歌謡曲映画の傑作だ  邦画

「ずべ公番長 ざんげの値打ちもない」
シリーズ物で多くは期待しなかったが、見て大いに驚きました。
傑作女任侠映画になっていたからだ。

トップシーンから何かしら監督のやる気と言うか、熱気のようなものが伝わってきてひょっとしたらレベル以上のものが、出来るかもしれないという思いをしていた。

映画というのは不思議なもので一度いい方向に転がりだすと、思わぬ結果を生むことがある。
この映画はその典型のようにも思える。
北原ミレイの歌が、意外にもこの映画の浪花節的なストーリーにあっているようにも思えるし、この歌謡曲が映画の成否を決めたと断言するのは早計だろうか?

誰も社会の枠からはみ出したくて、はみ出したのではない。そのわけを少しでも聞いてくれればこんな私にはならなかったんだ。
という日本人的な甘えがこの映画の下敷きになっていて、伴淳三郎がどうしようもない父親役を好演している。
ここの押さえが効いているからこそ、終盤、恒例の殴りこみシーンがカタルシスを生んだんだろうと思う。

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女鑑別所(?)で間違って上映される「網走番外地」、壁に何気なく貼られた高倉健のポスター、こんなところがファンにはたまらない。

「ざんげの値打ちもない」余録
映画「八月の濡れた砂」ピアノ曲として流れる。
映画「歌謡曲だよ・人生は」オムニバス映画の一本として作られる。
いずれもなかなか効果的な使い方をしている。
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たまには、東映プログラムピクチャー  邦画

1970年公開ずべ公番長 夢は夜ひらく」を藤圭子見たさに借りる。

映画は東映お得意の女ヤクザ物で、取り立てて今見る価値があるとは思えないが、まあ出てくる人たちが若いことだし(笑)・・・。
当時、東映の映画はひどい状態で「小屋」でかけられていた。音声は割れ、映写状態もタバコ吸いたい放題だから、曇ってはっきりしないのが常態化していた。

改めて、DVDで見直して感じたことは、結構撮影もきちっとやっていて綺麗に撮れている。
本当に当時は、東映に限らずいい加減でしたもの。
でも、熱気だけはありました。

この映画に流し役で出てくる藤圭子、声量が抜群で本当に聞かせる。

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後の見所は主演の大信田礼子、なかなかかわいいことぐらい(笑)。
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続編の?  邦画

パッチギ!LOVE&PEACE」をまるで期待せずに見たが、やはり駄目だった。
前回が90点だとすると、今回は30点ぐらいだろう。

営業サイドの要請で続編は作られるようだが、もはやその時点で監督の主体性のようなものを失っていると勘ぐられても仕方がないだろう。
ほぼ元本保証(赤字にはならない)だから、会社側としては十分なメリットがあるわけで、映画興行はそういうものなのだろう。

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続編パッチギは、妙なところに力が入っているのが可笑しい。戦争シーンがハリウッド映画並みに、CGを使いまくり全体のバランスを大いに狂わせている。
主演女優の彼女も口を尖らせる妙な癖が気になり、沢尻エリカの品(笑)には遠く及ばない。

そういえば「三丁目の夕日」の続編もひどかった。最初のゴジラのシーンがなかったなら20点映画だ。

奇跡の続編は、やはり寅さん、シリーズなのかもしれない。
「ゴッドファーザー」の続編が出来がいいと言うけれど、嫌味な暴力映画には違いない。
続編映画の成功の秘訣は、個性の強いスーパーヒーローが必要だろう。
座頭市、眠狂四郎、子連れ狼等々・・・

ほとんどの傑作映画は何となく余韻を残しつつ終わるからこそいいわけで、続編でそれをぶち壊すようなことはすべきではないのだろう。

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昔の粋な美人さん  邦画

1935年「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」を見る。

昭和10年と言うことで、ボロボロのフィルムかと思ったが、保存状態がよく立派に今でも鑑賞に堪える。

名作中の名作と言われ、なるほど天才山中貞雄監督の才気があちこちに感じられ、映画の今日性も充分であることは驚きである。

批評は嫌と言うほど書かれているわけだから、ここでは書かない。

一つ書くとすれば女優の「喜代三」さん、画像を拝借してきましたから、じっくり見てください。

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実にいい女で、本職でもある小唄が映画でも披露されているのだが、これが素敵なのである。

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この映画は、子供をめぐるとってもあったかい物語である。
「私は子供が嫌いなんだよ」と言いながら、かいがいしく世話をする女将役「喜代三」この人の身内がこの映画を見たらどう感じるのだろうか?
ふと、そんな想いがした。
1963年他界、当然なのだがスクリーンの中の人々は、いつまでも若々しい。

「私のおばあちゃんは素敵だったのよ」などということは、実生活ではなかったのかもしれない。
美貌ゆえの遍歴が一部書かれているようだし、大変な酒豪だとも書かれている。

でもでも、どうしてもこの「喜代三」ねいさんが気にかかる。
こんなことは長い映画歴の中でもまれなことではある。


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薄っぺらな恋愛映画  邦画

「恋と花火と観覧車」1996年公開、松嶋菜々子、長塚京三主演作品。

この映画つい最近見た中では、笑っちゃうほどお粗末な映画でした。
つれあいを亡くした父親に娘が、再婚相手を探してやると言うおせっかいが物語の中心、それを唯々諾々として受け入れる情けない父親。
余りの気恥ずかしさに途中で何度もやめようとも思ったが、長塚京三のファンだから最後まで何とか見た。

恋人役が松嶋菜々子、まだ映画「リング」の前で多くを期待できないのは仕方がないにしても、なんともいえない存在感のなさと言うか、嫌味な演技をしている。
その後の松嶋菜々子は頑張りはすれども、何か女優としては限界のようなものが見えてしまった。
近作「眉山」も、もっとひどいと言うか、監督の腕が悪いのか、、、松嶋がどうしようもない「ブス」に見えてしまう。

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ある時期から女優は真の実力が試される。

子供を生み、女優もして、次はこれをしてと、という欲張りな人生は普通は無理だと思う。

一部情報では長澤まさみの新作映画が大コケらしい。
この人も人気のみが先行した不幸な例になりそうである。


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失敗作とされた黒澤映画  邦画

黒澤明監督作品、『醜聞(スキャンダル)』何故か無視されがちな映画の一本なのだが、そうなると見たくなるのが人情。

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スキャンダルをでっち上げられた画家と声楽家が、裁判を闘うのだが、貧乏弁護人を雇ったものだから買収されてしまう。
正義とは何かと言う基本的な部分が押し付けがましいと、いうのが一般的な批評であるが一概にはそうは思えないと、私は今回確信した。

1950年公開、私が生まれる前であり、この当時からマスコミのいい加減さを充分に認識していた黒澤はたいしたものだと感心する。
今の目から見ても、かなり的確な映画であり、晩年の隙間だらけの黒澤映画より数段面白く、娯楽映画としても優れている。

迫力あるオートバイが重要な道具であり、脇の山口淑子/桂木洋子が美しく、かわいい。
劇中で歌われるクリスマスの歌、「蛍の光」結構泣かせる場面も用意しているのである。
黒澤映画は、日本人離れした体格の俳優たちのりっぱ過ぎる言動が(たとえば被告人弁護士)ある意味難点ではあるが、現在でも通用する貴重な映画だと再認識した。


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photo 桂木洋子は黛敏郎夫人、いずれも故人 ・黛りんたろうは長男
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敢えて歌謡曲映画の名作と言おう  邦画

ほぼ30年ぶりに山田洋次監督「下町の太陽」を見直した。

山田監督作品で一番好きな映画で、倍賞千恵子の珠玉の代表作だと思っている。
倍賞の勝気な性格を読みきった監督の勝因でもあるのだが、なんと言ってもかわいらしいのだ。
女優は美人であることはもちろんだけれども、人に好かれることも重要なのである。その点、倍賞の立ち振る舞いは、我々庶民と多く違わないと思わせる要素があるのだ。

もう一つ、男の私が見ても倍賞の衣装が素敵だ。華美ではない庶民ファッションなのだろうけれど、はつらつとした彼女にぴったりなのだ。

1963年公開だから、そんなに古い映画ではないが、ここに出てくるほとんどの老俳優たちは死んでいる。
実にいい味を出していて、彼女のフォローにまわっている。

高度成長の時代は私も覚えがあり、多くの人たちが人より多く稼ぎたいと思い、無理して背伸びして生きていた。
それでも貧乏を選び、心を大事にしようとしていた人たちが世の中にはいたことを、山田監督は言いたかったのだと思う。

山田洋次監督、「寅さん」映画前の鬱屈した時代の名作なのである。
「寅さん」という鉱脈を掘り当てるのは、この映画から6年後になる。


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フラットな暗さ  邦画

小津安二郎監督「東京暮色」を考える。

正直、小津作品のかなりの作品を以前に見ているのだが、筋立て等ほとんど混乱してしまっている。
今、何本か小津作品を見直し途中なのだが、現在の視点から見ると名作と言われる映画でも、かなりの違和感を持ってしまう。
そういうのが映画というものだが、それでも私たちは現代とのつながりを、先人のこだわりを感じたいと思うものなのだ。

1957年「東京暮色」この作品はほとんど知識がなかった。少し調べはしたものの、ベストテン映画でもなく、評価もひどく分かれている感じなのだ。

妻と別れた男が娘二人を育てる、長女は結婚生活がうまくいかず、不良の次女は男とのぐずぐずした関係に自堕落気味、父親とて昼間から酒を飲んだり、パチンコをしたりと決して褒められはしまい。そこに別れた妻が現れ混沌気味・・・。というような

この映画の全体を覆う空気がよどみながらも、決してないたりわめいたりするところは、ただの一箇所しかない、次女の自殺未遂(事故?)と思われるところ、そう私はそこを評価したいと思っている。

淫隠滅滅にならない「フラットな暗さ」がとってもいいと思っている。
次々に起こる不幸、実は当たり前の事象なのだが、が人の生活だと思える人にはこの映画の平板な暗さはとっても快適に写るのではないか?

私、50年以上生きてきて、「死」をふと意識するときがなかったとは言えまい。
これからは充分に最期を意識して生きる時期に入ったと思う。
そういう意味から、「東京暮色」は中年以降の人たちのものかもしれない。
人生半ばにして死んでいった次女、それも人生・・・。
生き残った人たちが、死んだ人のことを思い出すのも忘れるも、これまた自由なのです。
そうして、次世代につながって行くのが生き物である人間だと思っています。

小津の映画を見ながらいつも思うことは、基本的には「絶望の映画」を延々と撮っているんだなと、家庭の温かみを決して信用していないからこそ一連の名作と言われるものが出来たんだと。

最も本音が出た映画が「東京暮色」だと私は信じつつある。



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