爺ちゃんの法事に供えてもらえるように
鎌倉までお線香「鎌倉五山」を買いに行きました。
母方の爺ちゃんは九州・小倉で旅館をやっていました。
旅館の男主人というのは暇だったようで
毎日、舟を出して釣りをしていました。
お客さんにお出しする魚もあったのかもしれませんが
子供だった私から見たら、楽しそうでした。
小指の爪が、魚を刺すために伸びており
ちょっと恐くもありました。

鎌倉はいい天気で、
小学生、中学生の子供たちが小町通に溢れていました。
八幡宮のそばの路地を入ったところに
「玄」という自家焙煎の珈琲を飲ませる店があります。
「写真撮ってもいいですか?」と聴くと
お店のマスターは精一杯お腹を縮めて
フレームアウトしてくれようとしたのですが
ちょっと無理でした。

この店の前の路地を一匹のラブラドルが
下駄を咥えて行ったり来たりしていました。
ノーリードで、飼い主も近くにいません。
「いいねえ、その下駄」と、話しかけると
嬉しそうに、尻尾を振り次の言葉を待っています。
珈琲屋に入ってからも、外から上目遣いにこちらを見ていました。
どこから持ってきたのか、下駄はとても気に入っているようでした。
隣が下駄屋だったので売り物じゃないといいのですが・・・。
きょうは私が時々自分に「喝」を入れる時に読む詩を紹介します。
「
自分の感受性くらい」茨木のり子作
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
(中略)
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
この詩は、自分の目で見ろよ・・と言ってくれている様で
日和見の弱い私にとってはありがたい詩です。

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