廃校をたずねて O
・ 佐久の廃校
長野県はその広さと旧国名から、「木曽」「天竜」「諏訪」「筑摩」「信濃」などの細かい地域に分かれるが、ここ「佐久」地方は群馬県の西上州や埼玉県の秩父地域に隣接する、東京からは最も近い「信州」である。
大約、高原列車で有名なJR小海線の沿線地域であると思えば間違いない。
沿線は過疎地域も多く、既に使命を終えた学校跡が点在する。
@ 小海町立北牧小学校松原分校
「松原湖」といえば登山に詳しい人はすぐにピンとくるかも知れない。
八ヶ岳山麓にある高原の湖だ。
1960年代はスケートで有名だったようである。
ここに小海町立北牧小学校松原分校の跡地があった。
・ 廃校記念碑と二宮尊徳像。
昭和53年本校に統合とある。
土地柄スピードスケートの選手を多く輩出した学校のようだ。
・ 校舎は残っていないが、地区の集会場が建っている。
木造校舎がないのはやはり寂しい。
校庭の遊具はそのまま残されていた。
A 八千穂村立八千穂南小学校跡
@の松原小学校で紹介した、南佐久郡小海町と隣接する八千穂村(現在は隣の佐久町と合併して佐久穂町となった。)にも廃校跡を見つけた。
八千穂村立八千穂南小学校という。
・ 残存する校門。
どことなく戦前の小学校の面影がある。
・ 廃校記念碑の裏面にはめこまれている、かつての木造校舎全容写真のプレート。
このようなものが廃校に残っているのは珍しい。
・ 校歌の碑。
・ 学校跡は町営住宅となっていた。
どことなく学校の面影を残す意匠になっているのは、地元民や卒業生達の要望だったのだろうか。
・ 住宅の脇に二宮尊徳像がひっそりと佇んでいる。
B 旧臼田町立臼田小学校狭岩分校跡
この学校について記す前に旧臼田町(長野県南佐久郡)の「広川原」と「馬坂」という集落について触れておきたい。
この二つの集落がここに載せた狭岩分校の通学区だが、この二つの集落は常識的な県境の概念を逸脱して、長野県が群馬県側に深く食い込んだ場所にある。

どうしてこんな線引きがされたのか?非常に興味深く思い、馬坂地区の古老に話をうかがってみた。
すると、江戸の昔、このあたり一帯の信濃国と上州国の国境決めがどうしても決まらず、結局双方から役人が出て「陣取り合戦」のようなことが行われて、このような線引きになったという。
信濃の「知恵」が上州人に勝ったいきさつについて
佐久市のホームページ に詳しい記載があった。
興味のある方は開いて読んでみてほしい。
臼田町は平成の大合併によって佐久市に吸収されている。
佐久市はかつては岩村田、中込、野沢などの小さな街を擁する地方の信州の小都市にすぎなかったが、この合併によって望月町、浅科町も併合して信州の中核市に変貌しつつある。
・ こちらが狭岩分校の跡。
相当以前に廃校になった模様で朽ち方が進んでいる。
建物内部も砂防工事などの飯場になっていたようで散らかっていた。
ここは臼田の本町には田口峠を越えて10数キロもかかるが、隣接する群馬県の南牧村へは3〜4キロで行ける。
「馬坂」と「広川原」の子供達はここを卒業すると、隣接する南牧村の尾澤中学校(廃校)に越境通学したそうである。
・こちらが南牧村立の尾澤中学校跡。
意匠のなかなか素敵な校舎だった。
C 佐久市志賀村立志賀小学校跡
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