13日の金曜日、内職仕事を届けた後、市谷の市井社に寄り、草壁焰太著『もの思いの論』を入手。当日は疲れていて読めず。翌14日午前から夕方までかけて、ゆっくり読んだ。
これまで、草壁主宰が、詩歌は「思い」を書くものだと言われているのを、私もしばしば聞いていたはずなのだが、本書を読んではじめて、こういうことだったのか、とわかったような気がした。
“気がした”としか言えないのは、草壁主宰が半世紀もかけて意志してそうしてこられたような〈もの思い〉の思い方が、「そうか、そうだったのか」、といって、私自身、一朝一夕にそう簡単に自身のものとできるとも思えないからである。しかし、これですっきりと腑に落ちた。こういう本に、もっと早く出会いたかった。五行歌モノに限らず、“はじめての…”、“…の書き方”、“…の作り方”、“…入門”などのハウツーものはなんとなく胡散臭くて感じられて好かないので、これまで敬遠してきた。したがって、本書は、私にとっての、五行歌〈入門書〉。“The
Eye altering alters all”である!
第一章から第四章までの思いの論の展開と構成は圧巻。
「第五章 古典に見る最高のもの―思い」に表された芭蕉の読みはさすが、とその肉薄の仕方に唸ってしまう。
「第八章 宇宙と人間」に述べられている存在と時間に関しては、私自身は異なる感じ方をしているので、違和感が残ったことは否めない。私の感じ方では、この宇宙に存在するありとあるものは、物質―生命―精神すべての存在様態を貫いて、この宇宙が存在しはじめると同時に展開されはじめた時間に相即しており、したがってまた逆に言えば、ありとある存在は〈宇宙意志〉ともいうべきものによって貫かれているこの宇宙的時間内存在であり、草壁氏が「宇宙という大きな存在には、この「意味」がない」、と言われているときの、「この」という限定辞をけっして故意に見落とそうとしているわけではないが、そうではなく、やはり「意味はある」と私は言いたくなる。なぜなら、もし〈私〉という存在に意味があり、そして何よりもこの意味が大切なのは、この宇宙に意味があるからであり、その展開し向かいつつあるところが〈何処〉であるかは解明されていないにしても、それはあらゆる存在が創造されつつあるものであるかぎり、創造には何らかの意志があり、意味があるということは否定しきれないと思うからである。が、これは、私自身の課題であり、それを再認識させてもらったということでもある。
第十章での「ヴェルレーヌあたりから真っ暗である」の斬り捨てっぷりは見事というほかないぐらいに潔い。こうお点が辛いと、草壁評価及第詩人が出てくるのにあと五百年ぐらいかかるのじゃないかと思えてくるほどだ。
本書の帯についての感想を付け加えるなら、「日本人はやまと言葉でもの思え!」と言われても、ちょっと戸惑う。
「やまと言葉」がひっかかるのだ。なぜなら、〈やまと言葉〉を私は知らないし、使った経験がないから。これは多分ひとり私だけのことではないだろう。いったい現代人のうちのどれほどの人が、〈やまと言葉〉を知っているだろう? 草壁氏は以前、「古語は死語である」というふうに言われたことがあると覚えているが、それと同じ意味でいうなら、〈やまと言葉〉はすでに生きていない、死語である。が、この帯に書かれた「やまと言葉」という語を“日本人の根っこに根ざした言葉”、“日本人の身体性/精神性にまでなりおおせている言葉”というふうにとり、自分自身の言葉でもの思えと言っているのだとすると、実に説得力がある。(とりあえず、メモ)
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関連はあるもののまた別の話:
漢字は中国大陸の漢族の文字であって、表語文字である。古代の朝鮮半島の人たちも独自の文字をもたなかったので、漢字を古代朝鮮語の音に当てて表音文字として借用して郷歌をのこした。古代の日本人も同じく、文字をもたなかったので、大陸からの輸入物、借りものの漢字を、〈やまと言葉〉に当てて表意文字・表音文字として使用した。万葉仮名が工夫された。これを〈真名〉に対して〈仮名〉といったのは、仮名があくまでも「仮の文字」であり、漢字=真名が本字であり正式の文字だったからであろう。しかし漢字は見た目も堅苦しく、おまけに字画が多くて角角した形象であるから、やまと言葉を表すのに似合わない。やがてやまと言葉を綴るにふさわしく、筆で綴り易い文字を、漢字を簡易化・省略化して平仮名を生んだ。そうして借りものの文字に工夫をこらして十分に日本語表記にふさわしいものとした。しかし、平仮名表記で書かれたものは第一義的に認められたわけではなかった。『日本書記』はもちろん漢文だし、公文書はすべて漢文であった。紀貫之が『土佐日記』を「男のすなる日記といふものを、女もしてみむとするなり」という書き出しではじめているのは、正式な文書がすべて漢文であった時代であったことに加えて、平仮名表記それ自体が第二次的なもの、あくまでも〈仮の文字〉の位置づけにあったからにほかならない。片仮名も、字義通り、漢字の一部を表音文字化したものである。
つまり、日本人は、日本独自の“倭文字=日本字”をもたなかった。日本字をついにもたず、借りもの文字を吸収して己のものとして使用することでよしとしてきたわけである。後代ごくわずかに国字と呼ばれる漢字が創作されはしたが、それもすべて漢字を再構成して作られたものである。外来語で日本人の生活に馴染み日本語に溶け込んだものは当て字などの漢字表記がなされている。現在只今にしても、日本語への外国語の吸収は続いている。文章表記のなかで欧文綴りそのままで使用されるほか、片仮名で表記される言葉のほぼすべが外来語である。それらの混然する表記が、現在の日本語表記になっている。いまや、漢字熟語や片仮名用語を除外して日本語表現はできないところまできている。古代日本のやまと言葉には、概念を表す語はほとんどなかったという。例えば、春、夏、秋、冬という言葉はあっても、「季節」という語はなかったとさえいわれている。現在も概念規定を含む語はほとんど漢字熟語で表される。仏典の経にしても原典から漢訳されたものが輸入されたわけで、原典から直接訳した現代語訳を見ると、漢訳からの和訳よりも流麗で生き生と表現されているように感じることがある。西洋哲学・思想にしてもそうだが、海外の文学に接する場合も含め、私たちはあまりにも、二重、三重の翻訳プロセスを経た訳語でものを考えること慣らされてしまっているのではないか。といっても、これはみずからの文字=日本字をもたなかったことの当然の結果ともいえよう。
やまと言葉は何処?

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