ちょっと眠れないので、前倒しの日記です。
介護についていろいろ考えさせられます。
近所の友達はここに越してきた時(30年前)から、実母と同居しています。
もう89歳です。
数年前までゲートボールの名手でした。
彼女とお母様の関係が実に絶妙で、持ちつ持たれつ
さらっと見守っていて、いつも感心させられます。
友達は矍鑠としたお母様の三女です。
見かねて手を出すことは滅多になく
腰は曲がっていて、階段の上り下りもおぼつかなくなってきてはいるものの
布団の上げ下ろしも、時間がかかっても手伝うことはしないそうです。
この絶妙な見守りは、長年の付き合いの賜物で
最近は家の中にいる犬まで、おばあちゃんをじっと観察しているそうです。
こないだ届け物をしたときのこと
友達は留守で、ちょうどおばあちゃんが階段をおりて
出かけようとしている時でした。
私の届け物の中に冷蔵庫に入れるものがあり
「せっかく、ここまで降りてきたところなのに・・。
出直します。お出かけしてください」と伝えると
「いえいえ、大した用事じゃない。敬老会のお食事会だから・・」
と、もときた階段を登り始めます。
登ったところで、「あら、鍵が・・」とまた階段をよっこらしょと降り
「さて、どこに鍵をしまったか・・」
あれこれ探すうちに、友達が帰ってきてくれました。
おばあちゃんは手押し車で自治会館に出かけていきました。
この手押し車、気がついたのですが
街で見かけるのですが、女性しか押していないようです。
大阪の義父も「年寄りくさくてみっともない」と
最初から拒否でした。
見てくれが悪いのだそうです。
私はそうは思いません。
女性は現実的なのでしょうか?
自分の行ける範囲の用事を、一人で済まそうと思えば
とても便利です。
荷物も入るし、疲れたら椅子になっていて腰を下ろせます。
自分のペースで自分の用事をすることが美しくさえ思えます。
去年の夏頃、義父から「ビニール袋を送ってくれ」と電話がありました。
聴いてみると、どうも自転車に乗れなくなって
行動半径が縮まったようでした。
それから、日用品が食料品になり
こちらでスーパーで買ったものを定期的に送るようになりました。
家から出なくなり、運動量が極端に減りました。
脚が弱りました。
一緒に暮らしていれば
徐々に弱り方などわかったかも知れず
急に過保護な扱いにならなかったかも知れません。
一気に車椅子が必要な生活になってしまいました。
友達のお母様は手押し車を押して買い物にも出かけます。
公園の、アガシがよく休んでいた藤棚の下に
手押し車を停めて、風を楽しんでいるようです。
「あら、元気?」と声を掛けてくださいます。
これが誰かに車椅子を押してもらってなら
こちらも気を使いますが
自由に帰れて、時間に縛られないおばあちゃんは
こちらも引き込まれてしまいそうな笑顔です。
「なるべく人の世話にはなりたくない」と
誰もがそう思うでしょう。
どんな老い方をするのか、誰にもわかりません。
呆けるのか、半身不随になるのか・・・。
でも人の世話を受けなければ生活できなくなった時
以前のような行動半径は動けなくなります。
例えば、銀行に行くことも
近くのコンビニさえ、宇宙より遠くなってしまうことも。
大阪の義父が「家は自由や」と言っていたことも
誰かのサポートがあってのこと。
「お金を下ろすのは天王寺」が「コンビ二」になっても
我慢を余儀なくされることを
私が居ない間に感じてくれることを願っています。

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