地味にそして離縁 日々のこと
当ブログも、メガネのホームページも地味に地味に、原点に戻しつつ整理を始めた。
元々地味なのにさらに地味になっていくのは本意ではないが、こういうものはいずれなくなっていく運命なのだろう。
人の出会いと別れがあるように、どんなものにも始めと終わりがある。
きっかけは何であれ、人は微妙な支えで生きているものなのです。
そして、自分自身に向かって書き続けることは結構きつい作業なのです。
まずは「竹中労」から離れることから始めようと思う。
実をいうとこのことは何度も決行しているのだ。
亡霊のように私に取り憑いているけれど、それは決して不愉快ではない。
元のつれあいにも竹中の縁者にも話しているけれど、私は竹中の死の直前に夢の中で語り合っていた。
その翌日のフジテレビの番組で死を知るのだけれど、予感があったら極自然に受け止めた。
本を処分しても血となり肉になった「思想」はまず取りようがない。
それでいいのだけれど・・・
時としてそこから離れなくてはならない。
いまそんな時期なのだろう。
何度目かの「離縁」です。
武藤彩未だよ。本人だから!内緒で大好きな(失礼)彼女について書いてみよう(笑)
このブログをピンク映画のような場末な感じにしよう。
そっと贔屓の人が訪ねてくる。
一切拡散させないことはなんと自由なことか!!
うんうん、少し調子が出てきた。
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元々地味なのにさらに地味になっていくのは本意ではないが、こういうものはいずれなくなっていく運命なのだろう。
人の出会いと別れがあるように、どんなものにも始めと終わりがある。
きっかけは何であれ、人は微妙な支えで生きているものなのです。
そして、自分自身に向かって書き続けることは結構きつい作業なのです。
まずは「竹中労」から離れることから始めようと思う。
実をいうとこのことは何度も決行しているのだ。
亡霊のように私に取り憑いているけれど、それは決して不愉快ではない。
元のつれあいにも竹中の縁者にも話しているけれど、私は竹中の死の直前に夢の中で語り合っていた。
その翌日のフジテレビの番組で死を知るのだけれど、予感があったら極自然に受け止めた。
本を処分しても血となり肉になった「思想」はまず取りようがない。
それでいいのだけれど・・・
時としてそこから離れなくてはならない。
いまそんな時期なのだろう。
何度目かの「離縁」です。
武藤彩未だよ。本人だから!内緒で大好きな(失礼)彼女について書いてみよう(笑)
このブログをピンク映画のような場末な感じにしよう。
そっと贔屓の人が訪ねてくる。
一切拡散させないことはなんと自由なことか!!
うんうん、少し調子が出てきた。
