内田宜人『土屋文明―その昭和史の風景』読後に土屋文明『韮菁集』を読む。
土屋文明『韮菁集』を読んでいて
さびなどを日本の文学と思ふなよただ仮声(つくりごゑ)と身振(みぶり)なきのみ
という歌に出会い、思わず快哉をもらした。
『韮菁集』は、多くの作家がペン部隊として従軍を強いられた戦時、アララギを代表する歌人として忌避できぬ立場にあったであろう文明が陸軍省報道部臨時嘱託として中国戦場を旅して成った、昭和十九年七月〜十一月詠の五四七首を収録した歌集である。同年七月サイパン島日本軍全滅・東条内閣総辞職、十月レイテ沖海戦、十一月東京空襲始まるという時期に、真っ向現実認識と突きぬけるようなリアリズムの姿勢を貫いている。その作歌姿勢の苛烈さが「さびなどを日本の文学と思うふなよ」と詠ましめたのであろう、現実忌避は微塵もみられない。
日本の文芸思想の基層の一つに「隠者」「聖」の伝統があり、現代の私たちにしても隠棲や漂泊への憧憬、己が棲む社会を俗とみなすがゆえに生ずる超俗への憬れはあり、そこに現実忌避ないし逃避に通じるものを否定しきれないとすれば、この歌は「仮声と身振」の文学に対する痛烈な批判であると同時に、そうした人の世に対する批判でもある。折口信夫は、長明・西行・俊成という正統的な隠者の型が時代による変遷・変質を経て、芭蕉・西鶴・近松のような文学者へと繋がることを指摘し、後者を「擬隠者」と言っている。「隠者の文学は、常に社会に対して優越感を持つてゐた。はぐらかしと、苦笑とを以て、一貫したものであつた。あきらめはまだよい。世人に向つて、無責任な人生観を強ひもした。芸謡・民謡或は、文学作物が、此態度から生れたとしたら、どうしても廃頽味を深くしないはずはなからう」(「女房文学から隠者文学へ」)とも言っている。
『韮菁集』成立の時代背景を思えばなおさら、擬隠者になることのなかった歌詠みの精神の強靱さに驚く。(とりあえず、メモ)

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