2008/6/22
20日は札幌交響楽団の第510回定期演奏会(夜公演)に行く。
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
指揮:高関健
ピアノ:コンスタンチン・リフシッツ
今からおよそ100年前、19世紀後半以来の発展も頂点に達し、まさに爛熟期にあったロシアの音楽は、世界に向けて発信をはじめていた。1909年にはアメリカでラフマニノフがピアノ協奏曲第3番を披露して大喝采を浴び、1913年にはパリでストラヴィンスキーが前二作に引き続き「春の祭典」で大センセーションを巻き起こす。そんな二つの曲を一晩で聴けるという何とも魅力的なプログラム。
どちらの曲も演奏技巧の難易度という点で最高度の部類に入る特別な曲だが、発表から約100年経った現在ではどちらもすでに「古典」となり、「ただきちんと演奏する」だけではすまされない時代になってしまっている。どちらの曲も数多くの巨匠たちが名演を繰り広げ、すばらしい録音を残してきた歴史がすでにあるからである。ただでさえ演奏が難しいのに、それ以上を求められるとしたら、演奏者にとっては酷なことだろう。
それでも、そういう意味ではこの日の札響はどちらの曲も健闘していたし、特に前半のピアノ協奏曲は十分に面白かった。
リフシッツは極めて内省的なピアニシモから爆発的なクライマックスまで、ダイナミックレンジと表現の幅がとても広く、充実した演奏を聞かせた。強靭なテクニックをもちながらも、けっして名人芸的な演奏を目指しているのではないのだろう。細かなパッセージではきらびやかさを強調するのではなく、基本的に粒立ちをあまりはっきりとさせない奏法で幻想的な雰囲気を強める。第1楽章の独特なカデンツの演奏はデモーニッシュですらあり、また再現部では可能な限り音量を落としてラフマニノフ特有の「歌」の美しさを際立たせる。テンポも細かなところでかなり大胆に揺らしているのだが、それでいてその音楽はけっして作為的には聞こえない。たいへん技巧的な曲であるために、「ただきちんと演奏する」だけでは快活できらびやかな面ばかりが強調されがちなこの曲を、ここまで精神性豊かに演奏してくれるピアニストは珍しい。
伴奏のオケは、通常と異なるテンポの箇所や、音量をグッと落とすところなども、きちんとサポートしていた。でも、ピアノとオケの音量バランスの悪い部分や、ルバートの不一致などを含めて、必ずしもリフシッツの目指す音楽を共有していないのではないかと思わせる節があったのも確かである。でも、そもそもあのピアノにぴったりと合わせるのは至難の業なのかもしれない。
後半の「春の祭典」は、細かなズレや乱れが無いわけではなかったものの、集中力が途切れることなく、「健闘」という言葉がふさわしい熱演であった。ただ、どうしても弦のさらに分厚い響きを求めたくなるし、特に第2部後半ではさらにキレのあるリズムが欲しい。
また、本来キリスト教化される以前の異教の世界を描いたはずのこの曲が、この日の演奏ではまるで近代的な機械工場の音を模したような音楽に聞こえてしまったのはなぜだろう? 精緻な書法で書かれているリズムを楽譜どおりきちんと守った上で、「野性味」や「土着性」があふれ出る演奏がおそらく理想的なのだろうが、そこまで達するにはあと一歩というところだろうか。やはりこの曲は「ただきちんと演奏する」だけで大変な曲だ。
投稿者: Takahashi
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投稿者:Takahashi
daiさま
春祭を演奏されたことがあるんですか? すごいですね。最初のファゴットは聴いているほうもすごく緊張します。
投稿者:Takahashi
西洋音楽愛好家さま
記事には書き忘れましたが、夜公演ではアンコールでショパンの作品25−6を弾いていました。多少のミスはありましたが、リリシズムあふれる演奏で、「エチュード」であることを忘れさせるような綺麗な演奏でした。
投稿者:dai
両曲とも興味がある曲なので聴きたかったです。
春祭の冒頭は本当に難しくて、私は音をだすだけで精一杯です。
投稿者:西洋音楽愛好家
私は翌日21日、昼公演の方を聴きました。
リフシッツはアンコールに、ショパンのエチュードop25−7を弾きました。
5年位前に東京オペラシティでリフシッツのリサイタルを聴いたことがありましたが、この時は、
シューベルト作曲
『4つの即興曲』op90&op142(計8曲)
『ピアノソナタ第21番・変ロ長調』D960
アンコールにバッハの作品1曲
というプログラムでした。