「貧乏」映画は新しい!?  家業(眼鏡)

新藤兼人監督による日本の映画「どぶ」「狼」、いずれも1950年代初めの作品。
映画「どぶ」は題名の通り、(余りいい言葉ではないが)1人の精薄の娼婦がどぶの中を這いずり回るような映画。さらに、その娼婦から金を巻き上げる貧乏長屋の、最低の人々。
「狼」は食い詰めた保険屋が引き起こす強盗団の話。

私が生まれたのもこの時代、日本中がどうにもならないほどの貧しさの中で、必死に生きていただろうことは想像できる。

映画に描かれた以上に悲惨なことは、いくらでもあっただろうけれど、それを検証してみたところでせん無いこと。

ただ、こういう映画を見ながら思うことは、実に違和感がないのだ。現代の貧乏は種類が違いはすれど、同じような精神構造の上に成り立っているように思える。
今は、それなりに綺麗に町や村は出来ていて、一見幸せを簡単に享受できるように思えるのだが、精神的な疲弊感は戦後間もない頃より、ぐっと深刻なのだと思う。

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100歳近くなる新藤監督、それこそ貧乏を絵に描いたような「近代映画協会」とともに自分の好きな映画を撮ってきた。そこで描かれたのはやはり、一貫して物質的には豊かではないけれど、心は豊かであろうとする「市井の営み」それを延々と映画にしてきた。

もう、鬼籍に入るのは近々だろう。相方、音羽信子が逝ったとき、彼は半分死んだことを痛感したのだと思う。
新藤監督の映画は彼女なくしては成り立たないのだから・・・。

そんな二人三脚をうらやましく思う。

それでも最期は1人で逝くことになる。



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2009/3/22  15:51

投稿者:とみやす

コメント有難う。
"貧乏だけど幸せ"幸福感の多様化をこの頃感じています。
生まれてきたからには、ほんの少し世の中の役に立ってから死にたいと思っています。

社会風刺風の古い日本映画が、最も見るのが辛いです。
原因は「時」なのでしょうか?



2009/3/22  6:49

投稿者:文

「貧乏」というものが、戦後すぐの日本と今の日本とでは、全く違うように感じます。

当時は、貧乏なんて普通でした。
日本全国が貧しかったのです。
また、それを国や自治体が助けてもくれないのが当然の時代でした。

私が生まれた頃でさえ(戦後10年たっているのに)日本中はまだまだ、ひどく貧乏でした。
そして、誰もそれを深刻に苦に病んだりしなかったように思います。
(苦に病んでもどうにもならなかったからだろうけれど)

反して今の日本は、すぐ隣に、ある程度裕福な人が居たりして、おのれの貧しさが際立つようになっています。
これが「みんな幸せなのにどうして俺だけ…」という動機の犯罪を生んでいるような気がしてなりません。

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