その時はダウレット家のチビ達に全部写されてカメラは空だった。才村さんが怒られている間に船が到着し、いつ出航するのか心配だったが、一向にその気配はない。結局、午後3時過ぎに乗船が始まった。カスタムではせっかく詰めこんだ荷物を出せという。カメラや時計などを珍しがって手に取るが危険物を探しているのではなく、興味本位でやっているとしか思えない。蚊取り線香がなんだかわからなかったらしく、「モスキート、ポトリだ」と言ったらそれ以上はつっこんで来なかった。パスポートチェックはすぐに済み、乗船。俺達が買ったのはデッキクラスという一番安い席。45ドルだった。6人がけのシートが並び、乗客が誰もいないのでそこに横になれる。出航が見たかったけど、どうしようもなく眠たくてシートで昼寝をしたが、目が醒めてもまだ一向に動き出さない。甲板を歩き回って人にいつ出航するのか聞いたら8時ぐらいだと答える。船尾に行ってみると、なるほど、まだ貨物の詰み込みをしている。7時過ぎ、いきなり窓の景色が動いた。出航だ。なんか合図ぐらいしてくれよ!船はすべるように穏やかに走り出す。甲板にあがって風を浴びていると日が沈んだ。トルクメンバシュの町には明かりが灯り、宝石箱をひっくり返したように輝いている。空は満天の星空だ。デッキでおばさん達がパンとゆで卵をくれた。昨日の朝から何も食べてないし、今は金がまったくない(ドルは使えない)。おばさんにお礼を言ったら「アッラーの神がくれたんだよ」と空を指差す。
こんなに簡単に船に乗ることができるなんて、、、もっと苦労するかと思ってた。アシガバートでの三日間とビザ延長料金が無駄だった。
9/30
9時ごろバクーの港に入ったが、すぐには着岸せずに沖に錨を降ろして停泊している。バクーはもう目の前なのにまた待たせるのか!早くホテルに行って風呂に入りたい。タシケントを出て5日間くらい風呂に入ってない。ダウレット家では3日間誰も風呂に入らなかったし、風呂場の浴槽はもう長い事使っていないようだった(こっちの人は風呂に入らないのか?)。とりあえずホテルに行ったら風呂に入るぞ!錨を上げて、港に着岸し、下船できたのは1時過ぎだった。カスタムでは荷物チェックはなく、入国手続きを書くだけでスムーズだった。ガイドブックに載っているホテルを探して歩く。バクーで一番安いホテルは停泊している船を改造したものだった。チェックインし早速シャワーを浴びようと思ったがこのホテル水が出ないという。ということはシャワーが浴びれない。こうも焦らされるとだんだん体中、頭のてっぺんから足の裏までがむずむずしてくる。とりあえず服だけ着替えて、才村さんと街中のハマム(公衆浴場)へと向かった。体を洗って(ヘチマブラシで)、湯船に湯をためて風呂に使ったらやっと人心地ついた。才村さんのリクエストでサーカスを見に行くが公演日ではないらしく、閉まっていた。裏口にいた人達に頼み込んでなんとか練習風景だけ見せてもらう事にした。いきなり来た客人のために綱渡りや、ジャグリングなどを軽々と見せてくれる。普通に金を払ってみるよりいい経験ができた。宿に帰る途中一人のオジさんに声を掛けられて、彼の画廊に行った。独特の線で描かれた風景画や、女性画が壁にかけられていていい雰囲気だ。オジさんは英語がとても上手で、ロシア語圏内に来てからこんなに英語の話せる人とははじめて出会った。お茶をご馳走になりながら話をして、別れた。食事をして宿に戻ると、宿は真っ暗だ。この宿、電気もない。入り口でろうそくを渡された。波の音を聞きながら今日もまた船室で寝る。
アゼルバイジャン 1ドル=4300アゼル・マナト
ロシア語講座2:
アフトーブス=バス パラホート=船 サマリョート=飛行機 ヴァグザール=駅 アトブラブレーニェ=出発 プリヴィテエ=到着 シュトーエタ=何これ? サバカ=犬 コーシカ=猫 ザーチカ=ウサギ サハラ=砂糖 ダローガ=道
10/1
水の出る所へホテルを変えて荷物を移した後、才村さんとバクーの旧市街、イチェリ・シャハルを見に行く。途中、グルギア大使館にビザの申請に立ち寄ったが、今日が金曜日だから発行は月曜になるといわれた。これでまた週末の三日間がフリーになった。イチェリ・シャハルは10世紀頃からある城壁内の街で、中は細い道が入り組んでいる。地図を見ずに惹かれる方、惹かれる方へと歩いて道を尋ねたら、まったく予想とは違うところにいた。公園で女の子と子犬がじゃれあっていたので写真を撮っていたら、女の子が英語で話しかけて来た。才村さんのトビリシ行きのバスの出発時間が近づいてきたので、バスに向かう。才村さんを見送り、ドネルケバブ(パンに薄くきったケバブがはさんである)を食べる。
10/2
たまっていた洗濯を済ませてから、インターネットカフェに行く。メールの送信だけで、受け取りはできない。ピザ屋でピザを食べる。確実に胃が小さくなっている。食べ終わると動けないくらい満腹になった。宿に帰って昼寝。夜はまたドネルを食べる(3000マナトと安いのでバクーにいる間毎日食べた)。
10/3
ホテルのハマムに入り、その後バクーの町を歩く。西洋風の古い町並が多く残っていているがなんとなく無機質な印象を受ける(それは灰色の建物が多いからだと後で気付いた)。堤防では釣り竿をたらす人が多い。町が一望できる展望台に登る。もう秋だというのに昼間はとても暑い。階段を登ると汗だくになっていた。バクーは緑が多い。海の青とのコントラストが綺麗だ。宿に帰ってコンピュータをやり、寝る。
10/4
ビザを受け取り、バスセンターへ向かう。バスセンターまでのタクシーが20000マナトで、バクーから200キロぐらい離れたガバラの町までの乗合いバスの運賃が15000マナト、どうなっているのだろう?バスは2時に出発した。緑の豊かな丘陵地を走り、6時ごろガバラという町に着いた。ホテルに入ると管理人がウォッカとパンをご馳走してくれた。部屋には電気はない。ろうそくを渡される。小さい町で何もないし、外の店はもう閉まっているのですることがない。
10/5
ホテルからヴァグザールへ歩き出すと5人くらいの子供がついてきた。話をしながらヴァグザールまで一緒に歩く(興味を持っている人に道を尋ねるのが一番有効だ)。12時のバス(中国並にオンボロバス)に乗り、2時間ほどでシェキという町へ。ヴァグザールからホテルまで15分ぐらい歩き、チェックイン。両替所で両替してから町をうろつき、食事のできる場所を聞き(食堂がまったく見当たらない)、昼飯。羊の肉の煮たものと、パンを食べる。ここは山すそに広がる小さな町だが、ガバラよりは広い。宿で昼寝をしたら暗くなっていたので、日記を書いて寝る。
10/6
バスセンターまで行きチケットを買い、バスを待つ。トイレに入っていたらバスが動き出していた。走って追いつき、急いで乗りこむ。2時間ほどでザガタラという町に着いた。バザールへ行き、食事をしてると一人のアゼリー人が英語で話しかけて来た。彼は柔道をやっていて、「5時から練習があるから来ないか?」と誘われた。5時まで彼の家でお茶をご馳走になる。彼の名はハジー、20歳で今年大学を卒業し(20歳で卒業だから、少し日本とはシステムが違う)、来年他の大学へ行くため今は勉強中だそう。話をしている間中、弟(メジー)がずっとビデオカメラを回している。かなり気に入られたようだ。5時にトレーニングセンターまで歩く。中では寝技の練習をしていた。ここアゼルバイジャンでは柔道が盛んで、聞いてみると前回のオリンピックの柔道金メダリストはアゼリー人だそうだ。知らなかった。7時過ぎに練習が終わり、公園の広場(チャイハナ=青空カフェになっている)で柔道の先生や、生徒達とお茶を飲む。小学校の先生にも紹介され、明日教室に行くことにした。ホテルのことを話したら、ハジーと柔道の先生がもっといいホテルを紹介してくれて車で連れていってくれたけど、値段が高いのであきらめた。ホテルまで送ってもらって、管理人のおばちゃんの作ったスープを食べて、寝る。
10/7
11時にハジーが迎えに来て、昨日チャイハナで出会った学校の先生が授業をしている教室へ行った。歴史の授業という事で、壁にはエジプトの写真や世界地図などが貼ってある。生徒達に見つめられて、教壇に立って英語で挨拶をした。ハジーが訳してくれる。先生の本に日本語でサインとメッセージを求められて、書いていると後ろの方の子達は立ちあがってのぞきこむ。ハジーはこの町に来た日本人は俺が初めてだと思うといっていたが(ガイドブックに載っている町だからそんな事はないだろうけど)、恐らくこの学校に入ったのは俺が初めてだろう。世界地図で横浜と、ここザカタラ両方を指差すと先生はとても喜んでくれた。鐘が鳴って授業が終わり、ハジーと外へ出た。授業の終わった子達が珍しげに見つめる間を通ってチャイハナへ向かう。チャイハナでまたお茶を飲み、5時に柔道場で会う約束をしてハジーと別れた。昼飯を食べて宿に帰ると3時を過ぎていた。少し寝て、5時に柔道場へいく。もう始まっていて、今日は打ち込み(立ち技)の練習。先生が英語で書かれた柔道の本を貸してくれた。嘉納治五郎の英訳版でしっかりしている。練習は結構ハードだけど皆楽しそうだ。7時ごろ練習が終わってまたチャイハナへ(ここら辺ではチャイハナが社交の場となっているようだ。開放的でいい習慣だと思う。しかしなぜか女の子は一人もいない)。ホテルまでハジーと彼の友達が来て話をした後、ハジーが夕食に誘ってくれて彼のうちへ行った。ドルマというロールキャベツと、チーズ、お粥をご馳走になり、ホテルへ帰る。大丈夫だと言ってもハジーと弟のメジーがホテルのすぐそばまで送ってくれた。ハジーにとって俺はここに来たはじめての日本人だっただろうが、俺にとってハジーはアゼルバイジャンで出会ったはじめての紳士だった(それに比べてこの辺では仲良くなるとすぐに持っている物をほしがる奴が、あきれるほど多い)。ありがとう。
10/8
9時ごろのバスに乗り、トビリシへ向かう。アゼルバイジャンとグルジアの国境はガイドブックや人の噂で役人の腐敗がひどいと聞いていたがパスポートチェックだけで全然問題なく通れて、その上年配のポリスは英語で「グット・ラック!」と言って励ましてくれた。トビリシに到着し、タクシーでホテルに向かう。とりあえずアチャラというホテルにチェックインしたが、一泊70ラリ(35ドル)もするので、荷物を置いて他のホテルを探しに行く。もし安いところが見つかればそこにうつる。地下鉄に乗るが、ここグルジアはグルジア文字というこの国独自の文字を使用していてまったく字が読めない(キリル文字はようやく少し読めるようになってきた)。方向感覚には自信がある。ガイドブックと勘を頼りに鉄道駅まで行き、駅前にホテルを見つけた。26ラリ。チェックインし荷物を取りに帰る。アチャラホテルは全額返してくれた。駅前のホテルに戻って洗濯。ホテルの下に広がるバザーを歩く。ナン(グルジアのナンは細長い)とジュース、インスタントヌードル(久しぶりだ)を買って夕食。
10/9
朝食に昨日のナンを食べる。それだけで腹が膨れた。今日は市内を歩く。地下鉄に乗り、トビリシ中心地へ。トビリシには地下鉄は1本しかないが主要な道路の真下を走っていてとても便利だ。地下鉄駅を出るとマクドナルドがあったので腹はいっぱいだけどとりあえず入った。ハンバーガーとポテトのSで満腹になる(本当に胃が縮んだ。これだけで夕食を食べなくて平気だった)。アンティークショップや土産物屋をのぞきながら道を歩く。銀行で金をおろそうとしたが土曜日でもうすでに閉まっていた。共和国会議場の裏から坂を登ってケーブルカーに乗ってムタツミンダ山に登り、トビリシを見渡す。暖色系の建てものが多い。街の真ん中には河が流れる。山頂に遊園地があり、ガイドブックにも載っているボロボロに錆びた観覧車に乗る。眺めがいい。宿に帰り、バザーの近くで食事をしてからバザーをじっくりと散策。グルジアは葡萄発祥の地という事でワインが有名らしい。瓶に彫り物が施されたワインを買う。5ラリ(たった2〜3ドル=2〜300円ぐらいだが、肉を煮込んだシチューとパンの昼の食事代が2ラリだから。安すぎるわけではないのだろう。これと比較すると宿代(26ラリ)は高い。シャワーもないのに、、、)。宿に帰る。
10/10
バザーでタオルを買い、ダンボールをもらってきてワインを送る荷造りをした。地下鉄に乗り、町の中心地の郵便局へ行くと「国際便はここではない」といわれた。また地下鉄に乗って、言われた郵便局へ行くと係のおばちゃんが「ビンが割れる可能性があるから木の箱にスポンジを買ってきて、詰めていれなさい」と言う。 、、、と言っても木の箱は郵便局で買えるけどスポンジはどこで買うんだ?近くにいた親切な女の子が一緒に郵便局の近くでスポンジを探してくれたけど見つからなくて、結局また地下鉄に乗り、駅前に戻って商店街でスポンジを買ってまた郵便局へ行った。荷物は8キロで6000円だった。太いおばちゃんが太い腕で木の箱に釘を打ち、袋をかぶせ、太い指で針を持ち口を縫って荷造ってくれる。おばちゃん、頼もしいぜ!宿に戻って風呂の用意をし、地下鉄の乗ってハマムへいく。銀行に立ち寄るがやはり今日、日曜は休みだ。石畳が敷かれた旧市街を通りぬけて、モスク風の建物のハマムに入る。30ラリは高い(現金が30ドル分しかなくなってしまう)、だけど入りたい。中は大理石で作られていて、とてもゴージャスだ(カメラを忘れたから残せない。残念!)。湯はほんの少し硫黄くさい。1時間、30ラリ分、たまった垢を徹底的にこすり落とす。宿に帰る。夕食は近くで買ったパン。
ロシア語講座3:
ヤー パイチー ヴ 〜=〜に行きたい ミニャー ザヴート 〜=私の名前は〜です カク ヴァス ザヴート?=あなたの名前は? スコーリカ レト?=何歳? ヤー ハチュー イエスチ=食事がしたい シュトー ヴィ パサベートエチェ=何がおすすめですか? ドゥルーク=友達
10/11
乗合バスでイェレヴァンへ向かう。25ラリを払って現金がなくなった。アルメニアの銀行でおろせばいいと思っていたが、、、 国境に着くと3日間のトランジット滞在なら問題ないはずなのにアルメニア側のパスポートの問題で入国できないといわれ、バスに乗っていたチェコ人のイェゼックさんと一緒に4時間以上待たされた。イェゼックさんが少しロシア語を話せ、ポリスに抗議してくれたからなんとかグルジアに追い返されずにすんだけど、ポリスたちにはグルジア、アルメニア間の情報がしっかり伝わっていなかったようだ。これでもう銀行で降ろす時間がなくなった。手持ちは日本円にして30円しかない。乗合バスは俺達二人を待っていてくれて、またそのバスに乗りイェレヴァンを目指す。雨の中、8時ごろホテルの前で降ろしてもらった。イェゼックさんが今日のホテル代を貸してくれるという。助かった。一人10ドルのツインルームにイェゼックさんと泊まる。飯代も貸してもらい、パンと桃のジュースを買う。イェゼックさんは国際赤十字で働くドクター。フランスとチェコ、二つのヴィザを持っていて何かと便利だそうだ。明日、真っ先に銀行へ行って金を返そう。
10/12
イェゼックさんとは別行動で銀行にいく。雨はまだ少し降っているが、今居る場所が不確かなので地理を把握する目的も兼ねて道を聞き、聞き、1時間ぐらいかけて地下鉄まで歩く。銀行で金を下ろそうとしていると日本人の福原さんという人に出会った。カフカスを1ヶ月以上旅しているそうだ。100ドルおろし(1日100ドルしかおろせないようだ)カフェで食事をした後、福原さんと一緒に3000年以上の歴史を持つというエレブニ遺跡へ行った。博物館を見た後、遺跡を見るが改修されていて面白味はない。しかし、小高い丘になっているのでイェレヴァンの町を一望できる。左手にはアララト山が見えるが山頂には雲がかかっている。町へ戻って福原さんの薦めるアルメニア民族音楽のコンサートを見に行った。独特の衣装と独特の楽器。歌手が一人一人立って前に出てきて歌う。太鼓のリズムが特徴的だ。コンサートも終わり、グルジア語を少し習ってから福原さんと別れた。ホテルに帰って、イェゼックさんにやっと金を返せた。
アルメニア語講座:
バフチェン=こんにちは シュノラガルツェン=ありがとう
10/13
イェゼックさんは朝早くのバスでグルジアに戻った。俺は11時ごろの乗合バスでグルジアに帰る。バス乗り場へ着くとバスはもうなくて、20ドル払いタクシーに乗る。午後の日が反射するセヴァン湖の湖面が美しい。国境は問題なく通れた。トビリシに着き、駅のホテルに泊まる。グルジアはどこのホテルでもそうだが、アブハジアという地域で内戦があって、そこから非難してきた難民がもう何年もホテルで生活している。ここのホテルに住んでる高校生の女の子たちが話しかけて来た。英語教育がしっかりしてて彼女達はかなり英語が話せる。ホテルに住んでる彼女の仲間達も集まってきて、一緒に話をする。ギターを弾け弾けと言われて披露するがあんまり好みでない様子。彼らはみんなアメリカに憧れていて、いつかはニューヨークへ行きたいと夢を語る。内戦が終結し、彼らが落ち着けるようになる日はいつだろう、、、 未来は誰にとってもいいものであり続ける。夢を捨てずにみんながんばれ!!
10/14
銀行に行くが今日は宗教的な祝日で休み。また明日出直す。昨日の女子高生、ルシカとマリーナが一緒に町を案内してくれる。地下鉄に乗って古い教会を見に行き、傍の木にハンカチを巻きつけた。こうすると3つの夢が叶うそうだ。ルシカは車が欲しいんだって。俺の夢は、、、とりあえず今、一つはかなっている。そう、いろいろな所を旅すること。ほかの夢は言うとかなわないような気がするので秘密。また地下鉄に乗り、観覧車とかがある小さな公園(遊園地?)に行く。観覧車や乗り物に乗って、コーヒーカップにもルシカと乗る(マリーナは苦手だそう)が、これがすごく長い間動いて、その間ルシカが思いっきりハンドルを回す。やっと終わって降りると頭と首が痛い。が、ルシカはぴんぴんしてる。もう一回乗ろうといってるが、もう無理だよ。一通り遊んでから近くにあるというマリーナのおばあちゃんの家に行き、パンとチーズとウォッカ(本当はコーヒーカップでやられて頭ガンガンしてるけど、ここでは乾杯が礼儀作法らしいから、飲む)をごちそうになる。ホテルに帰る途中、バザーによって買い物をする。彼女達はパンストを選ぶのに必死でいろいろな店を連れまわされる。俺は靴下を買った。暗くなる前に宿に戻った。
10/15
銀行に行くがどこの銀行もJCB、シティーバンクのカードが使えない。一人の警官がATMのある銀行までバスに乗り、連れていってくれた。彼は空手をやっていて日本にとても興味をもっている。父親が南武道という空手の流派のトビリシ支部長だそうで、彼自身も10個以上の大会を優勝しているそうだ。やっと見つけたATMで100ドルをおろす。ホテルへもどってルシカとマリーナに別れを告げに行ったら、ルシカは学校に行っていて居なかった。駅の裏手からクタイシ行きのバスに乗る。クタイシには6時ごろついた。ホテルに荷物を置き、ホテルの周りを歩くがバザーはもう店じまいの用意をしてて、見るものは何もない。レストランで食事をしたら、英語の話せるおばちゃんが迎えてくれて、店を出るときおつりと一緒に柿を一個くれた。こういうちょっとした親切はとてもうれしい。
グルジア語講座:
ガマルジョーバ=こんにちは マッドロプトゥ=ありがとう カルガット=さようなら カルギ=Good!
10/16
宿の近くにある山の上の公園にロープウェイに乗っていく。しかし何もない。近くにいたやつらにチャチャというグルジア特有の地酒をご馳走になり(飲まされ)、フラフラに、、、 それでも近くにある教会を見に行く。所々崩れているがそれが歴史の重みをを感じさせる、、、なんて冷静に判断できる状態ではなくなってきた。注がれるまま結構飲んじまったけど、アルコール70%もある酒だったらしい。ホテルに戻って(後から考えるとよく帰れたもんだ)寝て、目が醒めると夜中の2時だった。頭痛い。気持ち悪い。腹減った。今日何も食ってないよ。完全にダウン。
10/17
とりあえず近くでパンを買い、バトゥミへ向かうバスに乗る。気分が悪いのでバスの中で寝る。3時間ほどで黒海沿岸の町、バトゥミへ到着。雨が降っている。とりあえずホテルを探し、荷物を置く。ログハウス風のこじんまりした小さなホテルだ。堤防を歩き、釣り人を眺める。黒海とはいっても黒くなかった。曇っているのが残念だ。町を歩き、食事をとってからバザーをうろつく。巨峰(甘くなかった)と小さな緑色の見たことのない果物を買い、ホテルに戻る。見たことのない果物はすっぱいが梨のような歯ざわり。夜、洗面所のところに小さなサソリがいた。捕まえて遊ぶ。小指の爪よりも小さいのに尾にはしっかり毒針がある。蚊を捕まえて差し出したら毒針に刺されて動かなくなった。
10/18
朝からどしゃ降りの雨だがカッパを着てタクシー乗り場を目指す。ガイドブックによると、ここの国境の役人も相当腐敗しているようで、バス(長い時間待たされその間に役人がちょっかいを出すそうだ)で越えるよりもタクシーで個人で歩いて越えた方が楽らしい。親切な係員が案内してくれて、言われるままグルジア・ラリで20ドルぐらい支払ったが、半分くらいは彼のフトコロに入っていったのを俺は見逃してないぞ!しかし、そのおかげでカスタムのチェックがスムーズだったし、長い列の先頭に並ばせてもらった。あとはトルコ側でパスポートチェックをするだけだ。
「やっと終わった。」という感じがする。高いヴィザ、市中に立つ大勢のポリス、クレジットカードの使用できる場所の少なさ、まったく読めない文字(キリル文字は読めるようになった)、選択肢の少ない食事、、、などなど、とても神経を使う国が多かったから。中央アジアでは日本人のツアー客も見かけたが、まだ全般的に外国人旅行者は少ないようで珍しがられたし、親切にもしてもらった。中央アジアはヴィザのせいで駆け足で通りすぎなければならなかったのが残念だけど、コーカサスでは行きたいところを自分のペースでのんびりと周ることができた。これでひとまずロシア語圏を抜ける。旧ロシアの国々、ダスビダーニャ!
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