先ほど、九州から帰ってきました。

九州はもう桜が咲いていました。
8歳まで12人家族のような家で育ち
小学校4年になるときに、すぐ近くの社宅に引っ越しました。
大家族の中に居たので、当初は寂しく
毎日、元の家に帰りたいと思いながら暮らしていました。
社宅と元のタバコ屋がある家の間には
十間道路と呼ばれている太い道があり
その当時は信号もなかったので、
そこを渡るのは、子供心にとても危険なことと思われ
勝手に帰るのは、とんでもないことと思っていました。

社宅の東側には長崎街道の松並木がありました。
土手の上に木が立っており
小学生の頃、メリーポピンズよろしく
父の大きな傘を持って木に登り、
「エイッ!」とばかり飛び降りたところ
土手の西側に降りるつもりが
運悪く、風が吹き
土手の東側の「朝鮮部落」に落下しました。
今から考えると、ひどく差別されていた地域です。
45年以上前のこと、
治外法権というか、し尿処理や牛や豚などの畜殺も
すべてその地域の内部でまかなわれており
私の飛び降りた場所は、骨置き場でした。
半泣きで脱出し、家に逃げ帰りました。
同じ小学校に部落の子どもたちも来ていました。
部落の子は貧しく
給食に初めてバナナが出たとき
バナナを初めて食べると言う部落の子を
性質の悪い子が「皮ごと食べるもんなんよ」とそそのかし
皮にかぶりついた時
私の友達の女の子が「違うんよ。悪いねえ、あの子は」
と、そそのかした子をぶっ飛ばしに行き
私はその女の子を初めて尊敬しました。
私はその時、悲しいだけで
朝鮮部落の子のために何一つできなかったのですから・・。
今では、部落は消えてなくなっています。
そんな昔のことが、
松並木や小学校を見ると次々に思い出されます。
伯母ちゃんや従兄弟、従姉妹の思い出も・・。

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