フラットな暗さ  邦画

小津安二郎監督「東京暮色」を考える。

正直、小津作品のかなりの作品を以前に見ているのだが、筋立て等ほとんど混乱してしまっている。
今、何本か小津作品を見直し途中なのだが、現在の視点から見ると名作と言われる映画でも、かなりの違和感を持ってしまう。
そういうのが映画というものだが、それでも私たちは現代とのつながりを、先人のこだわりを感じたいと思うものなのだ。

1957年「東京暮色」この作品はほとんど知識がなかった。少し調べはしたものの、ベストテン映画でもなく、評価もひどく分かれている感じなのだ。

妻と別れた男が娘二人を育てる、長女は結婚生活がうまくいかず、不良の次女は男とのぐずぐずした関係に自堕落気味、父親とて昼間から酒を飲んだり、パチンコをしたりと決して褒められはしまい。そこに別れた妻が現れ混沌気味・・・。というような

この映画の全体を覆う空気がよどみながらも、決してないたりわめいたりするところは、ただの一箇所しかない、次女の自殺未遂(事故?)と思われるところ、そう私はそこを評価したいと思っている。

淫隠滅滅にならない「フラットな暗さ」がとってもいいと思っている。
次々に起こる不幸、実は当たり前の事象なのだが、が人の生活だと思える人にはこの映画の平板な暗さはとっても快適に写るのではないか?

私、50年以上生きてきて、「死」をふと意識するときがなかったとは言えまい。
これからは充分に最期を意識して生きる時期に入ったと思う。
そういう意味から、「東京暮色」は中年以降の人たちのものかもしれない。
人生半ばにして死んでいった次女、それも人生・・・。
生き残った人たちが、死んだ人のことを思い出すのも忘れるも、これまた自由なのです。
そうして、次世代につながって行くのが生き物である人間だと思っています。

小津の映画を見ながらいつも思うことは、基本的には「絶望の映画」を延々と撮っているんだなと、家庭の温かみを決して信用していないからこそ一連の名作と言われるものが出来たんだと。

最も本音が出た映画が「東京暮色」だと私は信じつつある。



クリックすると元のサイズで表示します


http://blog.livedoor.jp/justsmile/archives/504131.html#comments
3




AutoPage最新お知らせ