震災から約半年、地元は地震の直接的被害がほとんどなかったので、見た目は以前と変わりがない。
市から届く放射線量を知らせるメールや、学校の表土除去作業でもなければ、忘れてしまいそツだ。
春先には、色々と考えていたりしたのだが、ブログの更新もなく、何を思っていたのか、はっきりしない。
とりあえず、思い出せるだけ、忘れないように書き留めておく。
11日事務所にて揺れを感じ、お店に行くとパートの君島さんが棚のお酒を押さえていた。大窓近くのお酒はあきらめ、窓から離れてもらい、私は、カネボウの化粧品を押さえた。揺れが激しくなり、一升瓶がパタンパタンと音を立てて倒れる。
停電となり、ツ片付けも早々に、自宅を確認しに行き、照明を持って消防団詰め所へ向かツ。巡回をさせつつ、車庫で待機、一旦店に戻る。
停電となった店内で、一人が商品の値段を調べに走り、一人が、お客さんに懐中電灯で照らしてもらい、太陽電池の電卓で会計をしていた。日が暮れて何も見えなくなり、閉店となる。レジがいかに便利か、さらには電気がどれだけ貴重か、思い知らされた。
14日未明、仙台、親類宅へむけて出発、福島市で崖崩れ4号通行止め、ガソリンスタンド渋滞各所あり、仙台到着、街は至って平穏、女川原発放射能漏れの噂あり。
午後塩釜到着、街は滅茶苦茶になっていた。水道、電気は止まり、時折携帯電話のアンテナサインが立つが、電話はもちろん、メールも通じない。余震続く。15日、床ツ浸水の片づけを手伝い、午後帰路につく。
放射能漏れのニュース、那須塩原は、15日8時0.08マイクロシーベルト、車の空調を内気に切り替える。4号は、郡山付近大渋滞、294号へ回避、雨の中、関谷到着する。娘達は埼玉へ避難、鍵が無く家に入れず。
その後、計画停電が行われる期間が続く。入荷がない品物、特にミネラルウォータは、品薄。何事も停滞している感じ。毎朝、県発表の空間線量値データを見るのが習慣になる。
計画停電終わる。
消防の操法練習始まる。

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