先日、呉服屋に着物の作り直しに行きました。
長襦袢も新調したのですが、
そこで聞いた話です。
今は呉服の手縫いは海外に出しているのだそうです。
もちろん国内でもできますが、値段がはるので
「時間に余裕があるときは、海外がお勧めです」と言われました。
中国とか、ベトナムで腕の確かな縫い子さんが縫うので
日本人の仕事と遜色がないそうです。
歴史の教師の友にこの話をすると
彼女いわく
「日本人は欧米の習慣や技術を、吸収することにかけては
ほとんど節操がないといわれるくらいに早かった。
このままではいけない、変わらなくては!と思い続けてきた。
今、中国を抜いて上から目線で中国に対し
『そんなことをしていては世界から孤立する』と言っているが
中国にとっては大きなお世話。中国4千年の歴史のほんの一瞬、
日本が発展しただけで、これまでずっと遣唐使など送って
中国から学び続けてきた」
私も、日本が日本らしくあるために、変わってはいけなかったものも
たくさんあったのでは?と思うことがあります。
昨日開港資料館に行き、外国人たちが如何に恵まれ
はつらつと横浜で暮らしてきたかがわかりました。
横浜球場は外人たちのクリケット場でした。
関東大震災で地盤の弱かった関内は95%の建物が壊れたそうです。
神戸の親戚や友だちを頼って、横浜を離れた外人たちも多かったそうです。
異国情緒の残る横浜は、まだまだ知らない魅力を漂わせています。

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