昨日の夜9時ごろ、大阪から帰ってきました。
家の前の通りの暗がりを小さいかわいい塊が駆けてきます。
シロ君でした。
あと10メートルほどになって「ミャー」ところがります。
ずっと待っていたのでしょうか?
まあ、そんなことはないでしょうが・・。
義父の介護申請の認定調査に同席するために行ったのですが
義父はこないだ大阪に行ったときよりさらに症状が進んでおり
ひとりで起きたり歩いたり食べたり出来なくなっていました。
ケアマネージャー「イッタンダさん」が結果を持ち帰り
試しにパソコンに入力した所、介護度5になったそうです。
今年1月5日に介護申請して以来
義父と義母が逆転し、義父に重きをおいて介護することになりました。
先日義弟が毎日のスケジュールを組みなおしてくれ
朝、昼、晩と合計一日4時間半のヘルパーさんが来てくれる事になり
義父はそれを快く受け入れてくれておりました。
ヘルパーさんは5人がチームを組んであたってくれていました。
今年のお正月に申請しなければ、
たぶん私がずっと大阪にいるということになったのでしょう。
受け答えが漫才のような義父なので
そこは大阪のヘルパーさん「ボケとツッコミ」が見事でした。
主人にも休みになってから来てもらい
義弟ともよく話し合い
また明日受診することになりました。
頚椎症というのは神経が圧迫される病気です。
治療は手術しかなく
薬も痛み止めとビタミンB12しかないそうです。
意識ははっきりしており、呆けもまったくありません。
体が言うことを聞かないだけです。
おりしも実家のそばの長居競技場では
大阪国際女子マラソンが開催されていました。

2本の天に伸びるモニュメントの1本には
「こころよりからだへ からだわがいとしきもの
よあいともに このおもきつちけりてかなたへ」
(心より体へ 体、我が愛しきもの齢ともにこの重き土蹴りてかなたへ)
とあり、もう1本には
「からだよりこころへ こころわがたのもしきもの
たづさへてはしりたたへむ このつちをこそ」
(体より心へ 心、我が頼もしきもの携えて走り讃えむ この土をこそ)
と標されていました。
どこから運ばれてきたのか雪が積まれ
雪だるまがひとり寂しそうでした。

義弟が新大阪の駅まで車で送ってくれましたが
その車の前を毛がフサフサついた集音マイクを立てた中継車が走っていました。

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