2008/4/10  6:08

なんでも「鶴丸塗装」が消えるそうで...  Airplanes

まだまだ消えないと思っていたJALの旧塗装である「鶴丸塗装」が5月ごろには無くなるそうで。
写真は昨年4月に伊丹で撮影したB777 "STAR JET" Vega機(JA8982)
クリックすると元のサイズで表示します

asahi.com:さらば「鶴丸」 5月で見納め、日航半世紀の象徴

なかなか消えないなぁとは思ってたけどもう残ってるのって3機になっちまったのね……。


翼を広げた赤いタンチョウ――。日本航空(JAL)のシンボルとして親しまれた鶴のマークが、いよいよ姿を消す。02年の日本エアシステム(JAS)との統合で社章が変わり、5月末には機体のすべての塗り替え作業に入る。戦後の記憶と重なる半世紀だった。
「鶴丸」と呼ばれ、制定されたのは1959年。以前の社章は「JAL」の文字を横に広げ、翼を模したデザインだった。プロペラからジェット機の時代を迎えるにあたり、変更を検討。当初は「スピード感のある現代的なデザイン」が求められたが、最終的に「日本らしさ」が優先された。
機体に初めてプリントされたのは60年。「FUJI」と名付けられたジェット1号機、DC8型機だった。鶴丸は機体脇に控えめに納まり、尾翼には国旗が施された。
51年のJAL創立時に入社し、駆け出し時代は羽田空港で機体の清掃や荷物の上げ下ろしなどを担当した吉田仟(しげる)さん(82)は、「敗戦で打ちひしがれた日本の空に、飛行機を飛ばせることが生きがいだった。鶴丸は、JALだけでなく、日本が羽ばたく象徴に思えた」と振り返る。
70年には約500人が乗れるジャンボ機が登場。森英恵さんデザインのミニスカート姿の客室乗務員が、華やかに大量輸送時代の幕開けを告げた。沖縄返還、日中国交正常化など歴史の場へ要人を運ぶ機体の尾翼に、鶴丸はいた。国際線の拡張に合わせるように、吉田さんもデンマークやイギリス、イタリアの支店を渡り歩き、定年は米・シアトルの支店で迎えた。
海外に渡った日本人にとって、鶴丸は「特別」に映ったようだ。同じくJAL1期生でシンガポールや英、米、豪で営業などを担った佐野開作さん(78)は、海外赴任のビジネスマンらが「ツルを見るとホッとする」という言葉を何度も聞いた。添乗員付きのツアーが少なかった時代、ガイド代わりに支店を訪れる旅行者も多かった。
57年に入社し、91年まで国際線機長などを務めたパイロットの諸星廣夫さん(77)は、就航して間もないニューヨークの空港で夜間、ライトに照らされて浮かび上がる鶴丸が印象に残る。当時、日本の国際線はJALだけ。「誇りを感じた。鶴丸と一緒に成長してきたんです」
だが「栄光」の象徴は85年、520人が犠牲となった「御巣鷹の尾根」墜落事故で一変する。誇らしげだった尾翼の一部は、無残な姿で相模湾に浮かんだ。遺族には、憎しみの象徴にさえ映った。
87年の民営化の際には、再出発を印象づけるため、社内からもマークの一新を求める声があがった。02年のJASとの統合で新しいロゴができ、鶴丸は社章としての役割を終えた。だが機体の塗り替えは大がかりな整備のタイミングで行われるため、一部が今日まで残った。しかし、一時は約140機の尾翼に施された鶴丸も、残りあと3機となった。国内線の1機は今後大阪―福岡線(5月)など、国際線の2機は中国や東南アジア路線などで飛ぶ予定だ。
「やはり寂しい」と吉田さんと佐野さんは言う。2人はいま、羽田空港にあるJALの施設で、歴史的資料の収集・整理に無償で携わる。「いいことも悪いことも乗り越えた経験の礎」として、鶴丸の歴史を若い社員に伝えていくつもりだ。




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ