時空を超えた拓郎と拙文と  邦画

いま少し佐々部清監督「結婚しようよ」を書いてみたくなった。

この映画の良さは、全編吉田拓郎の曲とともに進行していくのだけれど、それが実に心地いいのだ。
映画の出来としては、やや出来すぎというか、善人ばかりで今の時代にそぐわないのかも知れない。

特に「中の森BAND」のAYAKOのはつらつ振りが、映画に清涼感を与えている。

「いっぱい、いっぱい」という言葉が印象的に使われる。
中年世代の辛さは、拓郎の歌とともに軽くなったようにも思えた。
例え、一瞬でも若き頃語った夢の話がこの映画の中に残っている。

改めて拓郎の歌を聞いてみて、彼は天才だったと思う。
「今日までそして明日から」は時空を超えた歌である。
実は、私は若き頃の拓郎は普通のファンだったわけで、今ほど深く彼の曲を聴いたことはなかった。
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業病は、彼を苦しみから解放しないだろう。
多くの中年にも、余り時間が残っていない人も多い。それでも歌のように生きていかなくてはならない。同じようにまた明日も・・・。
・・・
私の拙文、もういい加減自分でも嫌になるほど、進歩がない。
要するに、すらすらストレスなく書けないのだ、という事はすらすら読めもしないということになる。
何がそうさせているかといえば、若き日に読んだ天才本(おそらく故竹中労)が影響していることと、書くことの才能がまるでなかったことだと思う。
自分のことは、自分で分かるものではあるが、何か自信めいたものが年齢とともに喪失していくようにも感じる。

しかしながら、自分の生きるスタイルは変えられそうにもない。
「厳しい環境で頑張る」それしか私には、中年には、残されていない。
世間でいう幸福は似合わない。

少しづつではあるが「愚痴映画評論風」はやめようと思う。
本日の支離滅裂な文も、このあたりでおしまいにします。
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