先日、友達と歩きながら、最近の裁判の話になった。
その中で大阪教育大学付属池田小学校の事件の話も出た。
2001年に起きた無差別殺傷事件。
犯人の宅間は社会への不満と、自殺願望を口にした。
あの事件以来、全国の学校の校門は閉ざされることになった。
校門が閉まっていたら、事件は防げるというものではない。
私も子どもたちは、保護されるべきだとは思う。
しかし、恵まれた子女に、もともと恵まれた将来がある保障はない。
社会に出るといろいろな人がいて、いろいろな思いも交錯する。
公立学校離れが進み、
ある程度の生活水準の人の子女のみが通える学校が増えてきた。
人間は生活水準でその価値が決まるわけではないと
子ども自身が気がつくチャンスが少ない。
思い出したことがある。
自分自身の話で恥ずかしいが
小学校で3回、中学で2回転校した時の事、
中学1年の時、手続きの不備で私の名前が名簿に載っていなかった。
クラス分けの掲示物を見て探してもなかった。
ひとり、職員室に行き、「名前がありません」と言った。
アバウトな時代で
「とりあえず、どこでも好きなクラスに・・」
と言われ、3組に座った。
知っている人はおらず、不安だったが
このクラスから、そしてこの学校から追い出されないように
「学級委員になります」と手を挙げた。
小さい頃は、引っ込み思案でおっとりしていた私がである。
自分でも自分の行動にビックリした。
あとで、先生から「あなたの名前は隣の中学にあったそうだよ」
と言われたが、学級委員にもなったことだしと転校せずに済んだ。
本来の学区は新設された中学だったが、家から遠かった。
何度も転校すると、すぐその土地に馴染む方法が身につく。
すぐ変われる自分も悲しい時があったが
人間、変わることは大事だと思うようになった。
約束された「幸福」なんて誰にもない。
何を「幸福」と思うかも皆違う。
ただ幸福でないことを人のせいにしてはいけないと思う。

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