「情」  邦画

映画「帰らざる日々」今から30年以上前の日活映画である。
舞台は長野県飯田市、私の新城市からおよそ100km、車で二時間ほどの距離である。

高校生と所謂不良との屈折した友情のようなものを、「欲求不満」風というか日活風に描く。
友情というと何か恥ずかしくなるけれど、この映画は明らかに「情」として人間の尊厳の部分にまで踏み込んでいる傑作映画である。

私たちは命をかけて、人を助けることができるのだろうか?
「本当に困ったときには助ける」なんて簡単に言っても、現実問題として遭遇した場合、どれだけの人が実行できるのだろうか?

映画は主人公、永島敏行を助けたため、江藤潤の不良は重症を負い、競輪選手の夢を諦めることになる。
そして、江藤は自堕落生活を暗示しつつ交通事故で死んでいく。

最後で、今まで気づかなかった深い深い「情」を観客に提供することになる。


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私が書くこの文もそうだけれど、「あなたの映画の見方は違う」と身近な人に言われたりする。
おそらくそうなのだろう。色々な映画の解釈があるのだから・・と。そして、私はいつの間にか、自分の人生を投影できるものが、最良の映画だと思うようになった。
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「情を交わす」という言葉は、本来とってもよい日本語だと思っている。
過ぎ去ったあのぬくもりを、もう簡単には取り戻せないことは、映画でも現実でも一緒であることは誰もがわかっている。

「懐かしさ」とともに思い出すには、もう少し時間が要る。
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ある予感  家業(眼鏡)

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日本発のハイブリットカーが世界を席巻しそうである。
トヨタプリウスとホンダインサイトがそれであるが、この巨大企業が価格と性能で切磋琢磨することによって、日本をいや世界を救うという話がまことしやかに伝えられ始めた。
このどん底景気の中の唯一の明るい話題だけれど、あながちウソではないという実感がしてきている。

企業でも、政治でも、現在の閉塞感脱却には既成の価値観ではどうにもならないところにきているわけで、タイミングはまさにぴたりと「ハイブリットカー」と合致する。
今までにないものを必要としているのは、あらゆる世代、とりわけ給料が減っている若い人たちかも知れない。

私たちの世界は知らず知らずのうちに、大きな変革の波の中に入ってきたように思う。
不況こそ、あらゆる変革のキーワードと思っていい。

不況も悪いことばかりではない。

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「貧乏」映画は新しい!?  家業(眼鏡)

新藤兼人監督による日本の映画「どぶ」「狼」、いずれも1950年代初めの作品。
映画「どぶ」は題名の通り、(余りいい言葉ではないが)1人の精薄の娼婦がどぶの中を這いずり回るような映画。さらに、その娼婦から金を巻き上げる貧乏長屋の、最低の人々。
「狼」は食い詰めた保険屋が引き起こす強盗団の話。

私が生まれたのもこの時代、日本中がどうにもならないほどの貧しさの中で、必死に生きていただろうことは想像できる。

映画に描かれた以上に悲惨なことは、いくらでもあっただろうけれど、それを検証してみたところでせん無いこと。

ただ、こういう映画を見ながら思うことは、実に違和感がないのだ。現代の貧乏は種類が違いはすれど、同じような精神構造の上に成り立っているように思える。
今は、それなりに綺麗に町や村は出来ていて、一見幸せを簡単に享受できるように思えるのだが、精神的な疲弊感は戦後間もない頃より、ぐっと深刻なのだと思う。

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100歳近くなる新藤監督、それこそ貧乏を絵に描いたような「近代映画協会」とともに自分の好きな映画を撮ってきた。そこで描かれたのはやはり、一貫して物質的には豊かではないけれど、心は豊かであろうとする「市井の営み」それを延々と映画にしてきた。

もう、鬼籍に入るのは近々だろう。相方、音羽信子が逝ったとき、彼は半分死んだことを痛感したのだと思う。
新藤監督の映画は彼女なくしては成り立たないのだから・・・。

そんな二人三脚をうらやましく思う。

それでも最期は1人で逝くことになる。



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MTV Premium Live in duo 泉谷しげる  家業(眼鏡)

泉谷しげるのライブコンサートを納めたDVDがこの作品。
破天荒な泉谷の音楽が間断なく流される。

彼の才能は、役者のほうにあるとは思っていて、コンサートの風景を見たのは初めて。
「エルビス・オン・ステージ」は大いに感心したのだが、それに近い出来のように思う。
私の好きな「野良犬」「電光石火に銀の靴」等々、意図的な荒っぽいリズムは相当洗練されているように思えるのだが、どうも音楽は門外漢なものだから判断が出来ない。

まあ、好きな音楽を楽しめばいい訳で、専門家の評価は必要ないですね。
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ところでバックで演奏している人が、実に格好いいのだ。腕前も確かだし、こういう男がいてこそコンサートは盛り上がるのだと思う。

才能ある人は「二足の草鞋」、結構様になるのだ。

ところであのジュリーはどうしている。
ブクブク太った彼をテレビかどこかでみた。
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商売人の背中と孤独  家業(眼鏡)

映画「がんばっていきまっしょい」は田中麗奈の出世作。

映画は劣等性ぎみの女子高生が、ボート部を設立しみんなで頑張ろうという、いわゆるスポ根物に近いと思う。
とってもよく出来ていて、おそらく万人が充分に堪能できるであろう。

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主人公の父親を「白竜」が演じているのだが、これがとってもいいのだ。

クリーニング店を母親と営んでいて、一見冷たく娘に対するのだが、そのぶきっちょな愛情表現が男としては、とっても理解できるのである。

父親はいつの時代も家庭の中では日陰者、表舞台は母親かもしれないと、この頃特に思う。
「キャッキャ言うあなたたちは嫌いだ」というセリフを女コーチに言わせているけれど、これこそが男の本音だと思う。
男には出来ないのである。

男は年をとればとるほど、世間のしがらみとやらを身につけ、重い鎧を着てすごさなければならない動物なのである。





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いつかは活きる「技術」としぶとさと  家業(眼鏡)

岩井俊二監督作品「花とアリス」必ずしも成功した作品だとは思えないが、妙に歩く場面ばかりが印象的な映画なのである。

実質的な主演は蒼井優、彼女「フラガール」で大ブレークしたのだが、この「花とアリス」でも見事なバレーシーンを披露している。という事は「フラガール」の起用にこの映画が大きく関わっていることが想像される。
クラッシックバレーの素養が見事に結実したということ、「技術」を獲得するには長い修行が必要なわけで、日々の努力が報われたことにもなる。

綺麗、かわいいだけでは、人間贅沢なものですぐに飽きられてしまう。
代表作を残さず消えそうなあの「沢尻エリカ」を見ても分かる。

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そういえば、かつてかわいかった「秋吉久美子」のしぶとさは見事なもの。
歯を矯正しないまま出演していた「赤ちょうちん」「妹」は、彼女の映画になっていた。
現在の彼女は、テレビで最も見たくない女優の1人、つまり一種独特の毒というか、淫乱さを振り撒いてしまうのだ。しかし、映像で見るとそれが妙にそそられる場面になるから、不思議である。この味は誰にもまねが出来そうもない。

かつて、若山富三郎がその秋吉を徹底的に嫌っていたことをテレビで告白していた。
何事も中途半端に終わらせない彼女なりのエピソードだと、ファンの1人として思って
いる。

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貧乏暮らしと映画「放浪記」  家業(眼鏡)

高峰秀子主演の「放浪記」、期待せずに見たが、結構面白く出来ていた。
カフェの女中をしながら、いつか作家になってやるんだという執念のようなものが画面からにじみ出ている。
そういう無理から出てくる「ゆがみ」も一層切ないのだ。
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人間頑張れば何とかなる時代は、平成の今日、ほとんど絶望的かもしれない。
この映画の時代、昭和の30年代には多くの可能性が残されていたともいえる。

私はそれでもと、敢えて言いたい。
少しの可能性に、人生をかけて何が悪い。
逆から言うと、好きなことはいつの間にか努力をしてしまうものでもある。

いつの時代もきちっと仕事をした人は、必ず評価する人はいるものなのだ。

何やら、自分を慰めているような情けない文になってしまった(笑)。
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