2008/5/30
「エリック・ハイドシェック ピアノ・リサイタル」
音楽
「来日40周年記念」のエリック・ハイドシェックのピアノ・リサイタル(@札幌コンサートホールKitara大ホール)を聴く。
《ベートーヴェン》
ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」
自作の主題による6つの変奏曲作品34
6つのバガテル作品126
ピアノ・ソナタ第31番
ハイドシェックを生で聴いたのは昨年の札響の定期演奏会が初めてで、これが2度目。
ベートーヴェンにしてはかなりペダルを多用し(かなり浅く踏んでいるから、けっして耳障りな響きにはならないが)、テンポもかなり揺れ、フレーズの終わりの処理の仕方が通常とは逆だったり、左右に微妙なずれを作ったり、とおそらく日本の学生コンクールのようなところだったら絶対通らない弾き方だなと思いながら聴いていたが、でもその音楽は絶妙なバランス感覚と、類まれなセンスに基づいたものであるせいか、ほとんどの場合十分説得力をもって響く。
何より驚かされ、魅了されたのは、音一つ一つ(特に主旋律や和音)がとても充実した響きをもっていること、そして何でもないささやかな経過句であっても、ただの伴奏型の繰り返しであっても、ほとんどすべての音に豊かな表情があることである。その豊かな表情は、独特なアゴーギクやディナーミクのみならず、タッチやペダリングによるところも大きいのだろう。だから、ときに音がかなり冷たく響くことがあるにしても、音楽が絶対に平面的、直線的にならず、立体的に音楽が膨らんでいくような不思議な感覚を生み出している。
はじめに演奏された「悲愴」は、まだこの独特な世界に自分の耳がなれていなかったせいなのか、あるいはハイドシェック自身がうまく乗り切れていなかったのかは私には分からないが、正直に言えば、個人的にはあまり楽しめる演奏ではなかった。たとえば、sfと書かれた音を敢えて弱音で弾いてみたり、上昇型の音列のメロディーがことごとく埋もれてしまったり(これは意図的なのかどうか分からない)、変なところにアクセントをつけてみたり、というようなこと一つ一つが、たとえ考え抜かれた末のものであるにしても、どうしても作為的に聞こえてしまうのだ。
でも、2曲目以降は音楽にしなやかさが増し、一つ一つの表現が自然なものに聞こえ出した。普通はつまらなく弾かれがちな「6つの変奏曲」は見事に面白い曲に仕上げられていたし(そう言えば冒頭に置かれた聞きなれない序奏は自作?)、「バガテル」の魅力も再発見させてくれた。31番のソナタでは、フーガの部分で止まってしまい、しばしの沈黙の後に弾き直すという事故もあったが、全体的には(特に1楽章冒頭やフーガの前のアダージオ)とても美しく、かつときにデモーニッシュな感じさえ漂わす瞬間もあり、大いに楽しめるものだった。
年齢からくる衰えなのか、以前左手が動かなくなる病気をしたことの後遺症なのか、多少指回りが悪いと思わせる部分もところどころあり、また特に演奏家が一番ステージで恐れる「途中停止」が起こってしまったので、もしかしたら本人としては満足できない演奏だったかもしれないが、4曲の味わい深いアンコールも含めて、十分にその個性的な魅力を伝えてくれたように思う。
投稿者: Takahashi
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投稿者:Takahashi
daiさま
すごく独特なベートーヴェンでしたが、とてもひき込まれました。
ああいうタイプは、もっとノッて弾くと、神がかり的によくなるんでしょうね。
投稿者:dai
悲愴を聴いてみたかったです。
ハイドシェックというとやはりベートーヴェンというイメージが強いんですよ。
投稿者:Takahashi
trefoglinefan さま
コメントありがとうございます。
ハイドシェックは以前も「ハンマークラヴィア」の途中で止まり、一度袖に引っ込んでから、再度弾きなおしたということもあったらしいですね。先日の札幌でもきっと本人の調子はあまりよくなかったのだと思います。でも、あの個性的な演奏は十分魅力的でした。
投稿者:Takahashi
くま様
ハイドシェックはシャンパン醸造元シャルル・エドシック社の御曹司だそうですが、育ちのよさそうなお洒落なおじいさん、といった感じですね。
演奏は賛否両論あるでしょうが、不思議に最後まで惹きこまれてしまいました。